表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

48/83

1-2

 夜の香奏院は、昼とは別の顔をしていた。

 昼間あれほど澄んでいた香りが、夜になるとまるで息を潜めたように静まり返る。

 どこかで、香気そのものが耳を澄ませているような気さえした。


 


(……ローズマリー先輩の言葉、守れなかったな)


 部屋を抜け出した足取りは、思っていたより軽かった。

 でも心の奥は、ずっとざらついていた。


 南区で起きた“第二の精油消失”。

 報告を受けたのは夕方だった。

 またひとり、香りごと“消えた”という。


 


「じっとしてられないでしょ?」


 背後から、いつもの調子で声がかかる。

 ジンジャーだ。

 手には香感センサーと試験管を抱えて、にやりと笑っている。


 


「ほんとは先輩に怒られるけど、こういう時は動いたほうが早いよ」


「……だよな」


 結局、俺たちは同じことを考えていたらしい。


 


 南区の香気塔の裏側――。

 夜の風が吹き抜け、建物の影がゆらゆらと揺れている。

 そこだけ空気の密度が違う。

 息を吸うたび、肌にまとわりつくような、重い匂い。


 


「……甘いな」


「うん。柑橘でも花でもない。動物系……“ムスク”だ」


 ジンジャーの声が低くなる。

 その瞬間、周囲の空気がひとつ震えた。


 


「――察しがいいねぇ、精油くんたち」


 


 闇の奥から声がした。

 ねっとりと甘い、それでいてどこか危険な香り。

 月光に照らされたその姿は、銀髪で、瞳の奥が赤く光っていた。


 


「ムスク……!」


「ご名答。

 でも捕獲対象に名前を呼ばれるのは、ちょっと照れるな」


 


 微笑んだその顔は、獣にも人にも見えた。

 周囲の香気が一気に乱れる。

 重い甘さが、喉を締めつけるように広がっていった。


 


「……お前が、エレミを――」


「“奪った”なんて言い方は、やめてくれよ。

 俺たちはただ、縛られて可哀想な香りを“解放”してやっただけだ」


 


 解放。

 その言葉に、胸の奥がひやりとした。


 


「ノート、だな。お前もあいつらの仲間か」


「へぇ、もう辿り着いたのか。

 優秀じゃん、ミントくん」


 


 その呼び方に、背筋が粟立つ。

 ムスクの声は、香りと同じで絡みついて離れない。


 


「精油――つまり君たちは“自然の香り”だ。

 心で香りを混ぜ、魂を結んで進化する。

 でもそれは、不安定で、壊れやすい。

 少しでも心が乱れれば、香りは濁る」


 彼の瞳が細められる。


「俺たちが創っているのは、“人工香(じんこうか)”。

 魂を削ぎ落とした、永遠に再現できる香りだ。

 心に左右されない完璧な調香――それがノートの理想なんだよ」


 


「……それで他人の香りを奪うのか?」


「違う。

 借りるだけさ。

 君たち精油の“命”を、より長く残すために」


 


 ムスクがゆっくりと手を伸ばす。

 空気が歪み、淡い煙が舞い上がった。

 紫がかった香気が俺たちを包み込む。


 


「やばい、香気制御が――!」

 ジンジャーが叫ぶ。

 視界がぼやけ、体の奥がどんどん軽くなる。

 吸い込まれるような感覚。


 


「離れろ! ジンジャー!」


「だめだ、スペア! これは、術式じゃない……“香りそのもの”だ!」


 


 ムスクが一歩踏み出すたび、足元に円が浮かぶ。

 それは見たことのない紋章――封印と記録の複合陣。


 


「そんなに怖い顔しないでよ。

 俺はただ、君を“ノート”に迎えたいだけさ」


 


 その笑みが、月光を受けて歪んだ瞬間。


 


「――香断陣(こうだんじん)!」


 別方向から、鋭い声が飛び込んだ。

 閃光が走り、紫の煙を切り裂く。


 ムスクが目を細めて振り向く。

 そこに立っていたのは――ペッパーだった。


 


「精油への捕獲行為、ならず者の仕事だな」


 黒のコートを翻し、彼は香杖(こうじょう)を構える。


「……黒胡椒か。面倒な奴が来たな」


「引け。ここは学内だ」


「言われなくても、今日は挨拶だけさ」


 


 ムスクは笑みを浮かべると、霧のようにその場から姿を消した。

 残ったのは、甘く危険な香りと――紫色の封印紋の欠片。


 


 ジンジャーが息を吐く。

 膝をつく俺の肩を支えながら、かすかに笑った。


「……危なかった。やっぱり僕は戦闘向きじゃないな」


 


 ペッパーは落ちた封印紋を拾い上げ、険しい顔をする。


「スペア、外に出るなと言われなかったか?

 お前は危なっかしくて放っておけない。……報告は俺がする。ローズマリー先輩にもな」


 


 その名を聞いた瞬間、胸の奥がざわめいた。

 ――あの人は、何を知っている?

 ノートと、ヴァイオレットという名前の間に、どんな過去がある?


 


 夜風が吹き抜ける。

 ムスクの残り香が、まだどこかで微かに漂っていた。


 それは、甘く、危険で――確かに生きている香りだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ