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異香班の研究室は、今日も半地下特有の湿り気とスパイスの熱でむわっとしていた。
並んだ端末のホログラムには、香りの波が幾重にも重なり、まるで生き物の鼓動のように脈打っている。
「やぁ、三人とも。結論、出たよ」
振り返ったジンジャーは、いつもの薄笑いのまま。
けれど声色は少しだけ真面目だった。
俺――スペアと、隣に立つオレン、そして腕を組んだペッパー。三人同時に息を飲む。
「穢香を“完全に”鎮める方法。条件はひとつ――全員の香りを、ひとつにまとめること」
「全員って、異香班も献上側も、ってことか?」とオレンが問う。
「そう。学園に存在する全精油。
異世界の分子を含んだ穢香の“芯”は、未完成のまま迷っている匂いだ。
だから、完成形を見せてやれば、そこに吸い込まれて消える」
ジンジャーが指を弾く。
ホログラムの波形が円を描き、中心がぽっかり空く。そこに光が落ちた。
「ただし問題がある。精油には相性がある。真逆の香りを無理に混ぜれば、破裂する。――だから、中心に“潤滑油”が必要なんだ」
視線が俺に刺さる。
……やっぱりな。
「ミント。君はどの香りとも混ざれる。全員の間に立って、呼吸とリズムを合わせて、香りを整えてほしい」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かがかすかに弾けた。
“全員の香りをひとつに”――その響きに、既視感があった。
(……そうか。俺、全ルートを解放してたんだ)
オレン、ペッパー、ラベンダー、ゼラニウム、ジャスミン――
この世界で出会ったすべての香りを辿り、結び直してきた。
彼らの感情も、痛みも、幸福も、全部知っている。
それは偶然じゃなかった。あの分岐の積み重ねこそが、
今ここで全てをひとつにできる“鍵”だったのかもしれない。
(分岐があったからこそ、今の俺は全部を繋げることができる……)
確信のような温かさが胸に広がった。
香りの道が、最初からこの“全香融合”へと導いていたのだ。
「待て」
ペッパーの低い声が空気を震わせた。
「理屈は分かる。だが、失敗した時に吹き飛ぶのは中心にいるこいつだ」
「吹き飛ばねぇようにするのが、俺たちの役目だろ」
オレンが片手を上げて言う。
「スペアを真ん中で一人にするつもりはない。俺が支える」
真っすぐな目で言われると、胸の奥がじんわり温かくなった。
ペッパーはわずかに目を細め、静かに頷く。
「……俺も隣に立つ。防香を張り続ける。お前の境界は、俺が守る」
「うん、いいねぇ。恋愛と共同研究が同時進行、最高だ」
「「黙れ」」
オレンとペッパーのハモりが完璧に重なり、ジンジャーが肩をすくめた。
「手順は単純。ミントを中心に円を組む。
まずペッパー、次にオレン。そこからジャスミン、ラベンダー、ゼラニウム、レモン、グレープフルーツ、ティーツリー、パチュリ、ローズマリー……順に香りを合わせて輪を閉じる。
息を合わせるのが何より大事。途中で誰かの感情が暴れたら、即アウトだ」
「感情が暴れたら……って、俺らそこ一番苦手なとこじゃん」
オレンが苦笑する。
「だから君が必要なんだよ、ミント。
君の“落ち着き”は香りにも伝わる。こないだの仮結びで証明済みだしね」
「仮結びって言うな。いや事実だけど、言うな」
俺が顔をしかめると、ペッパーがわざとらしく咳払いした。
……まだちょっと根に持ってる。不可抗力だったのに。
そのとき、ドアが軽く叩かれた。
「失礼する」
ローズマリー先輩が入ってくる。
白衣の裾を揺らし、落ち着いた声を響かせた。
先日の暴走が嘘みたいに、穏やかで理性的な気配。
「調香師様から伝言だ。“近いうちに、大きな穢香が来る”。学園外からの混入だ。――時間はない」
「……やっぱり、来るんですね」
「ああ。だが希望もある」
ローズマリー先輩は、まっすぐ俺を見た。
「君の“調和”だ。感情は香りを乱すが、同時に強くもする。信じる対象を、傍に置け」
その言葉に、オレンがそっと俺の手を握った。
ペッパーも静かに隣へ寄る。
香りが混ざって、胸の中のざわめきが不思議と静まった。
「やるよ。俺が中心に立つ。みんなの香りを、まとめる」
言葉にすると、背中の芯が自然と伸びた。
ペッパーが短く頷き、オレンが不器用に笑う。
「なら決まりだね。夜、最上階の大香陣に集合。準備は僕がやるよ」
ジンジャーが指を鳴らし、画面の光がふっと消えた。
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部屋を出る廊下で、オレンが俺の手を握ったまま歩幅を合わせてくる。
「なぁ、怖くなったらちゃんと言えよ。
俺、からかいはするけど、無茶はさせないから」
「……ありがとな」
背後でペッパーがぼそりと呟く。
「俺もいる」
その一言が、心の奥にじんわり沁みた。
二人の香りが、左右から静かに寄り添ってくる。
――息を合わせる練習は、もう始まっているみたいだった。




