EP#7「火蓋」
駐留地に戻り、詰め所となっている野戦テントに入ると、これからカスケード隊がパトロールを引き継ぐまで残り数十分だというのにダンと足を折って横になっているボディサしかいない事に違和感を覚えた。
通常、彼らは引き継ぎが行われる時刻の一時間前には全員この野戦テントで待機をするからだ。いるはずの時刻に隊員が揃っていない、根拠の無い嫌な胸騒ぎがロナの胸に広がる。
「副隊長はどこに、アビィもいなかった」
「待っていろよ」
椅子に背中を預けるダンは何も答えるつもりが無いようだ。
今日はジョンブラウンに引き留められた事で戻りが遅くなってしまったために、テントに入ればたちまち隊長から拳が飛んでくる事をロナは覚悟していた。にも関わらず、隊長は日ごろ張り詰めた面持ちで彼ら隊員に接するのが常であったが、今に限ってはこれからランチにでも行くのかというリラックス具合、心なしか酒の匂いも感じる。
何か変化があったのは明らかだが、それが何なのか全く掴めない。ジョンブラウンとの話があった直後でもある為、不必要に口数を多くしても仕方が無いと考えたロナはベンチに腰を預けて過ごす事にした。
しばらく時間が経ったであろうか、外からバギーのエンジンが近づき、ブレーキ音の後に何人かがテントに近付いた。
引継ぎ時刻まであと僅かギリギリのタイミングでディコン副隊長、ブラカウとアビィがようやく姿を見せた、この三人の取り合せでの外出等今まで見たことが無い、わざわざどこで何をしてきたか等聞く仲でも無く、ロナは解決しても仕方がないだろう疑問を据え置いてこれからの待機時間をどう過ごすか、今日のアラート出撃をどうやり過ごすか、それに思考を費やそうとしていた。
ダンはタバコに火を点けた。
「ディコン、教えてくれよ、何かいい事があったんじゃないのか」
タバコをディコンへ向けて何があったのかを訊ねた。
……何があったというのか、ロナは耳を傾けるしかなかった。
「女を始末したが、あれが本当にタレこんだ奴なのかは最期まで分からなかった、ダン、情報提供者だっていうのは本当なのか?」
……女を始末、タレコミ、いったい何の話だと疑問が募る。
「さぁどうかなぁ、後になったら分かるんじゃないのか」
「……どういう意味だ」
はぐらかすような返事に、ディコンは指示の目的を問いただした。
「言った通り宿場町の女を見つけて、やるだけやったが軍警察との繋がりは何を聞いても分からねぇばかりだ、あの女がタレこんだとは俺は思えない」
宿場町、女。
今まで足元を眺めて話に耳を傾けていたロナは目を見開き、反射的に視線はディコンを刺した、その様子にダンは不気味に薄ら笑いを浮かべた。
「そんな事はもうどうでもいい、その女をどんな風にやったんだ、随分楽しんだんじゃないのか、教えろよ」
ダンはディコンへ始末という言葉に含まれる顛末を訊ねた。
焦りが、そうじゃないとあってくれと、ロナの心臓の鼓動が高まる。何かの間違いであってくれ、どこぞのギャング同士の削り合いであってくれ、思い違いであってくれ、取り越し苦労であってくれ、その願いが彼の頭の中をぐるぐると渦巻いた。
「スタンドバーに押し入って、言われた通りのレレイという女をやった」
レレイという言葉に、ロナの瞳孔が大きく開く。
「情報も何も吐かねぇし、庇ってきた別な女とバーの親父を既に殺していたから、使いパシリの慰みとして三人で回した、アビィなんか最初は俺はいいとかホザいてたがよ、やれよつったらやる事やったんだ、ガクガク腰振ってアレは見ものだった」
「ブラカウはいいとこ見せたぞ、アビィの後にあの女をガツガツ突き上げまくってな、あの女ぎゃおんぎゃおん叫んでたぜ」
あろう事か、ぎゃおん等と彼女をまるで犬でも扱ったかのようだった、下劣な声で、聴くに堪えない惨憺たる有様を語った。
ロナは足元に顔を伏せたまま、口を開いた。
「ディコン副隊長、子供たちは」
「女が必死に逃がしてどっかに走っていったさ」
何故ロナがこの事について俺に質問をするんだと、ディコンは苛立ちを覚えた。
「その女の最期は」
伏せたロナの顔は何も汲み取れない、どうやら無表情そのものである。
「撃った」
この件に関係ないと思い込んでいるロナからの質問に、ディコンは最悪の結末を即答した。
ディコンの答えにロナは顔を両手で覆った、今この顔を見られたら、全てのタイミングを失ってしまいそうだからだ、彼の心の中を満たしていた最も大きな存在であるレレイを、それを下卑た性欲と暴力によって陰惨に踏み躙られ、想像も絶する苦しみの中、最期に銃で撃たれた。
彼女は最初に子供たちを逃がしたのだろう、そしてあいつらの手に落ち、玩具にされて殺された、文字通りオモチャにされて殺された。彼女が身を挺して子供たちを逃がす姿が思い浮かぶ、脳裏に映ったレレイの姿は何よりも痛ましい。
どれほど苦しかっただろうか。
どれほど辛かっただろうか。
どれほど悔しかっただろうか。
彼女が受けた分かちようも代わりようも無い苦しみが心臓を締め上げ、全身の血液が逆流するようだった。彼の心の内、最も大事なものが全て剥がれ落ちて、代わりに憎悪と怒りが成り代わった。
何故俺はあの時その場にいれなかった。
何故俺は助けてやれなかった。
何故俺は、何故、俺は。
不甲斐ない自らを、自責による恨みが覆い尽くした。
ダンの差し金で、理由も無くレレイが殺された。
「だそうだロナ、随分酷い有様だったようだな」
ロナは、もう自分を制する事が出来なかった。ダンに掴みかかり、右腕と左腕で交互に何度も殴りつけた。馬乗りになって何度も拳を振るった。そのまま死ねばいい、殺してやる、早く死ね、殺意に満ちた拳は振り上げられ続け、止めに入ったディコンには目を向ける事無く背後へ拳銃を放ち、弾丸は腿を抜いたのか奴は出血をして倒れた。
ブラカウとアビィは猛獣を前にしたかのように凍りついた。
ダンへ銃口を突き付けた。
痣だらけの血濡れの顔面。
ロナの拳は皮膚が剥けてべろんと垂れ下がっている。
「大丈夫か? 当たるか?」
ヘラヘラと意味の分からない事を抜かすダンを無視し、怒りに覆われた形相のロナはトリガーを絞った。
すると撃発の直前、野戦テントへ警報が鳴り響いた。
識別線を越えた敵がやって来た事を意味する。
「悪いなロナ……続きをさせてやりたいんだが、俺達はこのままだと煮え切らないまま敵に吹っ飛ばされちまうなぁ」
体を捻って隙間を作り、馬乗りになっているロナを仰向けから体勢を返して投げ飛ばした。
ダンはよろめきながら電信機の前に向かい、警報機の鳴動を止めると印刷されたペラ紙に血を垂らしながら読み上げた。
「四体だそうだ、分かったか全員出るぞ」
ブラカウとアビィは状況を理解できず立ち尽くしたまま、腿を撃ち抜かれたディコンは銃創を抑えて呻きを上げて倒れている、ダンの出撃指示に対して誰も言葉を発さない。
ロナの目は常に左右に動き、何かの弾みがあればいつでも拳銃でこの場にいる全員を皆殺しにしかねない緊張状態だ。
「ボディサ、足はどうだ、出撃できるか?」
「……隊長すみません、まだ右足が曲がらない、動きたいが駆体に上がれない」
この緊迫した状況を埒外として寝てやり過ごすしかなかった彼に質問をするも、膝の骨折具合は気合でどうにかならない領域であったようだ。
「そうか、ならもう退場だな」
ぎょっとしたのも束の間、ダンは腰から拳銃を抜き、何の躊躇いも無く横になって過ごすボディサの頭を撃ち抜いた。
頭の内容物が撒き散らされ、穴から血の泡が零れる。
痙攣か、彼の手足は時折寝相のように跳ねた。
「任務ご苦労」
ダンは拳銃を腰に差し直した。
「ディコン、お前は垂れてねぇで上がれよ」
「ダン……あんた、やりやがったな……」
小刻みに鼻息をして苦痛に耐える彼に選択肢は無い。
「最期にいい思いできたじゃねぇか、あとは自分を信じて戦えよ、それで勝てるといいけどな」
ダンは渇いた咳のような笑いをして皮肉を吐き捨てた。
「ロナ、終わったらお前の自由にしろ」
まるで日常の一言のように平然とした口ぶり。
ロナは何も返事をしない。
「いいかお前ら、四体を片付けるまで下手な事したら俺が殺すからな」
誰も、何も返事は出来なかった。
「お前ら聞いたな、戦闘だ……カスケード隊、全員出撃」
ダンは血濡れの顔に笑みを浮かべ命令を告げた。