EP#16「吐露」
「昨日、キルチーム03に着任しました、ロナワイズマン二等駆兵です」
指令所の二段構造の奥、ロナは簀巻きの左手を腰に揃え、赤く血が滲んだ包帯で巻かれている右手は額に添えて肘は教本基準通りの角度を維持していた。前任の隊では一度もする事が無かった最敬礼をいざ少佐階級へ捧げるとなり、彼は足の開きや腰の反り、顎は上がっているか等、身体中の関節が定められた基準を満たせているか常に気を配っていた為か、その敬礼の姿は新兵のようにぎこちなかった。
「昨晩は急ぎの報告でありましたので、経緯について補足します。私とオリバー准尉がピク・ルイセンコとの戦闘中、着任に向けてフェリー飛行中の彼は偶然予定よりも早く戦域へ接近しており、既に我々が戦闘中である事を知るとそのまま戦闘に参加しました、辛くも苦境に立たされている中、彼の果敢な突入によってピク・ルイセンコを殺害せしめ、二体目のフォルスラコス撃破にも成功しました」
対してキルスティの姿勢は緊張を維持しつつも、柔軟さを残す場慣れした敬礼姿勢であった。バーン少佐は二人の説明を受け止めると、一度頷いて「直れ」と姿勢を休めるよう促した。
先にキルスティが姿勢を直し、次いでロナが沿った。彼女は僅か一瞬ばかり目線を動かし、左に立つロナが直り過ぎていないか確認したが、それは取り越し苦労であり、彼女は過ぎた世話であった事を自省した。
「今後については、本指令所の電信宛てへ我々キルチーム03の別命あるまで、この駐留地で待機を致します。また、マルティナヴィス、スクレロリンクス、ハーストイーグルは先の戦闘で半壊しており、戦闘行動が可能になるのは最低七日間を見込んでおります」
つまり、何かあっても駆体が戦闘不能なのでお役に立てませんが、自己修復が済むまで寝床と糧食のご相伴に預かります、という事をキルスティは淡々と述べた。
「丁寧な報告、ご苦労であった。また、貴官らの作戦結果について承知した」
バーン少佐は昨晩から睡眠を取れていないのか、定規で正した様な軍服の着用に反して、表情には深い疲れが見えていた。少佐は傍らのテーブルに置いてあるグラスの水を一口含んで喉を通した後、あの夜に何があったかを語った。
「二体のフォルスラコスをキルチームが撃破後、あの後には長い戦闘が起こった。駆け付けたサーフェイス即応隊は敵の増援であるセアラダクティルス奇形種一体と交戦し、結果は全滅。六人のドライバーが戦死した。事態急変を受け、隣接する別地域で作戦行動を終えたシェード小隊へ要請を行い、四対一での戦闘の末、一人を犠牲にして、なんとか例の敵を追い返すに至った」
少佐は一度に六人の部下を失った大きな悲しみと、戦果を轟かすシェード小隊という選りすぐりの精鋭部隊を以てしても撃退に終わったという事に、酷く落胆していた。彼が当時の状況を語る表情は強張り、目尻の皺は力むあまり深みを増していた。
「バーン少佐、申し訳ありませんでした、あの時我々が戦闘を引き継ぐべきでした」
「キルチームは命令通りターゲットのピク・ルイセンコを始末した。例の一体を相手にするのは本隊の仕事だ、加えて駆体が戦闘不能であったなら、任務外で自殺行為の戦闘などする事なく帰還すべきだ。私の見解では貴官らキルチームの判断に問題は無い」
キルスティは自身の無線がきっかけで多大な犠牲を招いた結果を知り、俯いて沈痛な表情を浮かべたが、少佐の心遣いある言葉を受け止めた。彼女の表情を一瞥した少佐はシェード小隊が帰還後に語った報告を二人に共有した。
「参考までに私から君達へ伝えたい事がある。シェード小隊の報告では、チェフ・クリッシュ、ジャン・クリッシュ中尉の二名は、例のセアラダクティルス奇形種について『カテゴリースリーのクレトクシリナを要請し、奴を空間射爆撃で域内ごと吹き飛ばすべきだ』と語っていたそうだ」
少佐は一度溜息をついて言葉を続け、あまりにも規模が大きな話にロナとキルスティは口を挟まず傾聴した。
「クレトクシリナは準戦略的存在であり、たった一体を仕留めるのに動かし難いのは当然、誰もが知る事だ。彼等は冗談を言うつもりも毛頭無いだろうが、例の奇形種と対峙して生き残った者の率直な意見だそうだ。私から伝えたいのは奴はその内キルリストに加わる可能性がある、その際はキルチームのルール等なり振り構わずに他組織も巻き込んで挑むべき標的ということだ」
「貴重な情報、ありがとうございます」
キルスティとロナは、その内自分達の身に降り掛かるのなら知っておくべき内容であったが、同時に途方に暮れるしかない存在と相対する可能性があるとは知りたくも無かった。キルチームという隊の特性上、通常任務に就くドライバーが低い確率で運悪く遭遇するスレートドライバーを常に相手にしなければいけない上に、その中でも札付きの脅威度を持つ怪物の矢面に立たされる事など悪夢以外の何物でもない。
報告を済ませたキルスティとロナは後ろへ一歩引いて、一礼をして踵を返そうとした際、バーン少佐は珍しく二人を呼び止めた。基本的に少佐は如何なる時でも余計なやり取りをしない主義であると理解していたキルスティにとっては、思いも寄らない事であった。
「ピク・ルイセンコを直接始末したのは、ハーストイーグルドライバーのロナワイズマンであったな」
少佐は一歩二歩と、ロナの前へ進んだ。淡々とした口調と心情を読めない表情は、二人に緊張を与えた。彼の目の前に立った少佐の眼は、ロナの姿を前にしながら更に遠くを見据えているようであった。
ロナは目線を逸らす事も、敬礼の姿勢を一切崩す事も無く直立している。
「はい、私が殺しました」
「そうか」
ロナは一切の脚色無しに短く回答をすると、少佐は左手で彼の肩に手を当て、そのまま滑るように首元へと進んだ。撫でるとも物色するともつかない少佐の力がこもる手先は、もう少しで彼の首を捻りかかる位置まで差し掛かった。
「奴をどう見た」
「生きていた、だから死ぬ。と見ました」
「では、死人同然の相手が現れたらどうなる」
「どちらかが生に近づいた瞬間、決まります」
砂漠の黒豹を彼がどう見立てたか、語られる超然とした回答は少佐の好奇心か、或は疑問の答えとなったのか、少佐はロナの肩から手を離し「驚かせたな」と、肩の埃を落とすように二度叩くと、後ろへ一歩引いてキルスティへ向き直った。
「キルスティ少尉、彼をよく見ておいてやれ、戦闘には強いが繊細な男だ」
「は、はい。承知しました」
「ロナ二等駆兵、自分の事は分かっているだろうが体は大事にしろ」
「はい、承知しました」
キルスティはバーン少佐の不意な振る舞いに、まさかロナが取って食われるのではと心底気が休まらない思いであったが、彼への質問を終えると打って変わって表情を緩め、何かを知り得たのか彼を解放した。それから「下がって良い、ご苦労であった」と一言を受け、一礼を捧げ二人は指令所を後にした。
バーン少佐は、去りゆく二人の背中を見届けていた。
少佐は「生きていた、だから死ぬ」と答えた、ロナが口にしたある種人間離れした言葉は、どこに立つ事で見えるのかと考え、ひとつの推測をしていた。銃口の奥深く、弾頭が位置する薬室の暗がりから標的の人間を覗いた時の、銃が語る言葉なのかもしれないと。
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ロナと共に詰所のテントへ向かう道すがら、キルスティは少佐から告げられた「彼をよく見ておいてやれ」という言葉の真意が何であるか思いを巡らせていた。
決して弱さではない、何かの反動から来たような強さ。
一本の針が淵に立つアンバランスさが彼の足元にはある。
昏い目尻に、時折見せる愛嬌のある振る舞いは、彼が持つ幾許かの人間性の欠片に見えた。
確かに、見張ってやらないと命知らずの戦いをしでかすなら、私は彼を制してやらねばならない、しかし少佐はその程度の意味で言ったようにはとても思えなかった。
何故、少佐は彼に触れたのか。
オリバーは彼の背に触れた時、何かを察していた。
フォルスラコスとの戦闘の際、彼はどんな動きをしていた。
詰所のテントの幌をくぐり、キルスティは中を見渡したがオリバーは所用が長引いているのか不在であった、静寂の中、疎に三人分のベッドとパイプチェアが点在し、石炭ストーブの上には湯を煮立たせた寸胴ケトルだけが等間隔で息継ぎのような音を発していた。
彼女はここでの過ごし方の勝手を知らないロナへ、立ち尽くしていないで楽にして良いと手振りでパイプチェアに座るよう促し、彼は椅子に腰を下ろして一息をついた。
背もたれに背中を預け、腿に簀巻きの手首を掛けて、ゆっくりと目を瞑った。少しだけ顔を下へ向け、眠らず、静かに、何かを思うように過ぎる時を受け入れる彼は、枝の上で夜を待つ梟の姿に見えた。年齢にそぐわない落ち着き払った振る舞いにキルスティは少し戸惑ったが、彼女は手短な椅子に腰掛けてから彼へ話かけた。
「バーン少佐、あまりいないタイプの軍人だっただろ」
「少し驚きました、少佐はドライバーだったのでしょうか」
彼は姿勢をそのままに、顔をこちらに向けた。
キルスティは階級差を取り払った砕けた喋りを心掛けていた。
「そうだ、前大戦では敵から名指しで追い回される程に暴れ回っていた叩き上げだ。持病もあって今は現場をよく知る大指揮官殿だな」
「……右腕ですか」
「気付いていたんだな」
「はい、指が動いていなかったので」
「当時、右腕の肘から先が動かなくなっても少佐は戦い続けていた、しかし医師からこれ以上やれば症状が骨に達して免疫機能に影響し命に関わると診察され、それからは後方勤務となった。少佐自身のご意志でなるべく現場に近い役割を望んだそうだ」
キルスティの声は甘く煮た林檎のような響きがある、しかし長い軍職で染み付いた発声と使われる言葉の並びは、声色に対してとても似つかわしく無かった。
「そう……なんですね」
ロナは少佐の腕の話になった時、少しばかりキルスティから目を逸らしていた。彼女は彼の機微を見逃していなかった。
「……ロナ、背中を私に見せてくれるか」
その言葉が出た時、落ち着き払っていた今までの振る舞いとは裏腹に、彼は俯き、返す言葉に詰まり、動揺を隠せずにいた。彼の取り乱した心中を他所にキルスティは席を立つと、ロナの傍らを過ぎて背後の真後ろに立った。
「悪いな、命令を盾に肌を暴くなんて」
キルスティは、もしこれが逆の立場であればどんな思いだろうかと胸を痛めた。いきなりの他人に命令を理由に剥がされるのだ、彼にもドライバーとして、男としてのプライドが必ずある。嫌われ役を買って出るという安い言い訳はしない、彼に文句を言われるなら甘んじて受け入れようと覚悟した。
キルスティはロナの答えを待たなかった。
背後から手を回し、彼の前ボタンを外した。
彼の緩んだ軍服の襟首を掴み、なるべく力をかけずに後ろへ引いた。
衣服の隙間を見下ろして覗く彼の背中、隆起した背筋、首筋の下部、背骨のやや右側に十センチ程の大きさをした灰色と黒がまだら模様に混じる、歪な石が埋まって見えた。ロナは、筋骨石化症を発症していた。
キルスティは案の定であったかと、彼を蝕む石を見つめた。発症するにしても位置が悪いのだ、手先や足といった内臓器官から遠い場所であれば一時は楽観視出来るが、背骨付近となれば、あと何回のオールアウトによる進行に耐えられるか目処を付け難い。
背骨への進行は良くて半身不随、運が悪ければ短期間での死に至る。仮に背骨へと侵食が起こらなかったとしても、付近には肺や心臓という重要臓器と隣接している為、少しの進行でどのような別症状が併発するか予期出来ないのだ。
筋骨石化症という病のトリガーがオールアウト後に短時間で目を覚ましてしまい、直後に戦闘機動をする事で起こると言われているが、症状の進行条件というのも具体的な情報が少なく、オールアウトさえ起こさなければ良いかという点についても定かでは無い。
「この症状に気付いてから何度やったか、教えてくれるか」
「二度……です」
ロナの症状は、ダンフェイゲンを殺した時に発症し、ピクルイセンコを殺して進行した。
キルスティは二度のトリガーでここまで進行するなら、次のチャンスは片手の指で数える程度しか無い可能性があると察した。
「私はナイトアリアがどんな武装なのか知っている。ロナ、問い詰めるつもりは無いんだ、何故、分かっててアレを二度も連発したんだ、こんな事を繰り返したら死んでしまうんだ。それにロナ、お前程の腕前ならナイトアリアを使わなくとも、恐らくピクに勝てたはずだ」
彼の栗色をした襟足は、少しだけ震えているように見えた。
ロナは、生唾を飲みこんで口を開いた。
「もう、終われるなら、終わりたいんです」
彼が口にした終わりとは、自身に対する終止符という事だろう。
揺れた喉で、初めてロナが他人に吐露した胸中だった。
「何があった……」
キルスティはロナが座る椅子の傍らにつき、腰を落として項垂れる彼の肩に手を置いて訊ねた。彼女の眼差しには、情深い温もりがこもっていた。
ロナは、キルスティへひとつずつ、出来事を言葉にして紡いだ。
カスケード隊。
レレイという女性と愛し合っていた事。
モーテルで暮らしていた、四人の子供達。
隊で行われていた横領密輸行為。
ジョンブラウンという男からの接触。
レレイが、ダンフェイゲンの差し金で。
理由もなく、隊の男達により。
蹂躙の末に撃ち殺された事。
ロナの頬にはあの時垂れなかった雫が伝っていた。
彼は血の滲んだ包帯で顔を拭う度「なんで、今更になって垂れるんだ」と困惑していた。
遠くの消えた星の光が、今になってロナへ届いていた。
キルスティは彼の言葉を、ただ頷いて受け止めていた。
ロナはカスケード隊の隊員達を、どのような手段で葬ったかを語った。最初にアビィを蒸発させ、ブラカウのシェルを握り潰し、ディコンを真後ろから銃槍で突き抜いた。そして最後にダンフェイゲンを踏み潰した。
復讐の最後には、レレイがくれたもの全てを失っていた、軍人として単なる兵器化された自身の肉体しか残されていなかったという事、銃殺刑保留の条件付きでキルチームへと配属となった事を。
ロナは時折、喉を震えさせて心中を語った。
「ダンフェイゲンは誰かに殺されようとしていた、自殺出来なかったからレレイと俺を巻き込んだんだ、でも、それから、今、俺も誰かに殺されるのを望んでいる、変な話だ、でも全然変えられないんだ」
掠れた声で数珠繋ぎされた苦悩を嘆いた。
「この症状に気付いて、いいもんだと思ったんだ、あいつと違って勝手に一人で死ねるなんて、こんなに楽な事なんて」
キルスティは、ロナの言葉を遮って腰をあげると彼の後頭部を抱え、自らの胸の中に抱いた。彼女の目線は遠く、手のひらはロナの髪を掴むように力強かった。それは、慰みではなく「これ以上言わなくていい」と伝えようとした彼女の心音はロナに響いた。
戦争には悲惨な話などいくらでもある、為す術もなく占領地で陵辱されいく女性達、保護者を失い餓死していく子供達、略奪に殺戮、数えれば切りが無い。
キルスティは、少なくとも彼が辿ろうとしている終止符とは間違いであると、数ある悲劇に埋没する一人ではないと訴えたかった。胸の中からロナの顔を離し、唐突の出来事に呆然とした表情をしている彼の肩を拳で押すように突いた。
「ジェフ、エディ、キャロル、ベラというレレイが守った子供達は生きているんだろう、レレイの墓はあるんだろう、なら、生きて子供達に金を送り続けろ、そしてレレイの墓へ祈りに行け、子供達にも会いに行くんだ、まだ、何も終わっていないんだ」
ロナの双眸は、彼女が語る戦わなければいけない生に対して怯んでいた。
「ロナ、いい? これまで積み上げた死体の山の上にいるのは、ロナ、自分だけじゃないの、レレイが身を挺して守り抜いた四人の子供達がいる、子供達の足元に自分の死体を飾るのは今じゃない」
ロナの両頬に手を添えて、彼女は身を屈めた、戦って真っ向から生と向き合えと、キルスティは訴えた。
「自分の事を兵器と言ったな、そう思うなら、自分の体が何のための兵器であるのか考えなさい」
揺れる瞳を宥めるように、キルスティの声は優しく諭した。
彼女がロナの頬へ添える両手には、戦争兵器が決して流すことの出来ない涙が垂れていた。




