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姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


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3-7

「おはようございます。今日も、よろしくお願いします」


 形式だけ整えて頭を下げると、ブラックペッパーは軽く頷いた。

 訓練室の空気はいつも通り張りつめていて、

 スパイスの香りが、少し熱を帯びながら鼻の奥をくすぐる。


 床の香陣は前回よりも深い色をしていて、

 淡い光が静かに脈打つたび、胸の鼓動まで同期しているような気がした。


 


「……今日は、“防香(ぼうこう)”の訓練をする」

 背を向けたまま、ペッパーが静かに言った。


「自分の香りを一定範囲で維持する。

 外の香りを遮断しながら、内部の香りだけを循環させる。

 ――異香班の基礎だ」


 


「へぇ、難しそうだな」


 


 瓶の栓が抜かれ、黒胡椒の刺激が一気に広がる。

 その香りは乾いた熱を帯びていて、肌の奥にまで入り込んでくる。

 思わず鼻をすする。


 


「……強っ。お前の香り、いつもスパイス効きすぎだろ」


 


「異香班は、他人に触れることが少ない。

 だから、自分の香気だけで“境界”を保つ必要がある」


 


「触れない、ね……献上側とは正反対だな。

 俺ら、香水作るときなんて毎回ベタベタ触ってんのに」


 


「それが異香班にはない。

 香りを守る者は、混ざることを恐れる。

 ――香りを壊すからだ」


 


 その言葉に、少しだけ胸が重くなった。


 


「……壊したこと、あるのか」


 


 ペッパーは視線を落とし、ほんの少しだけ間を置いてから答えた。


 


「昔、一度だけ。

 俺の香気が強すぎて、同僚の香りを“焼いた”。」


 


「……焼く、って?」


 


「香りを消す、という意味だ。

 二度と戻らなかった。だから、それ以来――

 俺は誰にも触れない」


 


 淡々とした声なのに、

 その奥には、痛いほどの罪悪感が滲んでいた。

 鋭い香りの隙間に、ほのかな苦味が混じる。


 


「……そっか」


 


 しばらく黙って、それから俺は一歩だけ近づいた。

 距離にして、ほんの半歩。けれど、香りが変わるほどの近さだった。


 


「でもさ、俺は焼けてねぇよ」


 


 ペッパーの瞳がわずかに揺れた。

 その反応を見て、俺は続けた。


 


「この前、手、握られただろ?

 あれ、あったかかったし、全然壊れてなかった。

 むしろ――少し落ち着いたぐらいだ」


 


「……あれは、たまたまだ」


 


「たまたまでもいいじゃん。

 “触れたら壊す”って思ってるなら、俺で練習すりゃいい。

 少しずつ慣れていけば、怖くなくなるかもしれないし」


 


 自分でも驚くほど、自然に言葉が出た。

 たぶん俺、こいつの香りが怖くなかった。

 それだけのことで、言葉にしたらすごく簡単だった。


 


「お前……ほんとに無防備だな」


 


「よく言われる」


 


 少し笑うと、ペッパーが視線を逸らした。

 耳の先が、かすかに赤くなっている。


 


「……“戦わない香り”のくせに、距離だけはやたら詰める」


 


「俺は“繋ぐ香り”だからな」


 


 その言葉に、ペッパーの口角がほんのわずかに上がった。

 スパイスの熱が少しだけ柔らかくなる。


 


「……まったく。次までに防香を体得してこい」


 


「おう、師匠」


 


「やめろ。その呼び方はくすぐったい」


 


 そう言いながら背を向けるペッパーの黒いコートが、

 空気を撫でるように揺れた。

 残った香りは、少しだけ穏やかで。


 


(触れられない香り、か……)

 でも、確かに“近づけた”気がした。


 


「本日も、ありがとうございました」


 


 形式的な挨拶を添えて頭を下げる。

 ミントの香りが、そっとスパイスの中に溶けていった。

 静かな蒸気がゆらりと立ちのぼり、

 境界線のように淡く、あたたかく揺れていた。



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