表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉のBLゲームの世界に転移したけど、“スペアミント”の俺は香りの終焉を止めに行く 〜香奏院とヴァイオレット・ノート〜  作者: あしゅ太郎


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/83

3-4

 その夜、香奏院の鐘が鳴った。

 低く、胸の奥まで響く音。

 けれど、どこか冷たい。


 この音は知っている――

 「穢香発生」の警鐘。


 


「……嘘、献上棟の方から……?」


 隣で、ジャスミンが顔を上げた。

 彼の香りが、ざわりと空気を震わせる。


 次の瞬間、校舎の向こうで黒いもやがゆっくりと広がった。

 香りの層を押しのけ、空気そのものが濁っていくのが見えた。


 


「全員、下がっていろ――異香班が出る」


 低い声が響いた。

 月光を背に、黒いコートの男が立っていた。

 ブラックペッパー。

 あのとき中庭で会った、“スパイスの人”だ。


 


 その名を呼ぶ前に、彼の後ろから数人の影が現れた。

 皆、重い香気を纏っていて、空気の密度が変わる。

 まるでこの場所だけ、別の温度になったようだった。


 


(これが……異香班……)


 


 喉の奥が乾く。

 香りを“献上”する俺たちとは明らかに違う。

 彼らは、香りそのものを“守る”側――。


 


 だが、その理解を挟む間もなく。

 天井の隙間から黒い靄が滴り落ちた。


 じゅっ、と床が焼け焦げる音。

 鼻を刺す悪臭。

 それは香りとは呼べない、腐った鉄のような匂いだった。


 


 体が勝手に後ずさる。

 けれど、足はすぐに動かなくなった。


 


「穢香……本当に、出た……」


 


 喉の奥から出た声は、かすれていた。

 目の前の黒は、生き物のように蠢き、壁を這い、香気を喰っていく。

 調香師の記憶を奪う“堕ちた残り香”。

 そんな設定、ゲームの中にあっただろうか。

 現実みたいな臭いに、思考が追いつかない。


 


「下がって、スペア!」


 オレンが俺の前に立った。

 手から弾けた光が、柑橘の匂いを放って闇を押し返す。


 その一瞬の隙に、ゼラニウムが薔薇の香りでバリアを張った。

 だが、すぐにひびが走る。

 ラベンダーも支えに入るが、穢香の波は止まらない。


 


(戦えない……! 俺には、何もできない……!)


 


 恐怖で喉が締まる。

 香りが奪われ、世界の色まで褪せていく。

 膝が震えた。


 


 そのとき――頭の奥に、湯気が浮かんだ。

 白い蒸気。

 あのとき、湯船でアロマ水を抽出した時の記憶。


(……俺の香りは“熱と水分”に乗って広がるんだ)


 


(戦う力はなくても、“繋ぐ”ことなら――!)


 


 胸に手を当て、深く息を吸う。

 ミントの清涼が体の奥から立ち上がった。


 


「――“蒸留結界(スチーム・ブレンド)”!」


 


 声が響いた瞬間、白い蒸気が足元から立ち上った。

 柔らかく、それでいて確かな熱を帯びた湯気。


 それが、オレンの柑橘、ジャスミンの花、ラベンダーの草、ゼラニウムの薔薇――

 それぞれの香りを包み込み、やさしく繋いでいく。


 


 空気が震えた。

 混ざりすぎず、けれど確かに重なっていく。

 濁っていた香りが、ゆっくりと整っていった。


 


「これは……!」

 ジャスミンの瞳が光を帯びる。

 「香りが――安定してる。穢香の干渉が弱まってる!」


 


「スペアの香りだ!」

 オレンの声が響いた。

 「俺たちの香りを“繋げて”、整えてくれてる!」


 


 その声を合図に、ブラックペッパーが前へ出た。

 指先がわずかに動く。


 次の瞬間、胡椒の香りが弾けた。

 熱い風が走り、闇を焼き切る。

 黒い靄が、まるで霧のように消えていった。


 


 残ったのは、焦げた匂いと――ミントの清涼。


 


 呼吸が戻る。

 膝が笑う。

 それでも、もう怖くはなかった。


 


「……終わったな」


 低い声がして顔を上げると、

 ブラックペッパーがこちらを見ていた。

 冷たい瞳に、ほんの少しだけ熱が宿っていた。


 


「お前、戦闘用の香りじゃないのに、全員の香気(こうき)を調律したな」


 


「俺……怖くて、動けなかった。

 でも、みんなの香りが乱れてて……

 “繋げる”ことなら、できるかもって……」


 


 声が震えていた。

 けれど、ペッパーは責めなかった。

 ただ小さく頷き、わずかに笑った。


 


「なるほど。“戦わない香り”か。

 ……異香班にも、そういう香りが必要かもしれないな」


 


「え……?」


 


「お前、面白い奴だな。

 次に穢香が現れたとき――お前の香りで、皆を支えろ。

 戦わずして護る。それも、立派な戦い方だ」


 


 その言葉が、静かに胸に染みた。


 


 隣でジャスミンが息をつき、

 ゼラニウムが腕を組んで俺を見た。


 


「まったく、美しくない夜だったな。

 ……でも、お前の香りは悪くない」


 


「……ありがとう」


 


 笑った。

 その瞬間、みんなの香りがやわらかく混ざった。

 ミント、花、柑橘、草、薔薇――

 戦いのあととは思えないほど、優しい空気。


 


(俺は戦わない。けれど――みんなを“繋げる”。

 それが、俺の戦い方なんだ)


 


 夜空に、白い蒸気のような香りが立ちのぼった。

 ミントの風が、静かに学園を包んでいく。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ