キャラメル
怪人1-44
尾口先輩に代わって受けた健康診断は、思いのほか時間を取られた。
それでも夜間授業には間に合い、伸一郎はようやく教室の席に腰を下ろす。
だが、授業の内容はまるで頭に入ってこなかった。
(保証はされるって聞いたけど、全額じゃないよな……休んでる間、短期のバイト探さなきゃ)
ぼんやりとそんなことを考えながら、ボールペンを指先で弄ぶ。
試験が終われば、もうすぐ夏休みだ。
その間にどうにか生活費を稼がないと。
(……ああ、それにしても、腹が減ったな)
ぐぅ……
腹の奥が鳴る。
だが、これは単なる空腹の感覚なのか?
ふと顔を上げると、教室の全景が目に入った。
前の席で真面目にノートを取る生徒。
隅の方で肘をついて居眠りをしている生徒。
講師の声にうんざりした表情を浮かべる生徒……
男も女も、若いも老いも関係なく——
実に、美味しそうな”欲望”が実っている。
(……?)
喉が鳴った気がした。
伸一郎は無意識のうちに唾を飲み込む。
何が美味しそうだって? 欲望?
自分が何を考えたのか気づいた瞬間、ゾッとした。
(なに考えてんだ、オレ……)
思わず視線を下げる。
ペンを弄ぶ指先が、じんわりと汗ばんでいた。
「——おい」
小さな声が耳元で囁かれた。肩がビクリと跳ねる。
「伸一郎クン、大丈夫か?」
隣に座って授業を受けていた夜麻崎だった。
落ち着いた声と、やや低めの温かい眼差し。
伸一郎が学内で数少なく「まともな大人」と認識している人物だ。
「あ、なんか……ボーッとしちゃって……」
慌てて取り繕うと、夜麻崎はふっと笑い、懐から四角い茶色の包みを取り出した。
「ほら。糖分が足りてないんじゃないか?」
それは、キャラメルだった。包みを受け取ると、指先にふわりと馴染む軽さがあった。
(……懐かしい)
子どもの頃、親しんだ小さなお菓子。
甘くて、安心できて、何も考えなくても美味しかった。
「ありがとうございます」
そう言おうとしたのに、喉がつかえて声が出なかった。
伸一郎はただ、唇の動きだけで言葉を作った。
夜麻崎は気にする様子もなく、静かに微笑んだ。
「今日はいつもより顔色が悪いね」
「……そう、ですか?」
「うん。あんまり無理しないほうがいいよ。疲れてるときは、ちゃんと休む。食べる。寝る。人間、基本が大事だからね」
優しい声だった。
(オレは……)
さっきまで、自分は何を考えていた?
男も女も、若いも老いも平等に**「美味しそう」**だなんて——。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
(……オレは何やってんだ)
自分が自分であるはずなのに、自分じゃないものになっていくような感覚。
夜麻崎の言葉が染みるほど、それが際立って怖かった。包みを剥がし、キャラメルを口に放る。甘い風味が広がった。
——これは、普通の味だ。
伸一郎は、奥歯を強く噛み締めた。




