バニラアイス
このシーンは『魔法少女は傅かせない』の第一章『春1-11』から『春1-16』までと時間軸がリンクしています。読まなくてもある程度大丈夫ですが、背景は読み取りにくくなってます。すみません。
春の暖かさにゆるりと溶け出したバニラアイスが、白くねばつく雫となって伸一郎の指を汚していく。冷たいはずのそれは、妙に生温く、粘りつくような感触が不快だった。
「……?」
ふと、手元を見た。自分が握りしめているのは、半分も食べていないコーンに盛られたバニラアイス。けれど、なぜ自分がこれを持っているのかが分からない。
買った記憶も、誰かに渡された覚えもない。
ただ、手の中にそれはあった。
ポタリ、と雫が落ちる。
地面に滲む白い染みが、妙に生々しく見えた。
何かが抜け落ちている感覚。確かに“今”を生きているはずなのに、その直前の記憶が曖昧だ。まるで、目を離した隙に世界が書き換えられたみたいに。
ざわめく周囲、見覚えのある景色、だがどこか違う光景。遠くで響く割れたガラスの音に、伸一郎の心拍がじわりと早くなる。
「……なんだ。なんで、オレは……。どこだここは……?」
自分が何をしていたのか、なぜここにいるのか──思い出そうとするほど、溶け落ちたアイスのように、記憶は指の隙間からするりと零れ落ちていく。
コンクリートにひび割れが走り、半壊した家屋の残骸が散乱している。観光地らしい洗練された建物のいくつかは無惨にも押しつぶされ、粉塵の匂いが鼻についた。
その中心には、巨大な影が横たわっている。
それはすでに動かない。怪獣──の、死骸。
おそらくは討伐された後なのだろう。
巨大な体躯は建物を巻き込むようにして倒れ込み、その下敷きになった家屋は見る影もなかった。無数の亀裂の入った壁、剥がれ落ちた看板、あちこちから噴き出る水道管の水。入り乱れる緊急車両の赤色灯が、その惨状を脈打つように照らしていた。
伸一郎は呆然と立ち尽くしていた。
どうしてここにいる?
いや、その前に──どうやって?
「……おい、君!そんなところにいたら危ないぞ!」
聞いているのか?と、呼びかけられた伸一郎はハッと顔を上げた。
警察官がこちらを見ている。その表情には、若干の警戒が混じっていた。こんな場所にぼんやりと突っ立っていれば、そりゃあ不審に思われるだろう。だが、何か答えようと口を開きかけた瞬間──
『あ、ヤベ。切れちまった』
頭の中で、自分の声によく似た別の声が響いた。
何かが弾けるような感覚があった。世界が急激に暗転し、意識が引きずり込まれる──
そして、次に目を開けたときには、見慣れた風景が広がっていた。
最寄り駅の前。
家まで歩いて数分の距離。
軽井沢の瓦礫の山と赤色灯はどこにもない。
「……え?」
電車に乗った記憶もない。
移動した実感すらない。
ただ、一瞬の間に全てが飛んだような──そんな、ありえない感覚だけが残っていた。