3-2
穢香事件のあと、俺は決めていた。
――もうこれ以上、ルート分岐は増やさない。
誰かと関われば、香りが混ざる。
混ざれば、何かが変わる。
それが怖かった。
だから授業が終わればすぐ寮へ。
オレンとは相変わらず同室。でも変な空気にはなっていない。
ラベンダーとゼラニウムは相変わらず張り合ってくるが、俺は“平和的スルー”を徹底していた。
(……この調子で期末まで、何も起きなければいい)
そう思っていた、ある日の午後。
図書館で、事件は起こった。
静かな館内。ページをめくる音。
棚の向こうから、ふわりと花の香りが流れてくる。
(……この香り)
初日に一度だけ混ざった、あの“ジャスミン”。
「やっぱり、あなたなのね」
白い衣のような長髪の青年が立っていた。
柔らかな微笑みなのに、どこか挑発的。
光に透ける金の瞳が、まっすぐ俺を捉える。
「“スペアミント”。あなたと、また会いたかったの」
「……ジャスミンさん。お久しぶり、です」
彼は軽やかに歩み寄り、手の本を閉じる。
仕草ひとつで空気が香りに染まる。華やかで、強い。けれど嫌じゃない。
「あなたの香り、覚えているわ。
あの時、私の香水が“混ざった”のは、あなたが初めてだった」
「……混ざった?」
「私はね、香水を作ると相手の香りを打ち消してしまうの。
どんな香りも、私の中で“消える”。それがずっと悩みだった」
ジャスミンは微笑む。
ほんの一瞬だけ、影が差す。
「でも、あなたは違った。
あなたは消えなかった。むしろ――私をより“美しく香らせた”」
指先が机上に香水瓶の形をなぞる。
指から立つ香りが、図書館の空気をやさしく満たした。
「……お願いがあるの。
もう一度、私と香水を作ってほしい」
「え……」
(待って、完全にイベント発生じゃん……! いやフラグ立てないって決めたのに!)
「あなたの香りを研究したいの。
どうして“消えない”のか。どうして私を惹き立てるのか。
香りの理を超えている――まるで、“運命”みたいに」
「いや、運命とか言われても……俺、ただの……」
「スペアミント」
熱の宿った呼び方。
図書館の静けさの中で、二人だけの空気が濃くなる。
「あなたが私の隣にいると、世界が鮮やかになるの。
お願い。もう一度――“私の香水”を一緒に作って」
祈るような光が、その瞳に揺れていた。
(……断れないやつ、これ)
深くため息をつき、俺は――頷いてしまった。
その瞬間、香りがふわりと弾ける。
まるで“新たなルートが解放されました”と告げるみたいに。
(ああ……また分岐した……!)
頭を抱える俺の前で、ジャスミンは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ。ありがとう。あなたの香りが、待ち遠しかったわ」
窓から差す光が、金色の花弁みたいに揺れる。
その真ん中で、ジャスミンの香りが優雅に舞い、
俺の心を――静かに、確実に染めていった。




