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夜の香奏院。
香水献上祭の喧騒も過ぎ、校舎の明かりがゆっくりと落ちていく。
その静けさの中で、俺の部屋のドアをノックする音がした。
扉の向こうに立っていたのは、ラベンダーだった。
「スペア、今夜……少し時間ある?」
「え、ああ。どうした?」
「香りの調整をしたいんだ。君の香りが必要で」
彼の隣には、ゼラニウムもいた。
いつものように落ち着いた表情で、ただ一言。
「君を呼びに来た。少し、協力してほしい」
部屋を見回すと、同室のオレンの姿はなかった。
「今日はレモンの部屋に寄っていく」なんて言っていたのを思い出す。
部屋の中は珍しく静かで、香りも薄かった。
(……ま、どうせ暇だし。行ってみるか)
断る理由もなく、俺はふたりに連れられていった。
向かったのは、ラベンダーとゼラニウムの同室の部屋。
普段は植物と試験瓶の香りで満たされているはずの空間が、
今夜はいつもよりずっと――濃かった。
扉を開けた瞬間、熱を孕んだ空気が肌を撫でた。
ラベンダーの甘い香りと、ゼラニウムの深い薔薇の香気が絡み合い、
呼吸するだけで体温が上がっていく。
「来てくれてうれしいよ」
ラベンダーの声が、吐息のように耳をくすぐる。
(いや、俺……来たくて来たわけじゃない)
そう思ったはずなのに、ドアを閉めたのは俺だった。
紫の灯りに照らされた部屋。
ラベンダーが香油の瓶を手に取り、ゼラニウムが香陣を描く。
どこかで心臓の鼓動が混じる音がした――たぶん、俺の。
「力を抜いて」
ラベンダーが俺の手を取る。
その掌が、驚くほど熱かった。
喉元に落ちた香油が、一滴、肌の上を滑る。
その軌跡をラベンダーの指が辿るたび、
冷たさと温かさが交互に刺さってくる。
「……ミントの香り、シャープだね。
息を吸うと、胸の奥まで沁みてくる」
ゼラニウムが背後から低く囁く。
その声が耳に触れただけで、全身が反応した。
「……お前ら、これ本当に調整か?」
「もちろん」
ラベンダーが笑う。
「でも、香りは理屈じゃない。
混ざる瞬間が、一番美しいんだ」
指が肩をなぞる。
ゼラニウムの手が背中を支え、ラベンダーの香りが頬を包む。
ふたりの呼吸が近すぎて、どちらの熱かわからなくなっていく。
「……感じる?」
ラベンダーの囁きが耳に落ちる。
「今、僕たちの香りが君の中で混ざってる」
息を吸う。
ミントと薔薇とラベンダー。
そのすべてが絡み合って、空気さえ甘くなる。
「まるで――同じ鼓動をしてるみたいだ」
ラベンダーの言葉に、ゼラニウムが微笑む。
「そうだな。もう誰の香りか、わからない」
香気が一瞬、光に変わる。
脈打つように室内を巡り、三人の輪郭を淡く照らした。
その一瞬、俺は確かに、自分という境界を忘れていた。
けれど、不思議と怖くはなかった。
(……この世界で、俺は確かに“生きてる”)
ラベンダーが囁く。
「これが“香水結び”……僕らの香りは、もう離れられない」
ゼラニウムが頷く。
「お前がいると、新しい香りが完成する」
――なら、それでいい。
名前が呼ばれなくても。
“スペア”としてでも。
三人で作った香りは、
瓶の奥で、淡い温度をたたえながら、
夜が明けても消えずに漂い続けていた。




