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昼下がりの香奏院の中庭。
ガラスの天井から差し込む光が、淡く木漏れ日のように揺れていた。
柑橘の香りが風に乗り、温室めいた空気をやわらかく包み込む。
甘く、どこか青春の味がした。
「おーい、スペアー! ちょっと頼みたいことがあるんだけど、今いい?」
振り向けば、陽射しを背負ったオレンジが立っていた。
片手に小瓶、肩にタオル。――その姿は、完全に“これから風呂”のテンションだ。
「……頼みたいって。まさか、また風呂関連じゃないよな?」
「はは、さすが察しが早いね。
ほら、俺たち柑橘系は“圧搾法”なんだよ。
絞ってもらわないと、アロマ水が出ないんだ。」
「……“絞ってもらう”って言い方、誤解を生むからやめろ。」
「え、でも事実じゃん?」
爽やか笑顔で言い切るな。
この学園に来てからというもの、柑橘系の連中がいちいち言葉のチョイスを誤ってくる。
オレンも例外ではない。
けれど、その無邪気な明るさに、つい笑ってしまうのが悔しい。
「でもさ、今日は弟たちが遠征でいなくて。
だから……初めて、兄弟以外にお願いするんだ。」
言い方の癖が強い。
なんだその“意味深な依頼”みたいな響きは。
「……まあ、いいけど。俺、不器用だぞ? 加減とか全然わかんねぇし。」
「大丈夫、大丈夫。力よりリズムが大事だから。
ほら、あのベンチに座って?」
促されて腰を下ろすと、オレンは上着を脱ぎ、シャツの袖をゆっくりまくった。
陽の光がその肌を滑り、腕の筋がわずかに浮かび上がる。
柑橘の果皮を思わせるような、淡い金色の艶が宿っていた。
「じゃ、軽く押してみて。」
「え、ここ……?」
おそるおそる掌を当てて、少しだけ圧をかける。
すると、じんわりと甘酸っぱい香りが滲み出していく。
指の隙間から広がる香気が、光に溶けて舞った。
「っ……あ、ん……そこ、いい……!」
「なっ、なに今の声!? いや、どういう意味で“いい”!?」
「ち、違っ……! その、香りが出る瞬間、神経が敏感になるんだよ……!
変な意味じゃない!︎︎く、くすぐったいだけだからっ!」
「……いや、くすぐったいにしては息がエロすぎるんだよ!」
慌てて手を離すと、オレンは耳まで真っ赤に染め、額の汗をぬぐった。
けれど、すぐに明るく笑って小瓶を掲げる。
「ほら、見て。ちゃんと出たろ? ……いい色してる。」
瓶の中では、金色の液体がゆらゆらと光を反射していた。
酸味と甘さが絶妙に溶け合う香り。
まるでオレンそのもののようで、思わず見入ってしまう。
「……兄弟以外に絞ってもらうの、やっぱ緊張するなぁ。
でも、悪くなかった。お前の手、あったかいし……すべすべしてて気持ちいい。」
「その言い方やめろ。誤解しか生まねぇ。」
それでも、思わず笑いがこみ上げる。
オレンの笑顔は、太陽みたいに明るいのに、不思議と見てると胸が温かくなる。
柑橘の香りが、風に混じって遠くまで広がっていった。
この学園では、何をするにも距離が近すぎる。
香りが混ざれば、心まで引き寄せられるようで――
それをまだ完全には受け止めきれない自分が、少しだけ可笑しく思えた。
ふと見上げたガラス天井の向こうで、光が揺れていた。
その光の中に、黄金の雫がきらりと弾けて消える。
――香りは、触れた手の温度まで覚えている。




