ンガァ
会計を済ませた尾口は、ぐったりした伸一郎の荷物を背中に背負った瞬間、ポケットから何かが滑り落ちるのを感じた。
「おっと……」
足元に目を向けると、地面の上で光を反射するスマホ――伸一郎のものだ。
拾い上げようと屈みかけた、その時。
――着信音が鳴る。
尾口の手が止まる。
画面には、“雪ちゃん”の文字。
(……来たか)
尾口は、一瞬だけ考えた。
このまま無視してもいい。だが、どうせ何度でもかけてくるだろう。
それに、こいつが今まともに会話できる状態じゃない以上――
(仕方ねぇな)
指先で通話ボタンをスワイプする。
『……伸一郎?』
静かで、乾いた声。
尾口が想像していた“藤原雪”とはまるで違っていた。
「あー、すみません。伸一郎クンのアルバイト先の上司です」
電話の向こうで、微かに息を呑む気配があった。
「伸一郎クン、だいぶ酔っちゃって。自分が誘った手前、責任を持って介抱するので安心してください。明日の朝にはちゃんと帰します」
数秒の沈黙。
『……そうですか』
雪の声は、どこまでも静かだった。
「ええ。そちらももう遅いでしょうし、学生さんにこんな深夜で歩かせるわけにはいきません。こっちは任せて、今夜はゆっくり休んでください」
電話の向こう側で、沈黙が落ちる。
息遣いすら聞こえない。
それがかえって不気味だった。
(こいつ……)
尾口は、この“藤原雪”という人間に、初めて得体の知れないものを感じた。
『……わかりました』
そう言った雪の声は、ほんのわずかに低く、微かに硬くなっていた。
尾口は、それに気が付かないふりをして「それじゃ、また明日」と、言って通話を切る。
スマホの画面が暗くなるのを見届け、尾口はふぅっと息を吐いた。尾口は呑気に酒に潰れて寝ている伸一郎の顔を見る。
「伸一郎……おまえ、とんでもねぇ女に惚れちまったな」
伸一郎は返事をするように「ンガァ」と、鳴いた。




