誰が腹を空かせているのか
伸一郎が医務室を去ると、白衣を翻していた瑞穂の動きがふっと止まった。
聴診器を机に戻し、深く息を吐く。
そのまま椅子の背にもたれ、虚空を見上げていたが――ドアの外からわずかな金属音がした。
「……ふふ。伸一郎クン、全然気が付かなかったね」
黒衣の産業医はぼんやりと呟く。
医務室の隣の倉庫の扉が開く。
油の匂いとともに、尾口が姿を現した。右肩にかけた装備のホルスターが、光を鈍く反射する。
「おぐっち。伸一郎クンに対して警戒しすぎでしょ? なーんにもなかったじゃん」
「“なかった”ように見えるだけだ。あってから武装したんじゃおせぇんだよ」
「もう。可愛い後輩の伸一郎クンが今のキミを見たら、びっくりするよ。尾口・せ・ん・ぱ・い」
「殴るぞ」
瑞穂は笑う。医者らしい微笑み――だがその奥に、何かを観察するような冷たさがある。
「いやぁ〜しかし、さっきの発言にはびっくりしたよねぇ」
「……」
「“食べたい”って言われるとは思わなかったよ。あれ、本当にセックスしたいって意味じゃないよね?」
「知らねぇよ。本人に聞け」
「あー尾口クン、イライラしてる〜」
からかう声に、尾口は眉をひそめた。
――だが瑞穂の笑みは、すぐに消えた。
視線が扉の方へと流れ、残響のように、伸一郎の残り香がそこに漂っている。
「……ねぇ、おぐっち」
「なんだ」
「“食べたい”ってさ。あれ、あの子の意思じゃないかもしれないよ」
瑞穂の声音には、淡い愉悦と、微かな恐怖が入り混じっていた。
尾口は無言でホルスターの留め具を確かめた。
「……やっぱり、いるのか」
「ええ。たぶん、もう完全に中で目を覚ましちゃってる」
蛍光灯の白が、瑞穂の眼鏡に冷たく反射した。
彼女はまるで何かを楽しむように、指先で机をとんとんと叩いた。
「さて――可愛い伸一郎クンが、“誰”の腹を空かせてるのか。調べなきゃね」




