お前はおいしそうだなァ
怪人1-38
眠れない夜
湿った風が、開け放した窓から吹き込んだ。
夏の始まりを告げる夜風は、昼間の熱を残しながらも、どこか肌に馴染む。
遠くで蝉が鳴き始めたのか、かすかな声が響いている。
この部屋にはエアコンなんて気の利いたものはなく、扇風機の首を回しながら、伸一郎はうっすら汗ばむ額を拭った。
古いアパートの一室。
床が軋むのは当たり前で、風が吹けば壁もどこかで鳴る。
だけど、この狭い部屋には慣れた。
炊飯器の上に、まな板と包丁を乗せたままの小さなキッチン。
コンロは二口で、それでも工夫すれば十分料理はできる。伸一郎は料理をするのが好きだった。
この日も、バイト帰りにスーパーに寄り、特売の豚肉を選び、家に帰ると手際よくカレーを作った。
それなりに料理には自信がある。
火加減と煮込み時間を間違えなければ、カレーなんて失敗しない。
少し甘めに仕上げたルウを炊きたての米にかけ、いつもより多めに食べた。
雪も「美味しい」と言ってくれた。
食べ終えて、皿を片付けた後、伸一郎は銭湯に行った。
このアパートには風呂がない。
そのため、昔ながらの銭湯に通うのが日課だった。
アパートを出ると、地面から立ち上る熱気が足元を包む。
夜風が吹いていても、アスファルトはまだ昼間の熱を持っていた。
銭湯の暖簾をくぐると、ほんのりと石鹸と湯の香りがした。
番台には見慣れたおばあちゃんが座っていて、軽く会釈をする。
湯船に浸かると、じわりと全身の力が抜けた。
肩まで湯に浸かりながら、ぼんやりと天井を見上げる。
夏の夜の湯気が、ゆらゆらと揺れていた。
体を洗い、湯上がりに牛乳を一気に飲んでから、アパートに戻る。
玄関の扉を開けた瞬間、部屋の暑さがむわっと身体に絡みついた。
――暑いな。
そう思いながら、窓を全開にする。
そのまま扇風機の前に座り、冷えた身体に風を浴びた。
そして、そのまま手を伸ばし、充電ケーブルを手に取る。
しばらく無言で、それを見つめていた。
スマホに挿していたプラグを外し、指先で絡め取る。
自分は大丈夫。
大丈夫に決まっている。
こんなことをする必要なんて、どこにもないはずだ。
……それなのに。
伸一郎は、ケーブルを片手で握り、もう片方の手首にぎゅっと巻きつけた。
ぐるぐると何重にも巻いたあと、端を指で押し込む。
これで、動かせない。
「……何やってんだ、俺」
笑いながら呟いてみる。
けれど、喉の奥がひどく乾いていた。
カレーを食べた後、雪が「ごちそうさま」と笑った瞬間、その唇が艶やかに見えた。
――美味しそうだな。
理屈もなく、拒否反応もなく、あまりに自然に。
「違う、違う、違う……っ」
考えちゃいけない。
二度と、あんなこと考えちゃいけない。
伸一郎は、寝苦しい夜を過ごすことになった。




