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姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


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1-4

 朝の光がまぶしくて、思わず目を細めた。

 見慣れた天井。

 布団の感触。


 ――ここは、現実。


 


(……また、戻ってきたのか)


 穢香事件以来、世界を行き来することには慣れていた。

 けれど、今回は少し違う。

 胸の奥に、何かひっかかるような違和感が残っていた。


 


 廊下の向こうから、ゲームのBGMが聞こえてくる。

 リビングでは、姉の綾音がソファでスマホを握りしめていた。


 


「また“Parfum*Étoile”やってるのか」


「うん! 今ちょうどオレン様のルートなの!」


 目を輝かせる姉の声に、俺はほっとした。

 けれど、その画面を覗いた瞬間、息が止まった。


 


(……ジャスミンが、いない)


 どこを探しても、あの金糸の髪の男の姿が見つからない。

 ステージの並びも、香水献上イベントも、

 まるで最初から存在していなかったように修正されていた。


 


「なあ、姉ちゃん。ジャスミン様は?」


 問いかけると、綾音はきょとんとした顔で振り向いた。


 


「ジャスミン? 誰、それ?

 そんなキャラ、このゲームにいないよ?」


 


 その瞬間、背中に冷たいものが走った。

 まるで、記憶ごと削除されたみたいに――

 姉の声にも、本気の知らなさが宿っていた。


 


(……ノートが、ここまで……?)


 


 その疑念を抱いたまま、現実の学校を終えた俺は、

 放課後のチャイムと同時に再びゲームを起動した。


 


 そして――香奏院の教室に、スペアとして戻る。


 


 夕方の光がカーテンを染めていた。

 教室には、オレンとジンジャーがいた。


 


「やっと戻ったか。顔色悪いぞ?」

 オレンが心配そうに覗き込む。


「……現実の世界で、ジャスミンが消えてた。

 姉ちゃんのゲームの中からも、記録が……」


 


 ふたりの表情が一瞬で固まった。

 ジンジャーがタブレットを取り出し、

 淡々と香奏院のデータベースを開く。


 


「……なるほど。興味深いね。

 もしこの世界がゲームの一部だとしたら、

 ノートに奪われた精油は、存在そのものが

 “シナリオデータから消去される”ってことになる」


 


「つまり……プレイヤーにも忘れられるってことか」

 オレンの声が低く落ちる。


「うん。記憶の上書き。

 ゲームを管理してる“香りの構造”に干渉してるんだ」


 


 ジンジャーの瞳が、わずかに揺れた。

 科学的な興味と、どこか冷静すぎる分析。


 


「……でも、ジャスミンにとっては、それが幸せなのかもね」


「……は?」

 オレンが目を見開く。


 


「彼はずっと苦しんでた。

 香水結びをすると、相手の香りを支配してしまう。

 “自分の香りで誰かを壊すくらいなら、一人でいたい”って。

 だったら今の方が――自由だよ」


 


 その言葉に、胸がずきりと痛んだ。

 まるで、取り戻そうとしていること自体が、

 彼の意志を踏みにじる行為のように思えて。


 


(……本当に、取り戻すのが正しいのか?)


 


 沈黙の中、窓の外が少しずつ夕焼けに染まっていく。



---



 夜の香奏院寮。

 カーテンの隙間から、月明かりが差し込んでいた。

 二人用のベッドには、オレンと俺――スペアが並んで横になっている。


 天井を見上げながら、今日の出来事が何度も頭をめぐった。

 ジャスミンのこと。

 現実世界で、姉の記憶からも彼の存在が消えていたこと。


 


 胸の奥が、どうしてもざわついて眠れない。


 隣のオレンが寝返りを打つ音がした。

 月明かりに照らされた横顔が、穏やかに光っている。


 


「……なあ、スペア」


 低く、柔らかい声。

 寝息に溶けるようなトーンで、オレンが囁いた。


 


「もしかして……まだ悩んでる?」


 


 目を閉じたまま、少しだけ間を置いて答える。


「……わかる?」


「うん。

 同じベッドで寝てたら、わかるよ。

 お前は考えごとがあると息が浅くなるからな」


 


 そんなことまで気づかれていたのか、と苦笑が漏れた。

 でも、心のどこかで少しだけ救われた気もした。


 


「……ジャスミンのこと、だよな」


 オレンの声は静かだった。

 まるで、夜の香りに溶けていくみたいに。


 


「彼を取り戻すべきなのか、迷ってるんだ。

 もし今の方が、あいつにとって楽なら……それでいいのかもって」


 


 しばらく沈黙が流れたあと、オレンがゆっくり体をこちらに向けた。

 彼の香り――あの、柑橘の甘さがふっと近づく。


 


「……でもさ。俺は今、すごく幸せだよ」


「え?」


「スペアと一緒にいる。

 香水結びで香りが混ざる。

 それだけで、“生きてる”って感じるんだ」


 


 オレンの手が、布団の下でそっと俺の手を探す。

 指先が触れ合った瞬間、心臓が跳ねた。


 


「ジャスミンだって、本当は寂しいと思う。

 あいつの香りは綺麗で、華やかで、

 だからこそ誰かに混ざりたいって、ずっと思ってたはずだよ」


 


 言葉の合間に、オレンの吐息が頬をかすめる。

 そして、静かに顔が近づいた。


 


 ――キス。


 短く、やさしく、唇が触れる。


 


「俺は今、こうしてるとすごく幸せ。

 スペアはどう?」


 


 耳元に落ちる声が、熱を帯びていた。

 胸の奥に灯がともるように、あたたかくて、少し切なかった。


 


「……俺も。オレンといると、落ち着く」


 


 オレンが微笑むのが、近くでわかった。

 その笑みは、言葉よりもやさしくて、

 香りよりも確かな温度を持っていた。


 


「じゃあ、決まりだね」


「決まり?」


「ジャスミンを取り戻そう。

 どんなに強い香りでも、

 ひとりで漂うのは――寂しいだろ?」


 


 その声が、心の奥に静かに染み込んだ。

 月明かりがゆらめき、ベッドの上でふたりの影が重なる。


 オレンの香りと、ミントの風が混ざり合って、

 夜がほんの少し、やさしく香った。




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