表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/83

3-6

 訓練棟の奥。

 普段は異香班しか使わないという個室に、俺は足を踏み入れた。

 床一面に香陣(こうじん)が描かれ、壁際にはびっしりと瓶と香料が並んでいる。

 空気が少し重い。

 ここが、今日から俺の“個人レッスン”の場所だった。


 


「……来たか、スペアミント」


 


 すでに部屋の中央には、ブラックペッパーがいた。

 薄暗い照明の下で、黒いコートの裾がゆるやかに揺れている。

 その香りはいつも通り――鋭くて、まるで神経を研ぎ澄ませるようだった。


 


「おはようございます。えっと……今日から、よろしくお願いします」


 


「形式はいらん。まずは構えてみろ」


 


 いきなりの指示に少し戸惑いつつ、香陣の中心へと立つ。

 ペッパーが軽く指を鳴らした瞬間、空気の流れが変わった。

 ぴりっと鼻を刺す刺激が走る。


 


「……っ、これ……?」


 


「穢香の残り香を極薄に再現したものだ。

 お前の香りが、どこまで耐えられるか試してみる」


 


 冷静な声。

 けれど、その響きには妙な安定感があった。

 まるで空間そのものを整えるみたいに、ペッパーの香りが場を支配していく。


 


(すげぇ……さすが異香班のリーダーだ)


 


「お前の香りは柔らかく広がる。

 だがその分、他者の影響を受けやすい。

 防御とは、ただ遮断することではない。

 ――混ざりながらも、自分の軸を失わないことだ」


 


 ペッパーの声が、深く胸の奥に響いた。

 その低音は静かなのに、不思議と鼓動を速めてくる。


 


「……試してみろ」


 


 指先が軽く弾かれ、風の中に黒い靄が生まれた。

 穢香の残り香。

 それが近づいてくるのを感じ、俺は深く息を吸い、

 体の中心からミントの香りを満たしていく。


 


「――“蒸留結界(スチーム・ブレンド)”」


 


 白い蒸気が立ちのぼる。

 悪臭がゆるやかに押し返され、代わりに清涼な風が空間を包んだ。

 ぴんと張っていた空気が、少しだけ柔らかくなる。


 


「……なるほどな」


 


 ペッパーの瞳が細くなった。

 その奥に、わずかな満足の色が見えた気がする。


 


「いい判断だ。

 香りで闘う者は、まず“濁らないこと”を覚える必要がある」


 


「……はい。ありがとうございます」


 


 緊張の糸が少し緩む。

 笑いかけると、彼はふいに視線を逸らした。

 その横顔が、ほんのり赤く見えたのは気のせいだろうか。


 


 ペッパーは無言で新しい香料瓶を手に取り、俺へと差し出す。

 瓶の中では、透明な液体がわずかに揺れていた。


 


「次は“香気干渉”の訓練だ。

 俺の香りを合わせてみろ。

 混ざりすぎれば、お前が負ける。

 保てば、相互防御になる」


 


「混ざり……って、どうやって……?」


 


「――手を出せ」


 


 短く告げられ、反射的に手を差し出す。

 その瞬間、ペッパーの指が俺の手首を掴んだ。

 思っていたよりも、ずっと熱い。


 


「……っ……」


 


「動くな。香りを合わせる」


 


 掌から伝わる熱に、息が浅くなる。

 スパイスの香りが脈に沿って染み込んでくるようで、

 空気が、音もなく変わっていった。


 


「……お前の香りは、本当に柔らかい。

 吸い込むと、刃が丸くなるようだ」


 


 ペッパーの声が少し低くなった。

 その眉が、わずかにほどける。

 ほんの一瞬だったけれど、確かに見えた。


 


(……やっぱり、この人、優しいんだ)


 


 そう思った瞬間、黒い靄が完全に消えていた。

 部屋の空気が澄み、香陣の光がゆっくりと落ち着いていく。


 


「今日はここまでだ」


 


 ペッパーが手を離す。

 指先がかすかに震えていた。


 


 気づいたら、俺の方が先にその手を掴んでいた。


「なぁ、ブラックペッパー。ありがとな。マジで助かった」


 


 その瞬間――彼の動きがぴたりと止まった。

 肩がわずかに跳ね、あの冷静な彼が、まるで熱湯を浴びたみたいに固まる。


 


「え、どしたの?」


 


「……な、何でもない」


 低く返された声は、いつもより掠れていた。

 耳まで赤い。


 


(……え、照れてる? うそだろ……)


 


 普段のクールさとのギャップがすごすぎて、

 俺は思わず目を瞬かせた。


 


「お前……献上側ってのは、こんなふうに……普通に触れるのか」


 


「え? うん、まあ。香り結びとか、日常的にやるし」


 


「……そうか」


 


 ペッパーは視線を逸らしたまま、小さく息を吐いた。

 その吐息が、わずかにスパイスの香りを含んでいて――

 それが妙に甘く感じたのは、きっと気のせいだ。


 


「次の訓練は三日後だ」


 


「はい!」


 


 背を向けたペッパーの耳の先まで赤いままで、

 なんだか俺の方が恥ずかしくなってきた。


 


(……あんな顔するんだ、この人)


 


 訓練室を出たあと、

 俺の香りが自然とこぼれた。

 ミントの清涼と、ほんの少しの熱を帯びた夜気が混ざり合う。


 静かで、少しだけ温かい夜だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ