あの日、あの場所で、たくさんの人間の人生が変わった。
「尾口先輩“も”あの日、巻き込まれていたんですね……」
その言葉に、尾口は一瞬まばたきを忘れた。
“も”――。
その一文字に、含まれた意味を察して、後輩の方を振り返る。
「まさか、伸一郎……」
「オレの両親も、その日、あの駅にいて。巻き込まれたって、聞きました」
静かな声だった。けれど、その奥底に沈む感情が読み取れた。
「オレは家で留守番していて、無事だったんですけど……」
そう言いながら、伸一郎は口元だけを笑わせる。だけど、その表情が乾いて見えるのは、尾口の気のせいではなかった。
生き残ったのは、幸運だったのか、不運だったのか。
あの場にいたら、生きているのは奇跡に近かった。けれど――ひとり取り残され、家族もいない世界を生き続けることが、果たして幸せだったのか。
掛けるべき言葉が見つからず、尾口はただ、「そうか……」と、呟くことしかできなかった。
遠くで電車の音が響く。しかし、あの日の駅にいた尾口の耳には、まるで別の音が蘇る。
崩れ落ちるホームの軋み。遠くで響くアナウンスの悲鳴のような断片。血の匂いに混じった、鉄と焦げたコンクリートの臭気。
あの日、あの場所で、たくさんの人間の人生が変わった。
突如として現れた怪人は、何の前触れもなく駅に降り立つと、無秩序に破壊を始めた。
プラットフォームは引き裂かれ、車両は投げ出され、電線が千切れた。人々はなすすべもなく、吹き飛ばされ、飲み込まれていった。
もし、あの時――。
魔法少女が現れなければ。
被害は、もっと、もっと拡大していただろう。
けれど、それでも間に合わなかった命が、数え切れないほどあった。
そして、その数え切れない命の中に、トモコもいたのだ。
「……先輩?」
伸一郎の声に、尾口はハッと我に返った。
「いや……なんでもない」
考えても仕方のないことだ。それは、もう十五年前に終わった話なのだから。だが――心の奥で、何かがくすぶる感覚が消えなかった。
尾口はふっと息をつく。
でも、あれは——。
あの日、見たものの全てが、未だに尾口の中でぐちゃぐちゃに絡まり合っている。
あの魔法少女の姿。
見た目は確かに人間の少女だった。
だが—強烈な違和感。それが何だったのか、今でもうまく言葉にできない。
恐怖、確かにそれはあった。
だが、それが怪物に対する恐怖だったのか?
それとも……もっと別の何か。
あの化け物は、ただひたすらに暴力的だった。
プラットフォームを割り、電線を引き裂き、人間を吹き飛ばした。だが——その動きには、意図があった。
ただの破壊ではない。まるで「何かを探していた」ように見えた。
それが何だったのか、わからない。
だが、誰もその意図を知ろうとしなかった。
皆が魔法少女に助けられたと思っていた。
ただ目の前の怪物を倒した「英雄」として。
何度も、その場面を思い出す。魔法少女が現れる瞬間、怪人が見せた一瞬の動揺が、尾口の心に焼き付いて離れない。
だが、その疑念を深く考えることができなかった。
周りはすべて、魔法少女が「英雄」であり、怪物が「敵」だと信じ込んでいたからだ。それに尾口も従った。疑問を抱くことは、あの場で命を失った人々への無礼だと思ったからだ。
しかし、そんな思いをしながらも、あの時、感じたものを尾口は無視できなかった。
あの怪人は人間を殺し、無差別に破壊していった。でも、魔法少女が前に立った瞬間を目撃した尾口は、感じた。あの暴力の中に、どこか他のものが混じっているような――
その暴力の中に見えた、わずかな「躊躇い」だった。
大会での試合中、どんなに強い相手でも、力を抜いた瞬間に気づく。敵意を隠す者の動きには、必ずその兆候がある。
その瞬間、尾口は一つの仮説を抱いた。
あの化け物は本当に「敵」だったのか?
それとも、何か他の目的があったのではないか――と。
だが、その疑念は確信に変わることはなかった。あれから十五年、尾口はその答えを見つけられずにいる。どんなに考えても答えは見つからなかった。
だからこそ、尾口はもう一度、あの時の感覚を確かめたくなる。あの一瞬の疑問が、今でも心の中で燻り続けているから。




