2-4
あたたかいオレンジティー。
小さなケーキ。
二人分の用意が、しんとした部屋の空気の中にぽつりと浮かんでいた。
オレンは俺の隣に腰を下ろし、黙ったままカップを差し出した。
俺も言葉を探せず、そのまま受け取る。
息を吸うたび、柑橘の香りが胸の奥を撫で、心臓の鼓動をゆるやかに整えていく。
「……さっきのこと、謝らなくていいよ」
ぽつりと、オレンが言った。
けれどその穏やかな声の奥に、まだ小さな棘が残っているのが分かった。
「嫉妬、してたんだ。俺、ずっと」
その言葉がかすかに掠れていたのは、気のせいじゃない。
灯りの下で見る横顔は、いつもよりも幼く見えた。
「でもね、なんか……それだけじゃなくて。
君が他の誰かに、どんどん染まっていくのが……悔しくて」
オレンは視線を落としたまま、ゆっくりとカップを置いた。
陶器の底が机を打つ小さな音が、やけに鮮明に響く。
「君が自分から“混ざっていく”のが分かっちゃって。
俺、取り残されてるなって」
「……オレン」
呼んだ声が、少し震えた。
彼が顔を上げたとき、そこにあったのはいつもの柔らかな笑顔じゃなかった。
迷いと痛みを隠せない、素直なまなざし。
「ねえ、今夜……俺とも香水、作らない?」
その響きは、告白のようでもあり、祈りのようでもあった。
俺の中で、何かが小さく軋んで、それから静かに溶けた。
気づけば、俺は頷いていた。
迷いを断ち切るように、ほんの少し息を吐いて。
オレンの手が、ゆっくりと頬に触れる。
指先から、柑橘のあたたかい香りがにじみ出て、肌の奥へ沁みていく。
「……力、抜いて」
耳もとで囁く声がやさしくて、
それだけで身体がふわっとほどけていく。
触れられたところが、すこしずつ熱を帯びる。
オレンの手つきは不器用なのに、どこまでも丁寧で、
確かめるように、なぞるたびに優しさが零れていった。
目を閉じる。
彼の息が頬をくすぐり、唇が触れ、肌が重なる。
香りが混ざり、温度が一つになる。
どこからどこまでが自分で、どこからオレンなのか――
境目が、やわらかく溶けて消えていく。
「……好き、だよ」
その言葉が落ちた瞬間、胸の奥に小さな光が灯った。
痛いほど静かで、けれど確かにあたたかい。
俺は、ただ、うなずいた。
言葉はいらなかった。
二人の身体が、ゆっくりと溶け合っていく。
柑橘の香りが部屋の空気に満ちて、世界が淡くぼやけた。
夜がその匂いを抱いて、静かに呼吸しているようだった。
今夜だけは、名前も、過去も、ぜんぶ忘れていい気がした。
香りと体温と、やさしい声。
世界の片隅で、小さく瓶を満たすように、
俺たちは静かに“ひとつ”になっていった。
毛布の中でぬくもりに包まれ、ゆるやかに眠りへ沈む。
夜は長く、甘く、そしてどこか現実よりも優しかった。
――そして朝。
光の差し込む部屋で、俺の首筋にはまだ、
ほんのりとオレンの香りが残っていた。
それが、どうしようもなく心地よかった。




