5-4
図書室前の騒動がようやく収まり、
レモンは保護結界の中で静かに眠っていた。
穢香の影は完全に消え、空気はほのかに甘く澄んでいる。
「……助かったな。あのままだったら、レモンはもう戻れなかった」
オレンが胸をなでおろし、深く息を吐く。
その横で、ブラックペッパーは静かに腕を組んでいた。
「……俺ひとりじゃ、止めきれなかった。
スペアの香りがあったからこそ、安定したんだ」
その言葉に、スペアは少し目を見開いた。
ペッパーが素直に認めるのは珍しい。
けれど、その瞳には悔しさと誇りと、どこか柔らかな光が同居していた。
「……ありがとな、ペッパー。
あんたがいたおかげで弟を救えた」
オレンが肩をすくめながらも、まっすぐに言う。
しかしその口調には、次の瞬間、鋭さが混ざった。
「でも――スペアは渡さねぇからな」
ペッパーのまつ毛がわずかに震える。
胡椒の香りがぴたりと熱を帯び、空気が重くなる。
「……何の話だ」
「とぼけんなって。
戦ってる時のあんた、誰よりもスペアの方見てただろ。
助け合ってたって言うより――惹かれてただけじゃねぇのか?」
沈黙。
そして、ペッパーは一歩前へ出た。
「……否定はしない。
スペアは俺の防香を越えてきた。
混ざっても壊れず、俺を助けた。
あんな存在、他にいない。――だから、必ず俺のものにする」
真っすぐな言葉。
その瞬間、オレンの表情が引き締まる。
柑橘の光が強く香り、胡椒の熱とぶつかり合った。
「だったら、こっちも譲る気はねぇ。
同室で、毎日一緒に過ごしてんだぞ。
あいつの寝癖も、寝言も、ぜんぶ俺だけが知ってんだ!」
「そんなもの、なんの強みにもならない。
俺はあいつの香りを守る。どんな穢香が来ても、俺が盾になる」
「……上等だな」
ふたりの視線がぶつかる。
柑橘と胡椒――光と熱の香りが交錯し、火花のように弾けた。
「お、おいお前ら、ちょっと落ち着けって!」
スペアが慌てて間に割り込む。
ミントの風がふわりと香り、二人の気配をやわらげた。
「俺の取り合いで喧嘩すんなって! 今はそういう話じゃ――」
ペッパーは少し顔を背け、低く息を吐く。
オレンは軽く笑って肩をすくめた。
「……感謝はしてるけどな。でも、絶対にスペアだけは譲らねぇ」
「俺も譲らん。
お前の弟を救えたのは、スペアがいたからだ。
だからこそ、あいつを……誰にも渡せない」
その言葉に、スペアの耳が赤く染まる。
困ったように顔を覆い、小さくつぶやいた。
「……俺、どうすりゃいいんだよ……」
オレンがふっと笑い、スペアの肩に腕を回す。
「ほら、もう帰ろうぜ。今日はもう休もう。
俺たちの部屋の空気が一番落ち着くからな」
「ちょ、オレン……!」
引きずられるように歩き出すスペアを、ペッパーが静かに見送った。
その背中を見つめながら、胸の奥で小さく呟く。
(――次は、俺の隣から離さない)
夜風が吹き抜け、柑橘と胡椒とミントの香りが交わる。
まるで三人の心を、ひとつの恋の調香にしてしまうように。




