表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

25/83

3-9

 夜の訓練室。

 照明は落とされ、窓の外には月の光が静かに浮かんでいた。

 香陣の輪が淡く光り、空気の底に胡椒の香りがゆっくりと広がっている。


 


「今日の訓練、俺でいいの? 他の精油の方が……」

 扉を閉めながら、いつもの調子で声をかける。


 


「……必要ない。お前はもう基礎はできている」

 ブラックペッパーは短く答えた。

 その声には、わずかに硬さが混じっている。


 


「基礎って?」


 


「防香の基礎に決まっている。……最後に確認だけさせてもらおうか」


 


 そう言って彼は、香陣の中心に立った。

 指先が静かに動くたび、黒胡椒の香気が層を描くように立ちのぼる。

 空気がぴたりと張り詰め、

 その香りはまるで“触れることを拒む壁”のように、はっきりと輪郭を持っていた。


 


「……これが“防香”の完成形だ」


 


「混ざらない香り、だっけ?」


 


「そうだ。異香班は他者の香気に触れずに秩序を保つ。

 誰とも混ざらないこと――それが守る者の条件だ」


 


 ペッパーの言葉は理路整然としていた。

 けれど、その奥には、微かに苦味を含んだような響きがあった。


 


「……でもさ」

 俺は少し笑って、結界の縁まで歩み寄る。

 「混ざらないって、なんか寂しくね?」


 


 ペッパーの睫毛がわずかに動いた。

 けれど返事はない。

 ただ静かに、香りの壁が淡く震えている。


 


「俺ら献上側は、香水を作るたびに触れ合うんだよ。

 距離近いのが普通なんだ。

 だって、香りって“触れて”やっと深みが出るもんだからさ」


 


「……その距離感は、異香班には要らない」


 


「でも、お前には要るだろ」


 


 思わず、口が勝手に動いていた。

 その瞬間、胡椒の香りがわずかに乱れる。


 


「お前の香り、確かに強いけど……優しいじゃん。

 俺、前に触れられた時も思った。

 あったかくて、落ち着く香りだった」


 


 沈黙。

 言葉が空気に溶ける間、ペッパーは動かなかった。

 それでも、確かに呼吸が一つ、浅くなるのがわかった。


 


「……スペア」


 


「ん?」


 


「お前……無意識にそういうことを言うのは、やめろ」


 


「なんで?」


 


「……心臓に悪い」


 


 その言葉は驚くほど小さく、

 それでいて真っ直ぐに届いた。


 ペッパーがゆっくりとこちらを向く。

 月明かりが彼の横顔を照らし、睫毛の影がわずかに震えた。


 


「俺は、混ざらないようにしてきた。

 誰とも。どんな香りとも。……壊さないように。

 だが――お前は、それを簡単に越えてくる」


 


「越えていいんだよ。

 だって、ただ“知ってほしい”だけだから」


 


 言葉の意味を理解するより早く、

 ペッパーの手が動いた。


 指先が、そっと俺の頬に触れる。


 


 ピリッとした胡椒の香りが、柔らかく弾けた。

 熱いのに、痛くない。

 体の奥が、ふわりと浮く。


 


「……壊れない」


 ペッパーの声が、かすかに震えた。


 


「な?」

 俺が微笑むと、ペッパーは息を詰めて、わずかに目を逸らした。


 


「……お前の距離感、危険すぎる」


 


「献上側だからな。慣れてるんだよ、こういうの」


 


「……そうか」


 


 それ以上何も言わず、ペッパーは静かに手を離した。

 けれど、香りの境界線はもう消えていた。


 


 胡椒とミント。

 スパイスの熱と清涼が混ざり合い、

 部屋の空気がゆっくりと甘く変わっていく。


 


(……混ざらない、なんて無理だろ)


 


 ペッパーは目を閉じたまま、

 誰にも聞こえない声で呟いた。


 


「――お前の香り、もう忘れられない」


 


 その言葉を確かに聞いた気がして、

 俺は何も言わず、ただ静かに笑った。


 


 夜の静寂の中、

 ミントと胡椒の香りがそっと一つに溶けていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ