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姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


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1-3


 翌日の午後。

 講義が終わってすぐ、俺は訓練棟の一室に呼び出された。

 扉の前には「香水生成演習室」と、優雅すぎる名前のプレート。

 ……絶対、平和な場所じゃない。


 


 中に足を踏み入れた瞬間、鼻腔を満たしたのは甘い花の香りだった。

 白壁に金の装飾が施され、薄いベールのような光が天井から降り注いでいる。

 空気の密度が高い。

 息を吸うだけで、胸の奥がじんわりと熱くなる。


 


 部屋の中央には、円卓とソファ。

 その傍らに――金糸のような髪を揺らす青年が立っていた。

 女性のように整った顔立ち、けれどその笑みには明らかな“狩人”の気配。


 


「来たわね、スペアちゃん。」


 


 艶やかに微笑んだその人物。

 香奏院きっての誘惑系――ジャスミン。

 姉がゲーム実況で何度も叫んでいた名を、まさか生で聞くことになるとは。


 


(確か、“距離感バグってるキャラ”って言ってたな……。)


 


 今ならわかる。

 目が合っただけで、息が詰まる。

 その瞳の奥には、挑発と支配が同居していた。


 


「昨日、アロマ水の抽出が終わったんですって? 初めてにしては上出来だったみたいね。」


「……まあ、ローズマリー先輩が全部やってくれたんで。」


「ふふ。じゃあ今日は、次のステップよ。香水――“二人でつくる香り”の訓練。」


 


 ジャスミンが一歩、近づいた。

 空気が、花の蜜に変わる。

 白い光の粒が、彼の足元からふわりと舞い上がる。

 息を吸うたび、体の内側が甘さで満たされていく。


 


「……“香水”って、結局どういう――」


「二人の香りを合わせて、一つの“調和”を生み出すこと。

 アロマ水が個の香りなら、香水は“関係の証”よ。」


 


 その言葉が落ちるたびに、部屋の温度が上がっていく。

 なるほど、これが――例の“スキンシップ好感度イベント”ってやつか。

 心の準備なんて、できるわけがない。


 


 それでも、ジャスミンは迷いなく俺の手を取った。

 指先が触れた瞬間、静電気のように体が跳ねる。

 花と柑橘の間のような香りが、二人の間に弾けた。


 


「緊張してるのね。……可愛い。」


「……してるに決まってんだろ。」


「大丈夫。痛くはしないわ。」


 


 いや、“痛くは”って何のフォローだよ。

 彼は、笑っている。余裕のある、完璧な笑み。

 距離を詰めるたび、香りの層が変化していく――トップ、ミドル、ベース。

 この空気そのものが、調香の過程みたいだ。


 


「目を閉じて。自分の香りを感じてみて。」


 


 言われるままに目を閉じ、ゆっくりと息を吸う。

 昨日ローズマリーに褒められた、あの“ミントの清涼”が胸の奥から広がる。

 それが、ジャスミンの花香と触れ合って――少しずつ、形を変えていく。


 


 甘い。けれど、芯がある。

 熱と冷たさが同時に混ざり、心臓の鼓動と同じリズムで震えている。

 互いの香りが、溶け合って、ゆっくりと“ひとつ”になっていく。


 


「……いい香り。あなたの香りは、他の誰よりも素直ね。

 混ざるほどに、相手を受け入れてしまう――まるで恋みたい。」


 


「恋って、そんな簡単な……」


 


 言葉の続きを呑み込む。

 頬に触れた指先が、熱い。

 視界が戻ると、ジャスミンの顔が――息が触れる距離にあった。


 


「香りを合わせるって、こういうことよ。」


 


 その囁きと同時に、唇がほんのわずかに触れた。

 触れるか触れないかの距離で、息が混ざり、光が弾けた。

 金色の粒子が宙を舞い、装置の瓶の中へと吸い込まれていく。


 


 ――瓶の中で、淡い液体がゆっくりと輝いた。


 


「……これが、初めての“香水”。」


 


 ジャスミンが瓶を掲げる。

 その表情は誇らしげで、どこか満足げだった。

 甘く柔らかい香り――けれど、その奥には微かな熱が残っていた。

 俺の心臓の鼓動まで、香りに混ざったみたいに。


 


「スペア。あなたは、素晴らしい素材ね。

 どんな相手とも調和できる。でも――それは同時に、誰の香りにも染まりやすいということ。

 ……気をつけなさい。」


 


 意味深な言葉を残して、彼は扉の向こうへ消えた。

 残されたのは、金色の残香と、鼓動の音だけ。


 


 手の中の瓶を見つめながら、俺は小さく息をついた。


 


「……恋みたい、か。いやいや、そんなわけ……」


 


 けれど、その香りは確かに――

 俺の中の何かを、ほんの少し、変えてしまった気がした。



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