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METAL HUMA  作者: NAO
チャプター1「カスケード」
9/40

EP#5「接触」




 昼過ぎの窓から差し込む明かりが部屋に舞う埃を浮かび上がらせている、ベッドシーツの衣擦れに、彼女の白い肌は時折ブランケットとの境を見失わせる。部屋に充満する混ざった汗の匂いは、男のそれよりはレレイの印象が強い。


 彼女はロナに細い脚を絡ませ、二人は横になりながら午睡に浸っている。


 精悍な背中に手を回し、男の力強さを確かめることにレレイが夢中でいると、欠伸と共にロナが目を覚ました。


「何か飲む?」

 彼女はロナが目を開けるのを待っていたようだ。


「……バッグに官品の紅茶があるから、それを飲もう」

「お湯沸かすね」


 笑みを浮かべてベッドから半身を起こした彼女を、ロナは肌恋しくなったのか抱えて捕まえた。


「もう……」

 このままベッドに入り込むか、紅茶で一息つくか小さな葛藤の後、ブランケットで胸元を隠す彼女は優しくロナの手を解いてベッドから降りるとストーブの上にケトルを置いた。


「あのお金、本当に貰っていいの、とても大金だから……」

「いいんだ、子供たちに使って」


 ダンから渡された分け前を丸ごとレレイに渡していた、ロナにとって生活も何も給料で事欠くことは無く、現金が手元にあっても使いどころも無い、であれば苦しい生活を強いられているレレイやエディ、ジェフ、キャロル、ベラの暮らしの何か足しにでもなればというのがロナの本心だ。


「それじゃ、私があなたから何もかも貰いっぱなしじゃない」

「レレイがいるだけでいい、それが一番俺にとって大事なんだ」


 彼の言葉に口元が緩む、レレイにとって、ロナは今まで出会ったことの無い男だった。奪わず、傷つけず、不安に等させない事はおろか、駆け引きもへったくれもない真っすぐな言葉と、いつも何か案じて与えてくれる。


 彼女からすればその辺の兵隊など皆危険な暴漢に過ぎないのだが、彼だけが例外であった。


 その存在が非現実的に思えるほど、彼女にとってこれ以上ない愛情の拠り所となっている。 


「それじゃ、今度来てくれた時とびっきりおいしいシチューを作るね、野菜もお肉もたくさん入った温まるシチュー、好きでしょ?」

 ロナが渡した分け前は、単なる食事程度で多少の無駄遣いをしても余りある金額だった。


「それすごくいい、シチューなんていつぶりだろう、……絶対に次の出撃では死ねないな」

「……そんな事言わないで、あなたは必ず帰ってくるし、絶対に負けない、私、あなたがいなくなるなんて考えられないの……」

 ロナとの夢こそが精神的支柱の彼女にとって、ロナの死などひと欠片でも連想したくなかった。


「ごめん、不安にさせてしまった」

 ロナはベッドを降りると後ろからそっと手を回し、彼女を強く抱きしめた。レレイからすれば戦う男の筋張った腕は木の幹のようで、彼女の細い腕はロナの手を優しく包んだ。


「ううん、戦ってるのはロナなのに、私強くならなきゃ……」

「大丈夫、俺は絶対に死なない、レレイの作るシチューが待ってるなら必ず勝って生き残れる」

 軽口に彼女は少しはにかんだ、ロナは彼女の髪に顔を埋め、深く息を吸い込んで肺をレレイの匂いで満たした。


「それじゃ、シチューの次は何にする? もしかしたらパイも作れるかも」

「いいや、レレイにする」

 ロナはレレイの唇を塞ぎ、彼女は目を瞑り受け入れた。


 ストーブの上にあるケトルの注ぎ口からは熱い蒸気と吹きこぼれ、二人へ紅茶の時間だっただろうと示すようだった。


「お茶、淹れなきゃね」

 レレイはそっとロナを宥めて用意を始めた。


 ポットにお湯が注がれ、カップを琥珀色が満たした。

 レレイが淹れた紅茶の香り、レレイの匂い、声、肌、温もり、ロナはここにいる時だけ、五感に感じるもの全てを彼女に塗り替えて過ごしていられる。


 並んでベッドに腰をかけて、二つのカップが立ち昇らせる湯気は冷める事を知らない二人のようだった。


 それから緩やかな時間が過ぎ、やがて駐留地へ戻る時刻が近づきロナが身支度を済ませた後、二人は惜しむように口づけをして彼女はロナを見送ったのだった。



 モーテルを出て、モトに跨りハーフヘルメットを被ってキーを捻ると背後より面識も心当たりもない男から声をかけられた。


「ロナワイズマンだな、少し話をしないか」

 ロングコートに狐色の短髪の男は、保安局のバッジを見せた。


「場所はどこでもいい、そこのスタンドバーでもいいし、立ち話でもいい」

「それじゃ……立ち話で」

 スタンドバーで話をしたら十中八九レレイが聞き耳を立てるだろう。


 保安局の男に呼び止められた事態にロナの緊張は高まった、例の取引か、それ以外に何があるというんだ、内心、終わったと悟った。

 名前も割れてるなら逃げても無駄だと諦め半分で、お願いすればレレイへ最後の挨拶ぐらいさせてくれる猶予ぐらい欲しいなと思いつつ、致し方なく男の誘いに乗ったのだった。


 モーテルスタンドバーから少し歩いた先にある公園、といっても既に跡形は無く、落ちた砲弾で遊具などは吹き飛んでいる、せいぜい腰かけるのに丁度いいタイヤが転がっているぐらいだ。


「タバコ吸ってもいいか」

「どうぞ」


 男は紙巻を取り出し、薬指と中指で口元へ運び縄ライターを擦って火を点けた。


「あんたも吸う?」

「いえ、結構……本題を聞かせてくれ」

 ロナはもったいつけず逮捕するなら早くしろという思いだ、しかしタバコを咥えて一息つく男に急いでる様子は無い。


「まず謝る事があってな、俺は保安局の人間じゃない、空挺旅団東部諜報コマンド所属のジョンブラウンだ、保安局のバッジは色々理解が早くて便利でな、悪かったよ」

 木に枝でもつけたような印象の名を名乗る男は小さな謝罪と共に握手を求め、社交辞令としてロナもそれに応えた。


「最近どう、前線任務とか結構忙しいんじゃないの?」

「……それで、諜報のお方が俺に何の用なんです?」

「世間話は嫌いか、いいよ俺も嫌いだ」

 ならそんな話題振るなよとロナは少々首をかしげた。


「お宅んとこのカスケード隊、横領の他に人身売買やら密輸もやっていてね、俺は一連の横領組織をとっちめる為に今こうやって仕事をしているんだ」


 単刀直入に伝えられた要件は、やはりこの件かとロナの心拍が高まる、しかし人身売買に密輸なんて、さながらギャングそのものじゃないか、隊長達は何者なんだと疑問が浮かぶ。


「俺自身は運び屋とか取引の木っ端使いには興味なくてね、もっと上の方をシバきたいんだが、あのーあれだ、内部事情で派閥とかゴチャゴチャしたのがあってな、これがしたくても出来ないんだわ」


「これ仕事の愚痴ね」

 男はタバコをもみ消して、もう一本に火を点けた。


「で、いろいろお上さんと相談した結果、とある大物の元締めを起訴して軍法裁判に立たせることは出来ないが、横領組織弱体化の目的で木っ端使いの始末はしていいって回答があってな、まぁこんなイタチごっこして何になるんだって話なんだけど、やれるならやれっていう指示でな」


 タバコをくるくると宙を指すように動かして説明している。


「しかし諜報コマンドである俺による直接行動は不可、ときたもんで、じゃどうするってとこなんだよ、つまりこの件について俺達が大っぴらに絡むと不都合みたいなんだわ」


「……俺にどうしろと」

「ダンフェイゲン隊長とディコンベッカー副隊長を殺せ、それで終わりだ」


 ロナは足元を見つめたまま、思考が加速した。

 あの二人を、どんな手段で、やれるのか、いつ、俺が。

 ジョンブラウンからの唐突な要求に整理がつかなかった。


「少し時間が欲しい、ダン隊長には不条理な事も山ほどあったが教え込まれたこともあるし、気持ちの整理がつかない」

 これは事実だった。


「……まぁいいけど、一応お願いの体裁ではあるが、やるかやらないかという選択肢ではなく、いつやるか程度の差であると理解してほしいね」

 ジョンブラウンはタバコを指で弾いて捨てた。


「あと、この件にもし協力して済ませてくれたら報酬もある、これが結構デカくてな、ロナ、あんたの年収三年分ならどうだ」


 年収三年分、これだけあればレレイと子供たちを安全な本国へ亡命と疎開させてやるには十分な金額でお釣りだって来る。ロナの貯蓄もあれば暮らしの準備に不足も無い、あの甘い夢が現実になる。


「……分かった、二日だけ考えさせてほしい、……身内殺しをするんだ、少しぐらい悩ませてくれる時間は用意してくれるだろう」

 ロナにとって考える時間とは、殺害の決意ではなく、どうすればやれるのかという手段を模索する為だ。


 ポイントはどちらか一人ではなく、二人同時にやらなければいけない。

 不意打ちで済むのは一人目までだ。


「いいぞ、あんたに限って無いとは思うがこの事吹聴しても無駄だからな、そこだけは肝に銘じておけよ、外部協力者による機密漏れは俺達の直接行動が許される、それも事後承諾でな、そしたらなんでもアリだ」

 ジョンブラウンはあえてなのか俺達と言った、単独行動な訳が無いが、これはロナにとって実力での抵抗は無意味である事を示唆した。


「……約束する、俺にとってバラしてもいい事が何一つ無いだろうしな」


「物分かりがいいじゃないか、そういう事だ、あ、それと付け加えてなんだがあんたが懇意にしてるモーテルスタンドバーの彼女、この件が済むまであの子適当に避難させた方がいいな、あいつらはいっちょ前にギャングに等しい組織力を持っている」


 立場上なんでも知りうるんだろうと、理解はするがその覗き見趣味にロナは少々嫌気がさしていた、が親身な忠告に内心感謝している。


「一応知らなかった事にしてるけど、こないだ受け取った金でそれぐらいは出来るだろう」

「……そうだな、その通りだ」


 この男の仕事では既に何もかも調べつくしていて、とっくに全てお膳立てが済まされて、今この立ち話は最後の大詰めなのだろう。ロナが依頼を済ませれば解決、失敗するなり告口すれば機密漏れと判断されて直接行動の口実となり、手段なんて考えも付かないが結局は関係者皆殺しだ。


「返事はこれにくれよ、無線なら自分の名前を言うだけでいい、電話ならかけて切るだけでいい、それで分かる」


 ジョンブラウンは小さなメモを渡した後、この宿場町に似合わないディンキーに乗って去っていった。


 ロナは忠告通り、再びモーテルに戻ってレレイへ金を使って居場所を変えるようにと伝えたのだった。




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