EP#9「蝋漬けの羽」
隊長はパッシヴスピアを使用し視覚認識を逃れ、この戦域に潜んでいる。
ハーストイーグルはこの殺戮を始めた当初はそれを利用し、ブラカウとアビィに不意打ちを食らわせたまでは体良く有利に進められていたが、ついに一騎討ちとなった今、隊長の存在を見出せずにいる現在はかなりの危機的状況である。
自分の位置は恐らく丸出しであり、相手の位置を全く掴めていない。
いつどこから致命の一撃を与えられてもおかしくはない。
隊長は武装ケンギスを生成から発射まで一秒以内でやってのけるのだ。
不意の先手を譲る事は死を意味すると判断し、高度を二千以上へと上げたハーストイーグルは全方位を見渡した、奴は何処にいる、何処に隠れている、この眼は逃がさない、この爪は離さない、石ころひとつ見逃さないと捕食者の眼光が尖る。
これは復讐なのか、処刑なのか、決闘であるのか、なんの体裁であるかすら判然とはせず、彼自身それを明確にする理性と呼べる機能は消え失せている。
ただハッキリとしているのは、剥がれ落ちた誤魔化しの人間性に成り代わっていたのは、怒りと憎しみを撚り合わせた殺意という一本の衝動である。
その衝動は、ダンフェイゲンの血を求めている。
数人ばかりカスケード隊員を爪にかけた程度では到底満たされないのだ。
その肉を引き裂き、はらわたを引き摺り出し、脳みそをぶち撒けてやるまで正気を取り返してくれないのだ。
充分に高度を取ったハーストイーグルはあたり一帯をぐるりと索敵をしても影一つ掴めはしないことに、埋め合わせようがない腕の差があると悟ると、戦場では到底考えられない暴挙に出た。
――出てこいよ。
高空で両腕を広げ、手には武装など無く、速度を落としまるで凧の様相であった。
寸分違わず単なるマトである。
ハーストイーグルのドライバーは目を瞑り、顎を上げ、深い呼吸を繰り返している、グリップを握る人差し指は、脈拍のリズムで一定間隔を刻んでいる。
指先がリズムを打つ間隔が僅か乱れたその瞬間、やや下方から高速二連射による烈弾がど真ん中目掛けて空を切り裂いた。
しかし、初手は虚しく高空の白みへ吸い込まれた、回避機動をとったのは弾着直前でもなく、撃たれてからでもなく、ダンフェイゲンが駆るイカロニクテリスが武装を生成し切った直後であったのだ。
見えざる相手からの発見、武装生成と発射までのタイミングを測り、運試しで避けたのである。
二発の殺意が傍らを突き抜ける風切り音がコックピットシェルに響いた。
その研ぎ澄まされように、無線からは笑い声が届く。
ハーストイーグルの四眼は発射点に燦く輝点のシルエットを見逃さなかった。
獲物を捉えた猛禽類の如く手足の関節を圧縮させ空気抵抗を低くし一気に突っ込んだ、頂点捕食者の様相を見せる彼に対し、怯む事無く正面からスラストを何段も噴射してイカロニクテリスは加速した。
接近を続ける大質量、超高速の双方が突き破った大気は押し退けられ、通過する光を歪め、空に波を打たせた。
ダンフェイゲンの技術、経験、駆体特性、これまで目にした隊長の姿で殺し方を組んではいけない。
目に映るその姿で見えたと誤解してはいけない。
目に頼れば、たちまち例外を叩き込まれるだろう。
ダンフェイゲン、先にカードを引け。
突進の最中ハーストイーグルが瞬時に左腕へ生成したのは凶槍ナイトアリア、カスケード隊配属後ただの一度たりとも使用していなかった脊椎種別デュアリティのメタルヒューマのみが生成可能とする武装である。
七枝の帯が螺旋を描いて捻れて先端で尖る、騎士槍を思わせる黒き円錐は獲物に突きつけられた刹那、灰色の空に幾重にもわたる漆黒のヒビを走らせた。
ハーストイーグルのドライバーは膨大な体力消費を伴う武装使用に目の前が瞬間ブラックアウトしかけるも、頬の肉を口内で噛み込んで痛みで意識を維持した。
ナイトアリアは乱れ飛ぶ七枝を放って崩壊の後、構造体を保てず砂鉄へと霧散。
後端から燃える砂鉄を放ちながら七枝のヒビは空を回り込みイカロニクテリス目掛けて切り裂かんと突入。
奴は一度前進へ一段のスラスト、そして駆体を反転させこちらへ背を見せた状態でバックスラスト、与えた機動制限の隙を見逃さんと、すかさず生成したマーヴェリックを次々と射撃するも烈弾は上昇で回避、更にバックスラストを一発の後、駆体を再度反転し前進へと加速。
隊長は前方への加速時に限ってドライバーへのパワー負担が大きい欠点を持つイカロニクテリスで連続加速をするのに、単なる前進スラストに加えて、駆体反転させパワーロスの低いバックスラストを挟む事で速度を失う事なくロスを最小に留めて接近せしめたのである。
ハーストイーグルの上空をとり、尚且つナイトアリアが放ったヒビを全て回避しきり、マーヴェリックの烈弾すらも接近過程で掠める程度であった。
ロナが噛み込んだ頬から血の味が広がる。
高速機動に対応する為に何段もスラストを噴射し、体力という水をポンプが汲み上げるかのように一瞬で失われていく。
苦痛に耐えるロナの表情は歯を食いしばっているのか、はたまた笑みを浮かべているのか、その顔の理由は定かでは無い。
しかし耐えている、追いついている、その実感を彼が得た直後であった。
隊長の駆るイカロニクテリスの背面レシーバーから何かが生成された、黒い破片、欠片、歪んだ八面体のような六つのそれは、隊長の駆体背後に連なって漂う。
ファネラーラ。
到底ロナが知る由も無い武装である、一部のイカロニクテリスのみが学習するというそれは、今まで隊長が近接で葬ったドライバーが持っていたパワーを溜め込み、ファネラーラ生成時に再変換するというもの。
積み上がった死体の山の数だけ死から遠のく。
ダンフェイゲンが過去、十体一での激戦で屍の山に立つ最期の一人となったあの夜、その駆体に宿されていたという。
「お前にスピードを教えてやる」
無線から届いた地を這うような声は、今までのは単なる遊びであったと事実を突き付けた。
戦闘機動の最中、ハーストイーグルの上空でファネラーラを展開したイカロニクテリスは両腕へ近接武装であるバルパシロを生成、ただひたすらに至近距離で撃ち合いを始める気だ。
否応無く対応を迫られたロナは右腕に加えて左腕へマーヴェリックの再生成を試みるも、累積疲労故にインターフェースの指が伸びて絡まり武装の形を成すのに時間がかかっている。
ロナは羽の意味など何であるのか、悟りようも無いのであれば、全ての答えをスピードに委ねた。
銃槍マーヴェリックの先端は獲物を前にして鋭く光る。
曇天の上空で互いに乱射され続ける列弾。
大気を弾き飛ばすスラスト。
極められた連続の複雑機動。
一撃でも貰おうものなら死を意味する致命手の応酬。
二体が避けた烈弾は山肌や崖を次々と吹き飛ばした。
ダンフェイゲンが放ち続けるバルパシロは高圧のパワー入力故か数発撃つとたちまち構造体が崩壊し、その直後に瞬時に再生成されている、そのサイクルを百発分に届く勢いで繰り返しているのだ。
せいぜい数回やればどんなベテランであろうとペースが落ちる射撃を、体力など無限にあるとでもいうのか、常識を超えたドライバーであろうと成し得ない離れ業を目の前で見せつけられている。
上を取られ続け、ひたすらに撃ち下ろされ回避の度に高度を下げざるを得ない状況が続き、やがてロナはイカロニクテリスが生成した漂う破片のような武装は単なる移動能力に対して効果するのではなく、何か弾倉のような、ドライバーに対するパワー消費の肩代わりをする存在ではないかと気付いた。
時間経過と共にあの破片の数が減っているのだ。
しかし黒い破片が尽きるまで持ち堪えるなど到底非現実的であり、いつまでもそんなものに付き合っていられない、その向こうにあるのは意識を失った事にも気づけぬままオールアウトし地面に激突という結末である。
耐えたら死ぬ。
同時にこちらが前に出るのを誘われている。
激流のごとく失われるパワー消費のなか、視界が霞みかけた。
口元に垂れる血に舌を這わせた。
血の味がする。
血の味がしているなら、まだ生きている。
隊長が連射する烈弾の連なりを沿って縫うように機動し、相対する距離は僅か百以下の眼前。
全速力の前方へのスラストの中、尾部のレシーバーへブレードを生成し、駆体を一回転させ両断を狙う。
奴も駆体を一回転させ尾部のブレードを振るった。
大質量の駆体が異常接近し、尾部のブレード同士が接触、先にハーストイーグルのブレードが高圧力に耐えきれず破断し、長い尾の先端は裂けたレシーバーが火花を吹いていた。
背面を見せるイカロニクテリスのブレードが胴に触れる瞬間、こちらの両腿に存在するレシーバーが先に捉えた、放たれた二発の烈弾は左脚を吹き飛ばし、切り掛かるブレードの根本を捥ぎとった。
空中で大きくバランスを失ったイカロニクテリスは片足で姿勢を持ち直し、ファネラーラを消費して失った脚部の再生を始めたが、ハーストイーグルが手に成した凶槍ナイトアリアは再び放たれ、空に走る黒きヒビのそれぞれは曲りくねり、突き進み周囲に漂う破片を次々と打ち砕いた。
ロナは二度目に使用したナイトアリアに膨大な力を奪われ、視覚認識に映るオレンジの輝点で埋め尽くされた光景は徐々に光を失い、暗黒に包まれていった。
オールアウトである。
地表の岩肌が剥き出しの崖へハーストイーグルは叩きつけられ、そのまま谷底へ落石と共に転げ落ちた。
イカロニクテリスにはロナが放った内一発が胴体左半身を裂くように直撃し、頭部構造真上にある股関節を貫通している、高温により赤々と溶解した断面を見せているが駆体の機能停止に至らない程度の損傷であった。
左半身と尾部の喪失、ファネラーラの崩壊、四十パーセント以上の損傷によって大きくパフォーマンスを失っているが、空中で高度を維持し、攻撃能力は存在し僅かに余力は残されていた。
谷底に立ち込める砂塵の中に映るハーストイーグルのシルエット。
右腕にケンギスを生成し、砲口に発射直前の明滅が燦いた刹那、砂煙を破って烈線が放たれた。
両腿のレシーバーが放つ烈線はからがら避けられ、曇天に立ち込める雲へ吸い込まれていった、イカロニクテリスは最期の足掻きを避けるあまり、バランスを失いかけ、再び持ち直して上空からケンギスを構えたが、狙いをつける砂塵の中にハーストイーグルがいない。
烈弾に切り裂かれた上空の曇天がにわかに晴れ、雲間から太陽の光がイカロニクテリスを照らした。
「パパ、外に行こう」
ダンフェイゲンにとって、たった一瞬であった。
息子であるデヴィッドの声が聞こえた気がした。
「お前が死神か、ようやく姿を見せたな」
ダンは死の間際に囁く息子の声は幻でもありし日の記憶でもなく、宿命の存在であると決めつけた。
何故ならダンは息子の声など一度も耳にしたことすらないのだ。
刹那、彼の側面からマーヴェリックの烈弾が放たれた。
それは胴体へ直撃し、血飛沫のように溶解した破片が空中へ舞った。
上空から錐揉み降下する中、真上の視界を横切る巨影。
「てめぇ外すんじゃねぇぞ」
黒とオレンジしかないはずの視覚認識に、浮かぶ息子の顔。
砲口を根本から失ったケンギスを構え、両目を開いて死神を凝視した。
ハーストイーグルが両腕に構えるマーヴェリックの砲口は獲物を捉えている。
ダンフェイゲンより僅かに早く、ロナが撃った。
ケンギスを吹き飛ばし、頭部を撃ちぬき、嘶きを震わせた連射はイカロニクテリスの原型を瞬く間にバラバラにしていった。
上空から重力のままに落下した胴体が土煙をあげて地面に激突、直後に真上から飛来したハーストイーグルはダンフェイゲンの棺桶を間髪入れず踏み潰した。
足先の爪の間には僅かに赤が見え、がれ場に転がる生首の生気を失った目は灰色の虚空を見つめている。
その口角に浮かぶのは苦しみか笑みか、どちらとは判別できない。
カスケード隊の隊員達はロナワイズマンを残し全員がこの山に戦死した。
川に、崖に、山肌に、棺桶の残骸は熱を失いながら累々と転がり、風は吹き続けた。
血は川に流れ、肉と骨は砂になる。
かつての声と生は大気を震わす轟音に掻き消され、意志は行き処なく散った。
殺意の拠り所というもの全て葬ったハーストイーグルは、何処へ帰るというのか、この山岳地帯を去った。




