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放課後の訓練室。
窓から差し込む光が香陣の円を照らし、
沈みかけた太陽がガラス越しに淡く反射していた。
「――防香結界、起動」
集中して香気を展開する。
ミントの風がゆらぎ、薄い光の膜が形成されていく――
が、途中でぷつりと途切れた。
「……香りの軸が揺らいでる」
低く、落ち着いた声。
ブラックペッパーは腕を組んで、俺の様子をじっと見ていた。
眉間の皺が、いつもより深い。
「すみません。まだ流れの制御が――」
「集中が甘い。
……最近、ジンジャーと行動が多いな」
突然出た名前に、俺はきょとんとした。
「え? ああ。ノート関連の調査で一緒に動いてるだけだよ」
「“だけ”か」
短く言って、ペッパーは視線を逸らした。
その声色には、かすかに棘が混じっている。
(ん? 今の、なんか引っかかる言い方だったな……)
「防香結界は単なる術式じゃない。
“誰を守るか”を意識しなければ、香気は定まらない」
「誰を……ねぇ」
「――お前自身の香りを、誰に晒すつもりなのかも含めてだ」
「……ペッパー、それ完全に説教モード入ってる」
「指導だ。誤解するな」
「いや、絶対なんか個人的な感情混じってるだろ」
「……黙れ。立て」
いつも通りの冷たい口調。
けど、近づいてくる足音がいつもより少しだけ速い。
ペッパーは香杖を構えながら、俺の背後に立った。
「香りの流れが乱れてる。力を抜け」
「これ以上抜いたら寝るぞ」
「……冗談言ってる場合か」
ペッパーの手が、俺の肩に触れた。
温かい掌が、香気の流れを整えるように軽く押し込んでくる。
「……こうだ。
呼吸を合わせろ。――ほら、今」
「う、うん……」
指導の声が静かに響く。
落ち着いたはずの香りが、妙に体の奥をざわつかせた。
「……ペッパー、近い」
「結界は距離だ。
守る側が離れていてどうする」
「でも、お前……熱くない?」
「気にするな。お前の香りの乱れの方が問題だ」
「俺のせいにすんなよ」
軽口を返しても、ペッパーの目は真剣そのもの。
厳格で、まっすぐで、どこか切ないほどに真摯だ。
「……お前が無防備すぎるんだ。
誰にでも香気を許して、あっさり混ざる」
「え、あの、俺そんなつもり――」
「なら、なおさら注意しろ」
声が低く落ちる。
指導というより、祈りに近い響きだった。
「俺は、お前を守る立場だ。
だが……お前の香りが他の誰かに触れるのは、正直、我慢ならない」
その言葉に、胸が少しだけ跳ねた。
いつもの冷静さの裏に、感情の熱が混ざっている。
「……それ、嫉妬ってやつじゃないの?」
「違う」
「早ぇな否定!」
「……いいから集中しろ」
そう言いながら、ペッパーは俺の手を導く。
香陣の輪が静かに光り、結界が完成する。
ふたりの香りが重なり、空気が甘く震えた。
「……できたな」
「ペッパーのおかげだな」
「違う。お前が俺を信じたからだ」
その一言が、不意打ちみたいに刺さった。
あまりに真面目な顔で言うから、照れるより先に笑ってしまう。
「……やっぱお前、ずるいよ。
そういうこと、さらっと言うの」
「事実を言っただけだ」
「はいはい、リーダーは理屈っぽくて助かるわ」
軽口に、ペッパーの口元がかすかに緩む。
けれど次の瞬間にはもう、真面目な顔に戻っていた。
「……もう一度確認する。
お前の香りを、俺以外に触れさせるな。
今夜から結界の調整は、俺が見る」
「へいへい、リーダー命令ね」
「命令じゃない。――願いだ」
言葉が落ちたあと、香りが一瞬だけ静まった。
胡椒とミントが、夕暮れの中でゆっくり混ざっていく。
「……お前が守る結界の中に、俺も守られてる気がするな」
「……それは、困るな」
「なんで」
「お前は守る側だ。
――けど、それでも、俺が少しでもその中にいたいと思ってるのは……秘密だ」
そう言って、ペッパーは視線を逸らした。
その横顔が、ほんの少し赤い。
訓練室を満たす香りは、いつもより少しだけ甘かった。
そしてその夜――ペッパーの香りが、ミントを包むように穏やかに残り続けた。




