表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/50

常識

教室のざわめきが少しずつ遠ざかる。

伸一郎は机に突っ伏したまま、ぼんやりと考えていた。


 普通、骨折は一晩では治らない。

 それは人類共通の常識のはずだ。

 魔法少女はその枠に入らないのだろうか?


 ――いや、たまに魔法少女が怪我を負ったり、最悪亡くなったりするニュースを見たことがある。


だから、魔法少女も怪我はするのだ。彼女たちの魔法は万能じゃない。


 でも……雪ちゃんは。


「伸一郎くん、どうしたんだい?」


優しい声が降ってきた。

顔を上げると、目の前には夜麻崎さん。


「夜麻崎さん……」


初老の大学生、夜麻崎。

大手メーカーを定年退職後、学び直すために夜間大学に入学したという、物腰の柔らかな紳士。

彼はなにかと伸一郎を気にかけてくれる。


その優しさが、今日はありがたくもあり、少し気恥ずかしくもあった。


「夜麻崎さんって、骨折したことありますか?」

「骨折か~。僕はないけど、しょっちゅう骨を折る知り合いならいたなぁ。懐かしい。元気かなぁ」


しょっちゅう骨を折る知り合い――なかなかインパクトのある話だが、今の伸一郎には突っ込む余裕がなかった。


「普通、骨を折ったらギブスをしますよね?」

「そうだねぇ。僕の知り合いもしていたよ。お風呂に入るのも大変そうでねぇ」

「お風呂は確かに大変ですよね。オレも子供の頃に骨折したことがあって、三ヶ月近くギブスしてたんですけど……普通、それくらいかかりますよね……!?」


夜麻崎は一瞬考え込み、やがて記憶を探るように視線を上げた。


「まぁ、そうだねぇ」


穏やかな口調でそう言うと、彼は微笑んだ。


「知っている人が骨折でもしたの?」

「ええっと……そうですね。知り合いが……怪我したんですが……なんか、治りが早くて驚いちゃって」


本当のことは言えなかった。

骨折した翌日に治っていたなんて、どう考えても異常だ。


 でも、誰かに話さなければ、とても普通の顔でアパートには帰れなかった。


「……いやぁ、案外、治りが早い人っているもんだよ」

「え?」


 伸一郎が顔を上げると、夜麻崎はどこか懐かしげに目を細めた。


「僕の知り合いもね、ギブスを嵌めたと思ったら、一週間で嫌になって外しちゃってね。お医者さんに怒られてたよ。も~おかしくておかしくて」


思い出し笑いをする夜麻崎に、伸一郎もつられて笑った。


「あ、あはは……そう、なんですね」

「そうそう。昔の軍隊にも、銃弾を受けても死なない人がいたそうだから、そういう体質の人っているんだよ」


 ――体質。


そう言われると、そんな気がしてくる。

オレが単純だから、というのもあるが、夜麻崎の語り口があまりにも穏やかで、説得力があった。


 そうだ。

 そもそも雪ちゃんは魔法少女なのだ。


魔法少女だから、普通の人間とは違う治癒能力を持っているのかもしれない。

あるいは、別の魔法少女が治してくれたのかもしれない。


 ……それなら、納得できる。


オレは、今まで極力都合よく解釈しないようにしていた“魔法少女”という存在を、自分にとって都合よく納得するために使った。


「夜麻崎さん、ありがとうございます。気持ちが楽になりました」

「お役に立てたならなによりだよ」


夜麻崎は目尻の皺を深くして、ニコリと笑った。


その笑顔はあまりにも穏やかで、あまりにも優しくて――

伸一郎の不安は、夜麻崎の言葉に溶かされるように霧散していった。


◇◆◇◆


夜間大学を出て、駅までの道を歩く。夜風が肌寒く、春の名残の風が上着の裾を揺らした。


 さっきまで夜麻崎さんと話していたおかげで、頭が少し軽くなった気がする。考えすぎても仕方がない。雪ちゃんは魔法少女だ。普通とは違うことがあっても……まあ、そういうものなんだろう。


 時計を確認すると、21時30分。電車はすぐ来るはずだった。


 改札を抜けて、駅のホームへ向かう。ベンチに座ってスマホを取り出し、なんとなくニュースを開いた。魔法少女関連の小さな記事を眺めながら、ふと意識が遠のく。


 ……気づけば、電車が来ていた。


 少し驚きながら立ち上がり、乗り込む。車内はそこそこ混んでいた。適当にドアのそばに立ち、揺れに身を任せる。窓の外の景色が流れていくのをぼんやり見つめながら、ポケットからスマホを取り出した。


 ホームで見たニュース記事の続きを開こうとした時、ふと違和感がよぎる。


 電車に乗る前、確かに時刻は21時30分だった。


 では、今は……?


 スマホの画面を点けた。


 23時14分。


 「…………え?」


 手が少し震えた。何かの間違いかと思って、もう一度確認する。画面は変わらない。SNSの通知も、時間通りに流れている。


 そんなバカな。電車に乗ったのはついさっきのはずだ。乗った時点でせいぜい21時40分。目的の駅までは30分もかからない。なのに、2時間近く経過している。


 慌てて車窓の外を見た。暗い街並みが流れていく。どこだ、ここは——?


 伸一郎は駅の構内で寝落ちしていたのか? それとも、電車の中で気を失っていた?


 それなら、それを思い出せるはずだ。でも、記憶が抜け落ちている。時間が飛んでいる。


 「……はは、寝ぼけてんのか、オレ……」


 誰にともなく呟いて、スマホをポケットに戻した。冷たい汗が背中を伝う。


 このまま家に帰れば、何もなかったことにできるだろうか。


 それとも——。


(この時間のズレは、雪ちゃんと関係があるのか……?)


 その考えが脳裏をよぎった瞬間、電車のスピーカーから目的の駅のアナウンスが流れた。


 降りなきゃ。


 体が重く感じるのは、疲れているからだろうか。それとも、別の理由があるのだろうか。


 電車を降りると、夜の冷たい空気が肌を刺した。時計は変わらず23時14分を示している。


 ——それでも。


 家に帰れば、雪ちゃんはいるはずだ。


 何事もなかったかのように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ