EP#17「喪失」
キルチームが詰所とするテントの幌の向こう、外でオリバーは胡座をかいて黒い砂へ直に座していた。
コークの瓶を片手にし、傍らには空き瓶が三本転がっている。現場の医療班が診た程度の見解ではあるが、彼の筋骨石化症についての診断結果をキルスティへ共有しようとしていた矢先、テントの中ではいかんせん割り入り難い、ロナ青年によるあまりにも気の毒な過去と心の内を明かされた現場の真っ最中であった為に、いつになったら入っても良いかタイミングを見失っていた。
図らずも盗み聞きの体となり、知らなかった事にするか、聞いたものは聞いてしまったものとして振る舞うか悩んでいた。
何故なら知らなかった事にしても言葉尻を捕まえてキルスティ隊長は突くだろうし、聞いたものとして居直っても盗み聞きをする性分なのかと冷ややかな目を向ける姿がありありと目に浮かぶ。
オリバーは、今の苦しい選択を求められている胸中を誰にぶつければ良いのか、そのやり場がない事が目下の困りごとで、砂漠の空を見上げ、これからどうなるものかと考えていた。
自身の駆体であるスクレロリンクスの特性上、単騎で相手をする事が可能なキルリストドライバーの特性は限られるだろう、楽な狙撃で散ってくれるドライバーならそうそうキルリストには上がってこない。どいつもこいつも死の宿命を叩き折って投げ返す常識外れな連中ばかりだ。
自分がキルチームの任務で生き残るには、常識外れな標的を相手に狙撃のチャンスを生み出してくれるガンファイターが必要である、キルスティと共にこなしたリストの内、これまでの三体は彼女のマルティナヴィスがいればどうにか乗り切る事が出来たが、ピク・ルイセンコのような存在や、それを超える怪物が今後目の前に現れるなら間違いなく対処もままならない内に死ぬ事になる。
ピクとの戦闘で現れたロナワイズマンという若者の戦いぶりは正に望みを体現した逸材であったが、幌の向こうで語られた様子から察するに、メンタリティの面ではあまりにも弱く、不安定であった。不必要なまでに情深いキルスティが面倒を見てくれればいいが、彼女の同情しがちな性格の事だ、入れ込み過ぎて次なる問題になって欲しくもない。オリバーにとって任務の殺しなんてフラットに済ませて終わらせたいのだ。
配属後一年間生存したドライバーはいないと言われるキルチームの任務ではあるが、オリバーにはこの隊で死ぬ気など毛頭無かった。必ず生き残り、故郷に帰ってラクな仕事でも見つけて気楽に過ごしたい。戦争でどう戦ってどう死んだ所で数字のひとつに紛れて消えるのだから。戦死に大義が無いのなら、今ある生を望んで過ごして終えたい。
オリバーは、自分の生き残りが掛かる要素のひとつであるロナ青年の問題がメンタリティなら、少しは俺も面倒を見てやらなきゃいけないかと考えた、彼を助けることで、自分も助かるならこれ以上のことはない。締め出されたような格好でいつまでも胡座をかくのを辞めて、駐駆場に鎮座するスクレロリンクスの自己修復具合を確認しに向かった、転がる空き瓶はわざとそのままにして。
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数日が経過した、砂漠の駐留地は来たる一大侵攻に向けて機甲車両や砲兵大隊が集結し、キルチームが始めに来た頃より数倍の兵力規模となっていた。
腰ほどの高さの木箱が子供のレンガ遊びのように積み上がった頂で、ロナとオリバーは並んで腰を降ろして兵隊達を眺めていた。テントの中で陰気臭く引き篭もるのにも飽き、外の空気を吸いに表へ出ても作業の邪魔とばかりに肩をぶつけられてしまうので、今いる箱の上は河川の中洲のように人の流れを避けて過ごす事ができた。
ロナは相部屋のオリバーから起き抜けに声をかけられ、多国籍軍が担いで持ってきた支援物資の中に何か退屈を紛らわせる事が叶う嗜好品でもあるか探しに行こうと誘われていた、他所の目も憚らずに二人で漁ってみたものの、そこにあったのはタバコと糖蜜や堅パン程度で、結局はコーク瓶をくすねるのが関の山だった。
「Fキットの飯があれば一層華やかなんだがなぁ」
「あれうまいんですか、オリバー准尉」
「Fキットはいいぞ、酒が欲しくなる程にうまい、チーズとパテが最高だった。あとな、キルスティ隊長も言ってただろ、キルチーム内に階級の役割なんて無いんだからな、そんなに畏まらなくていい」
「そうなんですね、オリバー准尉、これからは敬略でお呼びします」
「律儀なんだな」
ロナはオリバーが手渡ししたコークを受け取り、何本か指が動く余裕の出来た包帯巻きの手で、王冠を木箱の縁に押しつけて弾いた。オリバーがこうして食料に目敏いのは理由がある、キルチームはどこの現地部隊の指揮下にも入らないが故に、陸軍兵士達が喜んで飛び付く移動式キッチン設備で調理された温食にありつく事ができないのだ。
気前のいい隊なら何かと分けてくれる事もあるが、部隊単位で人数分の食材を管理されている為に、大抵は他所者に分けるものは無いとあしらわれるのが常である。昼頃に差し掛かかる時間帯となり、どこからか調理中の香ばしい匂いが漂い、保存食を齧る二人は満たされない思いを再確認させられた。
塩辛いサラミを齧りながらオリバーは話を切り出した。
「ロナ、キルチームについてどこまで知ってる」
「……リストに書かれたドライバーを、指示された期日までに殺せとしか」
「なるほど、それだけか。それじゃ、キルチーム03と銘打たれた我が隊に任務を命令する者だとか、他のキルチームはどうしてるのか、とか、その辺は何か知ってるか」
「何も、全く知らない」
オリバーは口の中に溜まった塩気をコークで流し込んだ。
「俺も知らない事ばかりなんだが、キルチームに命令を出してるのは、前に電信宛に届いた内容ではボガード中佐、その前はオスマンという名前で階級は書かれていなかった、どこの所属とかも無く、ただ名前だけだ」
「命令系統が任務の度に都度変わっている……?」
「どうやらそうみたいだ、他のキルチームはどうしてるって事だけど、ピク・ルイセンコの任務はキルチーム12がアサインされるところを、何かの都合で03に変わったそうだ、元々別なターゲットをやりに行く予定だったのが、急遽飛行ルートを変えさせられてアタクマ砂漠に寄越された」
機密性の高い任務という事なら、不明瞭な命令系統や、全体像の掴みづらい構成にするのは理解できるが、オリバーはどうやらそんな単純な理由ではないかもしれない、という口振りだ。
「キルスティ隊長に与太話ついでに聞いてみた事があった、その時は『他の連中は既に死んでるんじゃないのか、こんな任務、普通のドライバーなら二〜三回でも生き残れば上出来だろう、もしかしたら他の隊がしくじった標的を回されてきたのかもな。それに特殊任務の目的なんて戦時中に明かされる事はまず無いだろう』と言っていた、それは分かるんだが、俺はどうもこの任務はただ脅威度の高い敵を消すだけの目的とは思えない」
ロナは宙を見上げて少し考え、独り言のように呟いた。
「大勢のドライバーが、何かふるいにかけられているみたいだ」
その言葉に、オリバーは指を立てて向き直った。
「そう、その通りだ、俺もそう思うんだ」
「……何のために?」
「全くわからない」
オリバーは肩を竦めた。
「そもそも編入プロセスからおかしいんだよ、ここは。俺は前の部隊でコントロール側が指定した方位の指定されたターゲットを指示されたタイミングで撃ち抜いたんだ、カーマガでだ、そして帰還した後に誤射であれは味方だったと告げられちまってな、禁固刑かキルリスト作戦どっちがいいか詰められてキルリストを選んだらこのザマだ、事実上の死刑とさして変わらない」
オリバーは中指に乗せた王冠を弾いて捨てた。
ロナは、オリバーの口から伝えられた彼の過去を聞き、これは自分の身の上も伝えなければイーブンではないと考えた。ロナは足元を見つめ一考した後、目を合わせ口をやや開いた瞬間、ロナの言葉の前にオリバーは遮った。
「悪い、キルスティ隊長に打ち明けてた内容聞いちまってた、盗み聞きするつもりは無かったんだ」
前髪をかき上げ、眉を寄せた表情にはそのまま「悪かった」と謝罪の意が書かれているようだった。ロナにとって当時の事をひとつひとつ思い起こしながら打ち明けるのに、情動的にならず伝えきる自信は無く、かえって少しばかり気が楽になっていた。
「いえ、いいんですオリバー准尉、ただの身の上話なので……」
「そんな事ないだろ……辛かったな」
ロナの肩を二度叩き、オリバーは共感の姿勢を示した。ロナは自身でやった事に誰からの同情も同意も求めていなかった、それはどんな形であっても同士討ちであるのは変わらないからだ。それでも、こうして受け入れてくれる事はかけがえの無い事であり、オリバーの言葉はロナの胸の奥に届いていた。
「俺は国に住む妹を事故で失った、五年以上前の話だな……可愛いくて仕方がなかったんだ。いいかロナ、こういう事が起きると大抵の奴は『時間が癒してくれる』だとか『いつか過ぎる』とか簡単に抜かしやがるんだが、それは違う」
オリバーは続けた。
「ずっと痛み続ける、癒える事なんて無い、死ぬまで痛み続ける。でもそれでいい、俺にとって痛みは妹の存在そのものだ、大事にしなければいけないひとつの痛みなんだ。だからなロナ、痛みに怯えるなよ、それは彼女が生きたからお前の心に残った痛みなんだ」
レレイがいたから、この胸が痛む。夜を迎える度、肋骨の下から氷で出来た薄い刃が滑り込んで、胸の芯を突く疼痛にロナはそっと慈しむように自身の胸へ手を添えた。
「……説教くさいことを言ったな。勘違いするなよ、俺はこういう柄じゃあないんだ」
「いいんだ……ありがとう」
暖かい同情を込められたオリバーの言葉に、ロナの目尻には堪えた皺が寄った。
「最後に言っておきたい事がある、全員纏めてぶっ殺してやったのは最高だ、ナイスドライバーキル」
「全員、灰にしてやらなければ終われなかった、他の選択肢なんて俺には無かった……」
「その時、他の手段が頭に浮かぶ奴は男じゃない」
ロナは、軍人としては両手を上げて喜べる所業ではない反面、己の決断は揺るぎない物であると確信している。少しばかり複雑な思いであったが、ロナの回答にオリバーは瓶を高く持ち上げ、ロナは手にする瓶底を軽くぶつけた。
「ロナ、乗るのは好きか」
「得意な事がそれしかない」
二人が手にするコークの瓶が鳴らした短く澄んだ一音の響きは、これからの変化を告げるようであった。
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横たえさせて駐駆させている棺桶の中、ロナは横倒しのシートの背もたれに腰掛け、コントロールスピアを差し替えて右手だけでグリップを握った。
視覚認識もある、表層防護膜も意志に従って展開できるだろう、瞼の裏の暗闇には武装のシルエットをした輝きが見える、これを眼で掴めば武装生成は出来る筈だ。
ロナは右手からグリップを離して開きっぱなしのハッチから上半身だけを外界に投げ出した、腰に括られた懸垂下降器に結えてるロープを左手で掴み、余長を握力で調整して目視確認すべき場所を視界に入れた。
何故、欠損した右腕と左脚の自己修復が進行していない。
視線の先にあるハーストイーグルの左脚があった場所は、根本の溶痕は赤々と煌めいてこそいるが、あれから三日以上経つというのに一向に修復の兆しを見せない。
何度もスピアを交換し軽いパワー入力による刺激を与えても、結果に変化は無かった。
スクレロリンクスは八割型の復元が進んでいる。マルティナヴィスの右脚はつま先まで骨子のようなものが既に生え伸びており、あとは外殻構造体が修復されれれば十分に戦闘稼働が可能な状態となる。これほど時間が経てば、修復が何かの理由で遅くとも大腿部か肩先までは生えているというのに、ハーストイーグルは帰還直後の状態である半壊の姿から変わっていない。
ロナは目にした現象に結論をつけたくなかった。
メタルヒューマは胴体に八十パーセント以上の損壊が無ければ、大抵は勝手に自己修復が進み、時間をかければ元の姿に復元される。何千回と破壊しても一定以上の損壊さえ無ければ自己修復が行われるのだ。ただ、ロナは話に聞いた事があった、自己修復の回数は有限であると。
同じ駆体種別でも、何千何万回も修復できるものもあれば、数百回程度で自己修復が停止する個体差が存在するという。目の前の駆体があとどれぐらい修復が出来るかは確かめる術は無く、いつかくる修復素子限界を迎えるまで分からない。
一人のドライバーが一生戦い続けても、修復素子限界を目の当たりにするのは一回あるか無いかと言われる確率である。
「ロナ、どうだ」
下からオリバーが声をかけてきた。ロナは赤い溶痕を見つめながら、静かに首を左右へ振った。
その日の午後の事だった、ロナは地に胡座をかいて逆光で黒いシルエットに包まれたハーストイーグルを見上げていた。
「オリバー准尉、頼みがあります」
「なんだ、言ってみろ」
「アイツを、地上ではなく空で葬って欲しい」
「……やってやるよ」
修復素子限界を迎えた駆体の扱いにはルールがある、鹵獲や情報漏洩を避ける為に漏れなく破壊するのだ。駆体の重量は三百トンを優に超える、いくら空を切り裂き地上を震わすメタルヒューマと言えど、自重に加えてもう一つの巨体を掴んで上空まで持ち上げるのは、ドライバーへ非常に負担がかかる事であったがオリバーはロナの頼みを了承した。
スクレロリンクスが稼働し、地上十メートルの高度へ浮上した。いちいち目に砂が入りそうな強風が辺りを包んだ。
ハーストイーグルの真上につき、両足の先の爪で掴んだ。無稼働の駆体に残っていた手足は、重力に負けて垂れ下がっている。
徐々に上空へ牽引されていき、雲に隠れて消えた。
自分の体が、鳥に拐われていったみたいだった。
それを眺めるのは、不思議な感覚だった。
胡座をかいて雲間をただ見上げているロナの傍らには、キルスティが無線機を持って立っている。しばらくの時間が経ち、彼女が手にする無線からオリバーの声がした。スクレロリンクスは予定高度二千五百に到達したようだ。
オリバーの無線に了解と伝えたキルスティはロナに訊ねた。
「ロナ、いいか?」
ロナはキャップを深く被り、俯いた表情のまま首を縦に何度か揺らした。不本意だけど仕方無いんだわかってる、ロナは口にしないがその声がキルスティには聞こえるような佇まいであった。
「グラウンドパス、ルッキングクリア、ドロップアプルーブド」
キルスティはロナの答えを一瞥すると、無線の送信機を口元へ当てて、地上に障害は無く投下を許可する旨をオリバーへ送った。
「グラウンドパスラジャー、キャプチャードロップ、キャプチャードロップ」
キルスティが手にする無線のスピーカー越しに届いたオリバーの声は、空中でハーストイーグルを投下した事を通知した。
思えばドライバーとして実戦配置されてから、ずっとあれに乗ってきた。
ただの棺桶だったんだ、あんなものは。
反応は硬いし、癖だらけで仕方がなかった。
ただ、他の駆体に慣れるのが面倒だったから、他種への転換を拒否してきた。
でも、死ぬ時はあの棺桶の中だとずっと思っていた。
あれで殺してきたんだから、あれで死ぬのだと思っていた。
いつも乗る度に、これで死ぬと思っていた。
降りる度に、次は死ぬと思っていた。
俺の棺桶だった。
俺だけの、あの世への渡し船だった。
中身より先に、棺桶が先に壊れるなんて。
俺を置いて。
先に壊れた。
「カーマガ・スタンバイ」
俺の血を一番吸ってきた。
俺の魂を一番食ってきた。
俺の肉を灼くはずだった。
俺の骨を灼くはずだった。
「ファイアリング・ナウ」
遠くの雲間から、黒い欠片がぽつりと零れた。
灰色の雲は、雷雲みたく光った。
「あっ」
どうしてか、手を伸ばしてしまった。
自分の体の一部を失くしてしまうから。
意志から、脳が、肉を通して、骨を伝って。
あの鉄が力に変えていた。
それが、消えるから。
遥か雲の上から撃ち降ろされた一条の光柱は、燐光を放ち黒い欠片を貫いて、光が黒を呑み込んだ。無数の火花を散らし、糸杉のような溶鉄の束がいくつも空中に舞った。
遠雷の残響が、遅れて届いた。
轟音の中に、構造体が崩壊して響かせた音は、鷲の鳴き声のように聞こえた。
全ての音は、響いて残滓になって、消えた。
伸ばした手の先には、空のみが残された。
キルスティはオリバーへ効果確認を伝えた後も、座り込むロナの気が済むまで傍らに立っていた。
止まない風だけが、耳に残っていた。




