4.夢の中の少年
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少年が何かを叫んでいる。声は聞こえないが、ワタシに対して何かを必死に訴えている事だけは伝わる。
少年はみすぼらしい布切れを纏い、体の至る箇所に生々しい傷ができている。
その中でも一際目を引くのは右手の甲にある焼印だ。入れられて日が浅いのか、ミミズ腫れになっており、血が滲んでいる。
よく見ると手足と首には鉄製の輪が嵌められており、鎖こそ繋がれていないものの、奴隷か犯罪者かのようだ。年はワタシと同じくらいだろうか、背はワタシよりも低くお世辞にも体格が良いとは言えない。
少年の事を見下ろしそう考えていると、少年はこちらに向かって腕を伸ばす。その顔は酷く悲しそうな、それでいて悔しそうな色々な感情が入り混じっている。少年はなおも声にならない叫び声で何かを訴え続けついには涙を流し始めてしまった。
イライラする……。
自分でも驚くような酷い感情が噴き出る。不安、焦燥、嫌悪、嘲笑、そんな負の感情が少年に対して突如として膨らんでいく。少年から何かされたわけでも、特段何か嫌な思い出があるわけでも無く、むしろ彼の境遇を思うと同情して当然だろう。しかし頭ではわかっているものの、何故かそんな感情がどんどん膨らんでいくのだ。
「あなたは誰なの?」
疑問を口にすると彼に伝わったのか、少年はその場にうなだれうずくまってしまう。小さく震わせる背中と滴り落ちる涙から少年の悲しみが伝わって来る。
「あなたはワタシにどうして欲しいの?」
少年の震えは一層激しさを増していく。
「誰かに何かされたの?」
答えは帰ってこない、帰ってきたとしても聞こえない事ぐらいわかっているはずなのに言葉が止まらない。
「泣いてばかりじゃ分からないよ?」
--------言ってはならない。--------
「男の子ならもっと堂々しなよ」
--------口にしてはならない--------
「あなたの事はあまり好きじゃないかも」
--------必ず後悔する--------
「キースとは大違いね」
なぜキースと少年を比べようと思ったのか、気が付くとそう口にしていた。
少年はこちらも見ずに倒れそうになりながら立ち上がり、自分とは逆の方向へと歩いていく。
引き止めなくてはならないと思い、未だ憎悪の対象である少年に手を伸ばす。しかし少年は向こう側の闇へと消えていった。
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「~~~様、~~~~~?」
何者かの声でミドリは目を覚ます。
「ミドリ様、起きていらっしゃいますか?」
ドアの向こうからギルバートの声が聞こえる。
「……!すみません、寝ちゃってました!」
そう答えつつ窓の外へ目をやるとすっかり日は暮れている。昼食の後そのまま眠ってしまっていたようだ。
「起こしてしまい申し訳ありませんミドリ様。キース様がお見えですがよろしいでしょうか?」
「あ、はい。ちょっと準備するので少し待って下さい」
着替えずに寝てシワだらけになってしまった服を寝間着へと着替えドアを開く。そこにはティーセットを持ったキースが居た。
「キース?どうしたんですか?」
「夜分遅くにすみませんミドリ。紅茶を持ってきたのですがご一緒にどうですか?」
「あ、はい。ぜひ」
そう返答するとキースが部屋へと入ってくる。職業柄薬品に接する機会が多いのか薬品や花などの混ざったキースの匂いが紅茶の匂いと共に広がる。
こちらの世界に来てから1ヶ月近くキースと接して分かったが、彼はとても優秀なようだ。端正な顔立ちに細かい気遣い、仕事に関しても常に様々な者に指示をし、相談を受けている。メイドたちの中にはファンも多く、同僚の騎士や文官からも信頼されている。ミドリは短い期間の間柄にも関わらず彼を信頼し、少なからず恋慕の念を抱きつつあった。
「ミドリ様は向こうの世界で付き合っている方はいらっしゃったのでしょうか?」
「ブッ!ゴホゴホッ!」
突然の言葉にミドリは勢い良くむせる。
「いや!そんな事はないですハイ!年齢=彼氏いない歴みたいなもんでハイ!」
しどろもどろになりながら答えるミドリを見てキースは苦笑する。
「突然ですみません。我々の都合でミドリを召喚してしまい、これで向こうの世界に伴侶や想い人などいようものなら目も当てられないなと、ふと思いまして……」
申し訳無さそうに視線をそらしつつキースが漏らす。
「いえいえそんな、大丈夫ですよ!キースさんこそ奥さんとかいらっしゃるんですか?」
ミドリのそんな問いかけにキースの表情が少し曇る。
「妻はいましたが、随分前に流行り病で亡しまして……」
「すみません、あの……その……」
「いえ、お気になさらず。もう自分の中では区切りを付けておりますので。気を使わせてしまいすみません」
「いえ、わたしこそすみません……」
気まずい空気が流れる。バツが悪くなり視線を逸らすとキースの左手の薬指に魔導具とは別の指輪が嵌められているのに気がつく。区切りをつけたと言っても最愛の者との別れはすぐに忘れられはしないのだろう。窓の外を眺めるキースの目は少し寂しそうな、少し懐かしそうな色をしていた。無言で紅茶を飲んでいるとキースが立ち上がる。
「紅茶も飲み終わったようですし、私はこれで失礼させていただきますね。明日もダンジョンですのでゆっくり休んで下さい」
「はい、ではまた明日」
「良い夜を、ミドリ」
そう言いキースは部屋を後にする。部屋には紅茶と薬品と花の香りが入り混じった匂いが広がっており、不思議と心が落ち着く。
「……そういえばお風呂!」
ダンジョンから戻り昼食を取ってそのまま寝てしまった為、入浴していないという事実を思い出す。
「汗臭く無かったかな……。大丈夫、きっと大丈夫だと信じよう……!」
願望にも似た結論を出し、メイドに声をかけ浴場へと向かう。一日の汚れを落として広すぎる湯船に体を沈めながらミドリは浴場を見回す。歴代勇者からの強い要望があったのか、王城の浴場はかなり広く立派であり、今代の勇者が女性の為か湯船にはバラに似た花が浮かべられていた。
「キースさん、わたしにもワンチャンあるかな……?」
誰もいない浴場でそうこぼす。そしてキースの左手の指輪を思い出し、少しだけ胸が痛んだ。