3-8
訓練棟の香陣室。
今日はペッパーの他に、異香班のメンバーが二人いた。
落ち着いた紫のローブを羽織るパチュリ。
短髪で明るく爽やかな雰囲気のティーツリー。
どちらも異香班所属の上級精油らしく、
俺は少し緊張しながら軽く頭を下げた。
「おはようございます。……今日は見学付きですか?」
「見学じゃない。記録係だ。……今日は“香気鑑賞テスト”を行う」
ブラックペッパーが淡々と答える。
「異香班では、互いの香りの構成を視覚化して分析する。
香りを“感じる”のではなく、“見抜く”訓練だ」
「へぇ、なんか面白そうじゃん」
「お前にとっては遊びかもしれんが、これは立派な試験だ」
ペッパーはいつも通り表情を崩さず、
香陣の中央に二つの瓶を置いた。
一つは黒胡椒の香料。
もう一つは――俺のスペアミント。
「香気鑑賞テストの目的は、
相手の香りの“層”を見極め、無意識の反応を察知することだ。
……混ざるなよ」
「了解。でも、混ざっちゃうかもな」
「フラグを立てるな」
軽口を交わしながら、
俺は深呼吸してペッパーの前に立つ。
瓶の栓が同時に抜かれた。
ピリッとしたスパイスと、涼やかなミントが空中でふっと交わる。
(……あ、やっぱりこの香り。落ち着く)
胡椒の刺激の奥に、ほんの少しの温度がある。
冷たいようで、近づくと心臓の奥がじんわり温まってくる。
「……なにか感じたか?」
「うん。……あったかい、かな」
「温度……?」
「お前の香り、見た目より優しいんだよ。
ピリッとしてるけど、真ん中はちゃんと甘い」
その瞬間、ペッパーの指先がピクリと動いた。
静寂の中で、彼の香りが一瞬だけ乱れた気がする。
「……分析としては雑だな」
「いや、感じたまんま言っただけだって」
言葉を返すと、ペッパーがふいに顔を背けた。
光の加減か、頬がうっすら赤い。
パチュリが隣でこっそり笑った。
「……あのブラックペッパーが顔、赤くしてる」
「え、マジ? 初めて見たんだけど」
ティーツリーが目を丸くする。
「……お前たち、黙れ」
ペッパーの低い声が飛ぶ。
「はいはい、すみません隊長〜」
二人は肩をすくめて、楽しそうに下がった。
ペッパーが咳払いをして、再び俺の方を向く。
さっきまでの冷静さが、まだ微妙に戻っていなかった。
「……続けるぞ」
「お、おう」
再び香りを合わせる。
今度は俺のミントの方が少し強く広がっていった。
互いの香りが交わるたび、
ペッパーの瞳がほんのわずかに揺れる。
「……スペア。お前の香り、制御できてない」
「え、そうか?」
「近づきすぎだ」
「お前の方が先に香気伸ばしてんだろ」
「……違う。俺は――」
言いかけた声が途中で止まった。
目が合う。
その一瞬、息をするのを忘れた。
ペッパーの瞳が、まるで誰かを映すように揺れている。
黒胡椒の刺激の奥に、柔らかな熱が宿っていた。
「……なんで、そんな顔をする」
「顔? いつも通りだろ」
「違う。お前……見透かしてるみたいに笑うな」
ペッパーの声がわずかに低くなる。
でもそこに怒気はなかった。
ただ、感情が混ざっていた。
(……あ、やばい。これ完全に落ちてるやつだ)
頭の中で誰かがそう囁いた。
たぶん、ゲーム的にはここフラグ確定シーンだ。
ペッパーは小さく息を吐き、俺を見ないように視線を逸らした。
「今日はここまでだ。……下がれ」
「おう。楽しかったよ」
「楽しい訓練など存在しない」
「いや、俺は楽しかったけど?」
「黙れ」
そう言いながら、ペッパーの耳の先は完全に赤かった。
背後でパチュリとティーツリーがひそひそ声を交わす。
「……ねぇ、隊長があんな顔するの、俺初めて見たんだけど」
「だよな、目まで柔らかかったし。記録取っとく?」
「やめろ」
ペッパーの低音が響く。
二人が慌てて姿勢を正した。
「……お前ら、記録は真面目にするように」
「へいへい、了解〜」
「でも珍しいもん見れたなぁ」
「ティーツリー」
「すみませんでした」
完全に動揺したペッパーを横目に、
俺は思わず笑ってしまった。
(ブラックペッパー、意外とかわいい顔するんだな)
部屋を出ると、
スパイスとミントがほんのり混ざった香りが背中を追いかけてきた。
香気鑑賞テストの結果は――
多分、どっちも互いに影響を受けすぎ。
でも、それでいい。
(……もう完全にフラグ立ってるよな、これ)
ミントの香りが静かに揺れ、
胡椒の熱が、胸の奥でまだ消えなかった。




