2-5
翌朝。
香奏院の献上室には、朝日とともにさまざまな香りが満ちていた。
各精油が調香師に自分たちの香水を差し出す――
本来なら静謐で神聖な儀式のはずだった。
俺とオレンは並んで立ち、昨夜生成した香水を瓶に詰めて持ってきていた。
透明なガラスの中で、淡い金色の液体が光を反射する。
柑橘とミントの香りがふわりと漂って、思わず胸が熱くなる。
「……落ち着けよ、スペア。別にやましいことしてるわけじゃないし」
「いや、十分やましいと思うけど!? 香水の生成方法的に!」
昨夜の出来事を思い出した瞬間、顔から火が出そうになった。
オレンは平然とした顔で瓶を掲げ、
「俺たちの香り、完璧だろ」と言わんばかりに自信満々だ。
そして、ドアが開いた。
「失礼しま――」
――そこに現れたのは、ラベンダーとゼラニウムだった。
二人の手にも、薔薇とハーブにミントの香りが混ざったガラス瓶。
同じタイミングでの献上。最悪の鉢合わせ。
「……」
「……」
空気が、一瞬で張りつめた。
「……おや、朝からご機嫌そうだな。オレン」
ゼラニウムの笑みが、氷みたいに冷たい。
「君たち、同室で“調香の練習”とは、ずいぶん親密なことだね」
ラベンダーの声も穏やかだが、どこか刺さる。
オレンの頬がぴくりと動いた。
「お前らこそ、夜中に“二対一”ってどういうつもりだよ。
同居人がいない隙に持ってくとか、やり口が汚ぇな」
「なっ……!」
ゼラニウムの眉が跳ねる。
ラベンダーは苦笑を浮かべたまま目を細めた。
「誤解しないで。あれは儀式的な“香水結び”だったんだ。
――純粋に、香りの融合を追求しただけ」
「ははっ、それを寝盗りって言うんだよ」
オレンの口調に皮肉が混ざる。
そして俺の肩をぐっと引き寄せた。
「調香師様に捧げる香りなら、誰にも負けねぇ。
一番のパートナーは同室の俺だからな」
言い切って、俺を腕の中におさめる。
肩口に触れたオレンの指先が、昨日よりも少し熱かった。
「……っ、お、おいオレン、離せって!」
しかしゼラニウムがすかさず前に出る。
薔薇の香りが一気に濃くなり、空気が甘く張り詰めた。
「ふざけるな。調香師様が求めているのは“深度のある香り”だ。
昨夜、私たちが生成した香水は――すでに完成している」
ラベンダーも隣で静かに微笑む。
「君と僕たちの香りは、運命的に調和してる。
ねぇ、スペア……昨夜のこと、まだ覚えてるよね?」
「ちょ、ちょっと! みんな落ち着いて!?」
焦る俺をよそに、三人の香りがぶつかり合う。
ミント、柑橘、薔薇、ラベンダー――
まるで香りの戦場だ。
「おいおい、部屋の空気が重いって!」
「黙ってて、スペア」
「今はどっちの香りが優れているか、決めるだけだ」
オレンのオレンジティーの香りが強くなる。
対抗するように、ゼラニウムの薔薇が濃く香り、
ラベンダーの穏やかな香りがその隙を縫う。
温度が上がる。空気が震える。
(やばい、このままだと調香師様が来たとき倒れるんじゃ……!?)
焦る俺の耳に、廊下から足音。
扉が静かに開かれた。
「――静かになさい。香りが乱れておりますよ」
調香師が現れた瞬間、空気が一変した。
その声は穏やかで、しかし誰も逆らえない静かな圧を帯びている。
全員がぴたりと動きを止める。
香りがふっと収束し、朝の光の中で揺れた。
調香師は、ゆるやかに室内を見渡しながら言った。
「なるほど……興味深いですね。
これほど異なる香りが、同じ空間で衝突しながらも形を保っているとは」
四人の精油が息を呑む。
調香師は穏やかに続けた。
「どちらが優れているかを、私が選ぶことはいたしません。
――香りそのものに、決めさせてみましょう」
柔らかい口調なのに、抗う余地のない響き。
その声が空気を震わせ、香りの粒子までもが静まり返る。
(……お願いだから、爆発だけはやめてくれ……)
ミントと柑橘、薔薇とハーブ。
四つの香りが、混沌と混ざり合っていた――。




