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あなたのご希望には沿えません

作者: 高瀬あずみ



「ペトロネラ嬢、君に伝えたいことがある」

 わたくしの婚約者で我が国の王太子であらせられるイェルハルド殿下が、人払いをした執務室でそう告げられましたのは、婚姻まであと半年となった頃でございました。




 ペトロネラというのがわたくしの名前です。アクセルソン公爵家の一人娘として何不自由なく育ち、何事もなければ婿を迎えて公爵夫人となる予定でした。すでに婚約者候補も複数名が挙がっており、その中からわたくしが選ぶところまでお話が進んでおりましたのに、王家からの横槍が入りましたの。

 イェルハルド殿下には幼少期からの婚約者がおいででしたが、その方が病に倒れられて白紙になってしまわれたとか。王太子妃の座を空のままにするわけにもいかず、他国の王女や高位貴族の令嬢に打診しようにも、年回りの合う方々には既にお相手が決まっており、当時、婚約者選定中であったわたくしが選ばれてしまったというわけです。

 我が家としましては、先々代に王女の降嫁があって今更王家と縁づく必要もなく、むしろ王家といえども他家に嫁に出すのに難色を示しました。兄弟がおりましたら問題もなかったのですが。国王陛下とお父様の交渉の結果、わたくしの生む第二子に公爵家を継がせると。……婚姻すらまだであるのに、気の早い話です。ともあれ、王命を下されては臣下としては受けるしかございません。


 婚約して早二年。王太子妃教育もそれなりにこなし、殿下とは良くも悪くもない関係でございます。わたくしも貴族の娘として義務を果たすのを当然と育ちましたので、内心不満も抱えておりましたが、今では心にも折り合いをつけております。

 それと申しますのも、イェルハルド殿下が政略結婚のお相手として最上の部類に入る方でしたので。歳も同じで文武両道にして見目麗しく、将来の国王として仰ぐのに相応しい資質をお持ち。未来の夫と思う内に情も芽生えて参ります。ただお互いに忙しく、堅苦しい交流に終始しているのが残念ではありますが、成婚後には夫婦としての愛情を育てて行ければと願っておりました。




 婚約者であっても未婚の男女が一室で過ごすなどとは褒められたことではございませんが、あまりにも真剣な殿下の様子に了承をして、執務室に置かれたソファーに浅く腰掛けて続きを待ちます。

「そなたとの婚姻を撤回し、別の者を迎えたいと思う」

 淑女としての仮面を忘れそうになりました。何を言われているのか分からないというのが本音です。

「わたくしに何か非がございましたでしょうか」

 知らず、声が震えて上ずります。

「いや。そなたは婚約者として完璧だ。短い期間で王太子妃教育を終え、その優秀さは皆も認めるところ。美貌と淑女としての振る舞い、血筋、見識、そなた以上の女性はいないであろう」

「それでは何がわたくしに足りぬと申されますの?」

「私は結婚する相手との間に愛が欲しい」

 ピキリ。淑女の仮面に皹が入った音が聞こえました。

「そなたと私は王命で定められた政略であり、そこに双方、愛はない」

 バキッ。先ほどよりも大きな音がいたします。

「そして私は出会ってしまったのだ。ヤルテアン男爵家のアンニカ嬢。彼女こそが私に愛とやすらぎを与えてくれる存在なのだ」


 その方と殿下の噂は、わたくしの耳にも入っておりました。ここ数か月で急速に親しくされていると。けれどお相手の方は貴族の末端である男爵家。王妃どころか側妃にもなれぬ身分。将来、王妃として立っていくだけの教養もお持ちではない。ご実家の財産とて村ひとつ程度の小さな領地では知れたもの。殿下の愛だけでは全方面で足りないものばかりな方という。ただの遊びで、王命により結ばれたわたくしたちの婚約が覆るとは思えず放置していたのだけれど。


「そのアンニカ嬢ですか、どうなさるおつもりで?」

 扇を握りしめ、なるべく平静を保った声を出そうといたします。

「そなたの家に養女として迎えてくれぬか?」

「はい?」

「そうすれば公爵家の娘が王太子妃になるという面目も立とう」

 ベキッ。仮面が完全に割れて粉々になっていくのを感じます。唇を笑みの形に吊り上げ、向かい合う殿下を見据えました。

「わたくしに、ひとつの益もございませんわね?」

「まず私に、次期国王への恩が売れる。そして、王妃となっても政治への口出しできないと知っておろう。そなたがいくら優秀であっても、だ。ならば特例で女性であっても公爵位を継げるように手配しよう。そうすれば存分に力が振るえるはずだ」


 殿下は、これ以上の名案はないと笑顔で言い切られた。仮面はすでに砂と化しております。

「殿下、立ってこちらにいらしていただけません?」

 わたくしは立ち上がって、ソファーから離れた広い場所へと移動いたしました。

「うむ。かまわぬが」

 素直にわたくしの前に立ってくださる殿下に特上の笑顔を向け、そして―――。

「残念でございますが、殿下のご希望には沿えませんの」

 その無防備な腹部へと渾身の膝蹴りをかましてさしあげました。





 声も出せずに腹部を押さえて蹲った殿下の左腕を背後から掴んで伸ばし、本来曲がらない方向に向けました。武技といえば主に剣術しかしておられない殿下は、おそらく関節技などご存じなかったのでしょう。足まで使って固めた腕を離さずに負荷を増やしていくと、痛みにうめいておられます。その耳元にそっと囁いてさしあげました。


「自分勝手なことばっかり抜かしてんじゃねえよ、この浮気野郎」

「ペ……ペトロネラ……!?」

「世間知らずの王子様が阿婆擦れにころっと騙されやがって。てめえの浮気なんざ、とっくに知ってるつーの。でもって、お相手の情報も公爵家で把握済み。

 あのさ、婚約者のいる、格上も格上の次期国王に粉かけるような女が、清純で可憐とかないんだわ。身分と金への愛と欲しかねえし。あと、ちやほやされたいとか、他の女を見返してやりたいとか、虚栄心を満たしたいって、そんなんばっかでできてんだよ。こっちを引きずりおろして嘲笑って見下したかったみたいだぜ? 公爵家がそうと知ってるってことは、王家の暗部もクソ女の内情を陛下に報告済みのはずだわ。人を見る目がおありだな、王太子殿下?」


 殿下の顔色はすっかり蒼白で、痛みからか脂汗をながされているよう。大丈夫ですわ。骨を折るようなヘマはいたしませんことよ? それとも、原因は豹変したわたくしの態度と言葉遣いのせいかしら? でもそれは仕方ありませんの。淑女の仮面はかけらも残されてはおりませんから。


「さいわい? 結婚前の火遊びって周囲も認識してるし? 近いうちに暗部に命が下るだろうよ、国王陛下からのな。何せ、王命での婚約に割り込んで殿下を転がして、陛下の顔に泥を塗ろうとしたんだ。もう二度と会えないんじゃね。でもって、てめえは結婚式まで軟禁じゃねーの? 下手に暴れたらクスリでも盛られるかもな。最悪、影武者立てて種馬だけの存在にされるかもよ?」


 いくら優秀な一粒種であっても、王権を揺るがすような行動を見逃すほど国王陛下は甘い方ではございません。そもそも陛下はまだ四十代。いざとなれば孫に引き継がせるまで頑張ってくださるはず。


「浮気だけでも許しがたいんだが、それよりもさっきのてめえの発言が許せねえ。こっちは政略でも将来を共にする相手だって意識するようになって、とっくに憎からず想ってたつーの。なんでてめえが勝手に愛情がないとか決めつけてくれちゃうわけ? 一度でもこっちからそんな発言かましたか? そんな態度とったか? 知らねーだろ。交流を深めなかったのはそっちだ。政略の相手だろうが、誠心誠意対応するのが筋ってもんだろ? こっちはそうやって結婚に向けて未来の夫を支えようってやってきてたんだが?」


 多少は好かれていると自惚れても不思議ではないスペックをお持ちですのに、わたくしの心は氷ででもできていると思っていらっしゃったのかしら。本心を見せずに微笑みだけですべてを躱す、淑女の仮面が優秀すぎたのかもしれないわね。


「あとな、王妃に参政権がないからどうとか言ってやがったけど、未来の最高権力者様よ、ご自身が改善すりゃいいことだろうが。女性の爵位継承もしかり。いくらでもこれから変えていけるんだ。言い訳に利用するにしても地雷踏みやがって。少なくとも、こっちはそう動く予定でね。根回しだってはじめてる。陛下にも話が通ってて、今代は厳しいが、てめえが即位した後ならってな。それさえ知らないとか、婚約者に興味なさすぎだろ。王命って分かってっか? 簡単に覆しちゃいけないもんなんだって。一人息子で優秀だからって甘やかされすぎたな。けど、これからはそうはいかねー。しっかりお役目果たして貰うから覚悟しとけよ?」




 わたくし、王命で殿下の婚約者とされた十六歳まで、ずっと領地で育ちましたの。領地と申しましても、第二の王都と呼ばれるほど領都は発展しておりまして、人も物も大量に行き交っております。王都ほど貧富の差がなく、治安も悪くはないので住みやすいと評判ですわ。

 ものごころつく前から公爵家の一人娘として、それなりに厳しい教育も受け、淑女としての振る舞いも身に付けてまいりましたが、やはり息苦しい生き方であることも確かで。

 幼い頃より領地の邸を抜け出しては市井の子供に交じって遊んでおりました。その際、男の子に変装しておりまして。荒っぽい言葉や喧嘩なぞも自然と覚えてしまいましたの。さすがに年齢と共に男子に体力で敵わなくなって、関節技などの体術を磨きましたが、いざという時の護身にもなりますから有用ということで。市井に溶け込むことで民の生活や本音も知れましたし、己の意識を高めるのに役立ちましたの。

 おそらくお父様はわたくしの行動を把握しておられたでしょう。隠れて護衛がついていた可能性も高いですわね。あえて見逃されたのは、わたくしが息抜きすることで結果を出したからでしょう。もしかしたら国王陛下もご存じの可能性があります。優秀ではあっても世間知らずな王太子殿下を支えるのに、箱入りの令嬢では足りないと思われたのかもしれません。





 その後、ひっそりとヤルテアン男爵家はお取り潰しとなり、アンニカ嬢のその後を知る者はどなたもいらっしゃいません。

 あれから、イェルハルド殿下はわたくしに怯えるようになられました。ですから、遠慮なく脅し付け、痛めつけ、その後にうんと優しくしてさしあげるようにいたしましたら、躾の行き届いた毛並みの良い従順な子犬のように、わたくしに懐いてくださるようになりまして。とてもお可愛らしいのです。うっかり甘やかしすぎないように気を付けないといけません。


 よろしいですか、殿下。あなたさまがクズな浮気野郎であったのはもう過去のことですの。わたくしがたっぷりの愛情を注いで差し上げますから、決してよそ見はされないようにお願いいたしますわね?



 

恋愛? たぶんこれも愛だと思うのです。

どうしても悪役令嬢ポジの女性に肩入れしてしまいます。テンプレ浮気王子の勝手な言い分が許せなくて躾に走りました。


この国では女性の立場がかなり弱く、血統は重んじられますが身分の継承も政治や統治、経営への口出しも許されていません。教育も遅れています。しかし周辺国では女性の地位向上により発展していたりすることを知った主人公は、未来の王妃となることで一石を投じようと思うようになりました。言いなりのやさしい旦那様(かつ仕事はできる)の元でぬくぬく公爵夫人になる未来を奪われたので、そのくらいはと。結果、言いなりのやさしい旦那様(かつ仕事はできる)を得た王妃となるわけですが。子供たちへのハニトラ対策と教育もばっちりです。

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― 新着の感想 ―
強い女はいいですね!惚れそうです。 躾は成功しましたし、読者視点としてはこれからが楽しみです。
調教成功! オシアワセニ。 アンニカ嬢は……キュッとされたんだろうなぁ〜(トオイメ) 面白かったです。
[良い点] 返信ありがとうございます! あれからしばらく考えましたが、アンニカを完全にコントロールできるような男は、アンニカが若くなくなったら躊躇なく殺しそうですね。そしてそれが出来ない男は結局アンニ…
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