EP#6「蹂躙」
隊長が居室とするテントへ急ぎ足の男が一人やってきた。
「ダン、いるか」
「入れ」
やや深刻さを浮かべる表情で入ってきたのはディコン副隊長だ。
「ロナが保安局に嗅ぎつけられた可能性がある、ツテから話があった」
「……保安局か、もしそうならとっくに俺達も軍警察に押さえられてるんじゃないのか? あいつらが踏み込むときは同時にやるもんだ。嗅ぎつけられたとかいうのは、いつの話だ」
「おおよそ二時間前と聞いている」
焦りを見せるディコンと対照的にダンは楽観的な様子だ。
「だからブラカウを使えば良かったんだ、ロナがヘマをしたかもしれねぇ、俺達を売るかもしれないぞ」
「ロナはミスをしてねぇし、保安局が調査してたなら俺達は顔も名前も割れてるんだ、もしやるなら全員一気にお縄に決まってんだろ。長い事これだけシゴトを派手にやってるんだ、何かしらハエが寄ってくるのは時間の問題だったな……それが今ってだけだ」
自嘲的に笑うとタバコに火を点け、おまけにポケットボトルを取り出してウォッカを口に含んだ。今はフェンサー隊が担当する時間帯とはいえ、待機時間と言えど彼が酒を飲む姿を目にしたのは初めてだった。
「それでどうする、ダン、証拠になりそうなブツは全部隠してある」
「そうだな、どうすればいいかな……」
ダンはタバコを深く吸い込み、肺へ十分溜めた後に煙を吐き出した。
ディコンは決断をもったいつける隊長に苛立ちを覚えている。
「ロナは甘いかもしれないなぁ……あいつこういうの得意じゃないだろうしなぁ……」
ダンはそう呟くと何か思惑があるのか、タバコを咥えながら虚空を見つめて考えに耽っている。
タバコの火を机の上にある請求書へ押し付けてもみ消すと、ようやく口を開いた。
「そういえば俺達がやってるシゴトを軍警察に漏らした可能性のある奴を思い出した」
「誰だソイツは」
「旧市街の宿場町があるだろ? そこのモーテルスタンドバーの女だ」
「女……?」
ディコンは意図を汲み取り切れていない、ウォッカを含み一息ついてダンは指示を出した。
「レレイという女だ、お前らディコンとブラカウとアビィは出張ってこの女を片付けてこい、やり方は好きにしていい。ここは……俺とボディサ、あとその内戻ってくるロナで何かあればどうにかしておく」
「その女をやってどうする、何か意味あるのか」
「軍警察が踏み込んで来ないならまだ情報不足かもしれねぇだろ、ならネタを持ってそうな奴を黙らせれば進行が遅くなるかもしれないなぁ……」
「……分かったよ、駐留地はダン、あんたに任せる」
「ほら行ってこい」
ディコンは緊急事態だというのに、他人事のような態度を取り続けるダンに我慢の限界が来た。
「よく聞けよ、軍警察に捕まってラクになんてなれねぇからな、ムショにぶちこまれたら次はファミリーに消されるんだ、隊長、あんたは死にてぇみたいだが俺はそうじゃない、最後まで協力してもらうからな」
「おう、頑張れよ」
ダンはタバコを挟む手をひらひらさせて早く行けと示し、これ以上取り合っても無駄と悟ったディコンは指示に従いブラカウとアビィを呼びつけ、駐留地を後にした。
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レレイはロナが去り際に理由の説明もなく言われた、金を使って居場所を変えろという言葉に戸惑っていた。
このモーテルは娼婦達が兵隊相手の売春をする際に利用しており、娼婦が客から受け取った料金の一部を生計に役立てている、下のバースタンドを営むおじさんが散弾銃を持って用心棒をしている事も娼婦達が信頼を寄せる理由の一つだ。
レレイはモーテルの備品交換や部屋の管理が役割だが、娼婦達にとって一番は自分たちの身に何かあった時、子供を放り出すことなく面倒を見てくれる最後の保険がここである、その安心があるから娼婦達はこの店を使う。
だから居場所を変えてもここに毎日通う必要があるし、いつまで別な場所にいればいいかも見当も付かない。
それでも、あのロナの焦りようからただ事じゃない問題があるのだろうとは察していた。
彼は決して嘘をつく人物ではない事を知るレレイは、理由は後にしてとにかく荷物を纏めて知り合いの所に身を寄せようと考え支度をしていたのだった。
その矢先だった。
「レレイ!!! 逃げなさい!!!」
階下から響いたのはモーテルをよく利用する常連の一人であるローラの叫び声だ。
「帰れ! 兵隊であろうと撃つぞ!」
下のバースタンドから大声が聞こえた、おじさんが何者かに威嚇をしている、ただならぬ危険が迫っている事は明らかだった。
荷物を手放し、まだ小さなベラを抱え、怯えるエディやジェフ、キャロルの手を取った。
「絶対にはぐれちゃダメ、走るからね」
そう言い聞かせ、二階の非常口を目指して廊下を隔てるドアを開けると、階下から強烈な破裂音が二度響いた。
おじさんが撃たれたかもしれない。
そのあと、もう一発の銃声。
逃げなきゃ。
走った。
ジェフはキャロルの手を放さないようにつないでいる、強い子ね。
ドアを開け、廊下を走って。
角を曲がって。
非常口の施錠を解いて。
「走って!! あぁっ!」
廊下越しの階下と結ぶ階段付近から、再びローラから逃走を促す叫びと殴られたような悲痛な声が届いた。
震える手で非常口を開けると、目の前にいたのは銃を手にした大男だった。
顔も知らない、誰かもわからない、髭を蓄えたその表情は冷酷な眼差しをしていた。
考えられないほど強い力で、首を掴まれ壁に押し付けられた。
息が出来ない。
力が強すぎて折れると感じるぐらい痛む。
銃をこめかみに押し付けられた。
「レレイだな」
自分の名を問われても、恐怖で何も返せなかった。
手も足も震えて言う事を聞かず、右手でベラを落とさないよう抱えるのに精いっぱいだった。
「子供たちを傷つけないで……」
男は何の返事もしない、それは私の答えはレレイですと名乗ったように聞こえたかもしれない。
エディの手を握っていた左手を放した。
もう私はこの子の手を握っていてはいけない。
「ベラをお願いね、走って」
ゆっくり右手だけを下ろして、エディはベラを抱えた。
「強くなったね、ベラを守ってね」
エディの体は固まりきってしまい、泣きそうな顔をして私を見ている。
「走りなさい!!!」
初めて子供に大きな声を出したかもしれない。
この子は涙を流し漏れる声を噛みしめて、震えながら出口へ向かった。
エディはベラを、ジェフはキャロルの手を繋いで非常口から外へ逃げていった。
男は子供が標的では無いのか、あの子達には目もくれず逃走を許した。
「もう一度言う、お前がレレイか」
一人っきりになってしまって、怖くて、声も出なくて、なんて答えたらいいかも分からなくて、喉からは掠れた嗚咽が漏れるだけ。
言わなきゃ、自分がそうだと言って、でないと代わりに他の人が危ない目に遭ってしまう。
すると、廊下の向こうからもう一人の男が抵抗するローラを引き摺ってやってきた。
「おい、あの女がレレイか、すぐ答えろ」
ローラの顔は強く殴られてしまったのか、口からは血が垂れ目元には大きな青痣がついてしまっている。
引き摺る手を高く上げられ、吊るし上げられたような恰好の彼女に三人目の男が銃を向けている。
「答えろ」
男は彼女を問い詰めた。
銃を突き付けられ、震えるローラは私を見て首を小さく横に振った。
「……あの子は違う、……レレイじゃない、レレイの髪は短くて……」
「ディコン副隊長、そいつがレレイだ、女が庇うときは嘘をつく」
ローラは……ローラが私を見つめる目はまるでごめんねと伝えているようだった、私は、謝らないでと、ただ瞬きでそう伝えようとするだけしか出来なかった。
「何抜かしてんだお前はよ」
ローラへ拳銃を握った手を真上から後頭部へ大きく振り下ろされた。
「ゔッ」
彼女は声にもならない声の後、床に倒れ動かなくなってしまった。
「副隊長、この女どうします」
彼女を殴りつけた男は私を抑える髭面男に意見を求めると、髭面男は顎を上にあげ、何かの合図をした。
「やめで! やめでえ!!」
絞められた首の気道にある隙間からなんとか振り絞った、何度も叫んだ、彼女はあと少しでお金が溜まって、この宿場町を離れられるとこだった。
旦那さんが戦争で亡くなるまでは先生だった。
男は拳銃のスライドを引いた。
ずっと叫んだ、震える手足をなんとか制して髭男へ振りかぶってもこの男は微動だにしない、私の声は誰にも届かない。
破裂音が響いた。
空しく乾いた音が床の上を転がった。
彼女の顔は床に伏せられ、そこにはおびただしい程の血が一面に広がっている。
私は怖くて怖くてたまらなくて、もうどうなるかもわからなかった。
「それじゃコイツがレレイだな、手間取ったな」
私の首を掴む大男は、もう片方の空いた手を握りこんで、その拳は一瞬で視界目一杯に広がった。
・
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体中が痛い。
何かが揺れている。
目が開かない。
口の中は血の味がする。
たしか。
殴られて、意識を失って。
それから……。
股の間がとても痛い。
男の荒い息。
私はベッドに押し付けられている。
意識がはっきりしてきた。
汚い、汚い。
今、自分が置かれている状況を受け入れられなかった。
体の奥から何者かが何度も押し上げてくる。
抵抗しようと力を振り絞って、押しのけようとした。
また顔を殴られた。
「アビィ、お前もやれ」
「僕は見張りでいい、そこまでやるつもりはない」
荒い息が深まる。
もうやめてほしい、汚い、嫌だ。
「やれよ……やれって言ってんだ……」
男が嗚咽を漏らし、動きが止まった。
顔を押し付けられているシーツから、ロナの匂いがした。
生き残らなくちゃ、死んではだめ、生きなきゃ。
代わって別の男が私を後ろから弄んだ。
耐えて、生きて、ロナと会わなきゃ。
エディ、ジェフ、キャロル、ベラを安心させなきゃ。
後ろの男はタガが外れたように押し上げてくる。
悔しさがこみあげて、涙が垂れた。
泣くな、泣いて屈するな。
歯を目一杯食いしばった。
また血の味が口に広がって、歯が欠けた感触がした。
今の男はいつ終わるの。
「僕はもういい」
「仕方ねぇなぁ」
「お前らどけ」
また別な男に代わった。
体の奥は腫れあがってるようで、痛くて痛くてたまらない。
もう嫌だ。
舌をかみ切れば終われる。
でも、死んだら会えなくなる。
「この女いいな」
吐き気がこみあげてくる。
シーツに残るロナの匂いを吸った。
終わるまで、全部ごまかそう。
ロナのことだけ考えよう。
ロナ……。
どこなの……。
後ろの男は、私の髪を引っ張った。
痛い。
そしたら、髭の大男が口を吸ってきた。
汚い。
やめて、ロナとの場所を汚さないで。
汚さないで。
「だめだこの女、耐えようとしてる」
またベッドに押さえつけられた。
ずっと押し上げてくる。
後ろの男の息が荒くなった後、長く息を吐いた。
もう下半身の感覚は痛み以外何もない。
耐えて、生きなきゃ。
私の中から最後の男が出て行って、何か話している。
頭に冷たい何かを押し付けられた。
拳銃……?
いや、死にたくない。
「殺さないでください……、殺さないでください……」
体に力が入らない、怖くて声が震えている。
でも、出来る事をしなきゃ。
慌ててベッドから駆けずり降りて、廊下に繋がるドアへ四つん這いで向かった。
出来るだけ早く、逃げなきゃ。
足を掴まれ、後ろで金属の音がして。
ベッドに投げ出されて、頭に枕を押し付けられ、その先には硬い何かがあった。
枕からロナの匂いがまたした。
そうだ、ロナと暮らす事を考えよう、ロナは別な仕事をしていて、私は子供たちのお世話をしていて、みんなが好きなシチューを作っていて、静かな場所で暮らしていて、みんなで夕食を囲んで、みんな笑っていて。
ロナは別な仕事をしていて、私はこどもたちのお世話をしていて、みんなが好きなシチューを作っていて、静かなおうちで暮らしていて、みんなで夕食を囲んで、みんな笑っていて。
ロナは家でいっしょで、私はあの子達とお話をして、みんなが好きなシチューを作って、しずかな場所で、みんなで過ごして、みんな笑っていて。
ロナはいつもいっしょで、わたしはあのこたちのお世話をしていて、静かなおうちで暮らしていて、みんなでシチューを食べて、みんな笑っていて。
ロナといっしょで、私は。
次回「EP#7 火蓋」です。