14.水没神殿攻略
水に濡れた靴の感触に顔をしかめながらミドリは魚型モンスターを切り捨てる。
「動きにくいなぁ……」
「ミドリ様はスピードが早い分水に足を取られるのでしょう。ボス部屋もすぐそこですし一度休憩を挟みましょう」
ギルバートの提案を受け入れ、小高い陸地になっている場所で昼食を広げる。
「『水没神殿』なんて言う割には神殿っぽい要素無いんですね?」
そういって辺りを見回す。今回ミドリの攻略しているダンジョンは『水没神殿』と呼ばれており、各フロアは膝下程度まで浸水している。モンスターは多様な水棲生物を中心に構成されており、ある程度慣れた冒険者でも小さなミスが多発し苦戦するダンジョンだ。しかし、現状ミドリの知る限りダンジョンは土壁と水浸しの地面しかなく、神殿の要素は皆無だった為不思議に思っていた。
「神殿要素はボス部屋にしか無いですよ。しかしボス部屋の景色を見た冒険者がその圧巻の景色から『水没神殿』と名付けたそうです。」
「そんなにすごいんですか?」
「はい、私も以前挑戦した際目にしましたが、とても神秘的な景色でしたよ」
「それは楽しみですね!」
「楽しむのはボスを倒してからですよ。ボスはマーマンが数匹いてなかなか手ごわい相手ですので油断しないように」
浮かれるミドリをキースが窘める。昼食を食べて休憩を切り上げ、三人はボス部屋の前へとたどり着く。
「すごく立派な扉ですね。今までのダンジョンとは大違いです」
ミドリの眼の前には5メートル程の高さもある両開きの扉が広がっていた。扉には様々な海の生物や神殿のような建物に人魚のような造形の女性や人間の男性が彫刻されていた。
「この扉の彫刻にはポセイドン様と思われる男性が彫られているので神話に関係するのでは無いかと言われていますが、該当する文献が無く今も研究中とのことです。」
キースの説明を聞きミドリは再び男性と人魚に目を移す。人魚は男性と会えた事を喜んでいるのか笑顔のようだ。しかし男性は人魚に手を差し伸べているにも関わらず悲痛な表情をたたえている。
「なんだかチグハグな感じですね。この男性は何で悲しそうなのに手を差し伸べているんですか?」
「正確なことは言えませんが神であるポセイドン様と魔物である人魚の悲恋を悲しんでいるという説が濃厚です」
「身分で好きな相手を愛せないなんて残酷ですね……」
少ししんみりとした雰囲気を振り払い重い扉を開く。扉の中は地下にも関わらず海が広がっていた。中心部には白く細かい砂が敷き詰められており、その空間だけに光が降り注いでいる。周りの海には崩れた神殿のようなものがチラホラと落ちており、サメやクジラの大型の魚から色鮮な小魚が泳いでいて奥の方は光が届かないのか暗い闇に包まれていた。
「すごいですね!とっても神秘的な空間です!」
現実離れした光景に浮かれるミドリ。しかしキースとギルバートは警戒の色を強めてミドリに警告を発する。
「注意をして下さい。以前来た時と景色が違います。私が見たのは壁一面に広がる壁画でした。ギルバート!退路を確保して下さい」
「はい!」
キースに促されギルバートが元来た扉へと駆け出す。しかし突然扉が音を立てて勝手に閉じた。
「ダメです!退路絶たれました!」
「クソッ!全員集まって敵に備えてください!裏ボスです!条件は分かりませんが知らぬ内に満たしてしまったようです!」
時折明らかに低難易度のダンジョンに挑んで戻らぬ冒険者達がおり「条件を満たすと裏ボスが出現する」という噂が冒険者の間では半ば常識として認識されていた。キースもその噂は耳にしており、格上のボスが出現すると考えていた。
「何か聞こえませんか?歌声のような?」
悲しんでいるような喜んでいるような不思議な声色で歌声が広場に響く、正体を確認しようと三人は周りを見渡すが声の主は見つからない。
「魔力は感じないので精神干渉系の術では無いと思いますが警戒を怠らないで下さい。」
警戒しつつ敵の出現を待つも歌声が徐々に大きくなる以外変化はない。歌声が耳障りだと感じる程に大きくなったその時突然歌声が途切れる。しばしの静寂の後ミドリがあるものに気付く。
「あれ、影なんてありましたっけ?」
そう言われ確認すると部屋の中央に小さな影があった。様子を見ているとその影は徐々に大きくなり、上から何かが降りてくると思い目線を上げるが何も無い。
「一体何だろう?」
そうミドリが呟くと突然重く冷たい声が響く。
「お前が勇者か」
その声に驚き全員が元の位置を確認すると上半身裸で槍を携えた挑発の男が宙に浮いていた。
「力を求めてここまで来たのか?」
「あなたは一体……?」
「質問しているのは己だ」
気分を害したのか一際大きな声を男が発すると尋常ならざる圧力が全員にかかる。ミドリは何とか耐えるもののキースとギルバートは膝を付き肩を震わせている。
「もう一度だけ質問しよう。力を求めてここまで来たのか?」
「はい……。強くなるために来ました!」
力を振り絞りそう叫ぶと男は考えるように顎に手を当てる。
「ふむ、しかしこのダンジョンはいささかお前には簡単すぎるんじゃないか?実力を過小評価しているのか?」
「戦闘経験が少ないので実力を図る為にも低難易度のダンジョンから攻略している最中なんです」
「殊勝なのは良いことだ。過信から命を落とすものも多い。」
「ありがとう……ございます?」
「お前にとって力とは何だ?具体的には何を望む?」
「それは……」
(考えたことも無かった……。魔王を倒すのが目的だから聖剣とか……なのかな?)
「お前にとって力とはそういう物か。なればこれを授けよう」
ミドリの思考を読み取ったのか男はそう言い虚空へと手を伸ばす。すると何も無かった空間に光が集まり剣が姿を現す。
「それは……?」
「銘は無い。これくらいであれば人間が魔王と呼ぶ者にも通用するだろう」
剣を手渡す男性に既視感がありミドリは疑問を口にする。
「もしかして……ポセイドン様?」
「いかにも。己はポセイドンと呼ばれる者だ。」
そう答えるポセイドンにミドリは続ける。
「神様なら直接魔王を討伐したりできないですか?」
「協力ならそれでくれてやるだけで十分だろう」
「苦しんでる人々を救ってはくれないんですか?」
「人の子らはいつの時代も苦しんでいる。救うのはお前の役割だろう」
「そうですけど……。もっとこう魔族に襲われないように結界を張るとかってできないんですか?」
「そのレベルの干渉は己にはできない。それ以前に貴様ら人の子らと魔族と呼ばれる者の区別は己にはできん」
そう言われ俯くミドリ。
「用が済んだのなら帰るが良い。剣を落とさないように注意しろ」
空間を満たす威圧感は相変わらずだが、注意を促すポセイドンの表情に少しの優しさをミドリは感じた。背後から音がして振り向くと扉が開かれていた。
「分かりました。ありがとうございます。」
「礼は良い己がしたくてしたことだ。」
部屋を出ようと二人に目を向けるとギルバートは肩で息をしながらも辛うじて歩けそうな状態だ。しかしキースは先程と同じまま膝を付いて震えている。
「どうしたのキース?歩けなさそうなら肩を貸しますか?」
「………」
「キース?」
「………」
キースからの返事は無く、震えは体全体へと及び激しさを増すばかりだ。
「あの、ポセイドン様。その……、威圧するのを辞めてもらえませんか?このままでは帰れません」
そう言い振り返るといつの間にかポセイドンはミドリの目の前にまで距離を詰めていた。
「ソイツは駄目だ」
心臓が凍りつく程冷たく重たい声にキースの震えは更に震えを増す。
「それは一体……?」
「ソイツはここで死ぬべきだ」
ポセイドンは声色を変えぬままそう言い放つ。その表情は先程とは打って変わって憎悪に歪んでいた。
「一体何で……!?キースが何したって言うんですか!?」
ポセイドンは更に憎悪を深め高度を増す。
「ソイツは領分を超えた…。軟弱で…!矮小で…!卑怯で…!そんな身でありながら許されぬ過ちを犯した!」
ポセイドンの叫びが辺りに響き渡る。その声は悲痛で、かつ憎しみに満ちており、殺さねばならぬと錯覚させるだけの力強さが込められていた。
「お願いです!キースが何をしたか分からないですが大切な仲間なんです!どうか考え直して下さい!」
「ならぬ」
そう言うやいなやポセイドンは槍を振りかぶりキースに向けて投げつける。
(弾くのは無理だ!)
槍の速度や威力にミドリは弾いて助けることは無理だと判断しキースに覆いかぶさり、衝撃に備えるように目を固く瞑った。
「グッ!ゲホッ!」
「え?」
予想した衝撃が来ず後ろを振り返るとギルバートが血を吐いて立っていた。その左胸からは槍の先端が見えていた。
「ギルバート!どうして!?」
「ミドリ様が…ゲホッ…無事で良かっ……た…。」
ミドリが無事だと悟りギルバートはその場に崩れ落ちる。
「ほう、誇れ若き騎士よ。命を賭して想い人を救うのは誉れぞ。」
そう言いポセイドンは槍を引き抜きギルバートの胸に手を当てた後に瞼を閉じさせる。
「この騎士は本分を全うした」
ポセイドンは立ち上がり、慈愛に満ち溢れた目でギルバートを一瞥すると再びキースへと視線を戻す。
「だというのに貴様は……。女に守られ…!ただ俯き…!震えるだけなのかぁ!」
「あなたはぁ!」
ポセイドンの咆哮ともつかぬ叫びにひるまずミドリは剣を振り下ろさんと距離を詰め飛びかかる。が、開いている手で埃でも払うかのようにあしらわれる。
「はぁぁああ!!」
着地した勢いで剣を振り上げるもまたしても片手で防がれ、がむしゃらに剣を振り続ける。
「お前は勇敢だな。神を相手取るのは怖いはずだろう?」
距離を取ったところでポセイドンがそう言いミドリの膝を指差す。指の先に視線を向けるとガタガタと音が聞こえそうな程膝が震えている。震える膝を力いっぱい殴りつけ改めてポセイドンをにらみつける。
「大切な人たちが傷つけられたってのに怖がってられるか!!」
ミドリの叫び声を聞きポセイドンが拳を握りしめ、強く唇を噛み締めたのか口の端から血が漏れる。その顔は悲痛に満ちていて今にも泣き出しそうだ。
「ミドリ……!逃げろ……!」
ミドリの危機を察したのかキースが重圧に震えながらも声を振り絞る。
「ほう、喋れるだけの意地はあったか。全く忌々しい虫だ。」
軽蔑するような目でそう吐き捨てポセイドンは再度ミドリを見据える。
「勇者よ。お前に免じてその虫を殺さずにおいてやろう。ここに来なければ己はこいつを殺せんだろうよ。しかし殺すことが己からの慈悲だったことを覚えておくが良い」
「それは……一体……?」
「勇者よ。お前はお前の思うままに人の子らを救うが良い。しかし己からの慈悲を期待するな」
そう言われミドリは意識を失い、床に倒れる。ポセイドンはゆっくりとキースの元へ近寄り耳元で囁く。
「貴様は己と同じ罪を犯した。矮小で。貧弱で。卑怯な身で大きすぎるものを求めた。他の神にその事を知られ、嫌悪感を持たれた時は死などという安寧は得られないと思え」
ポセイドンがそう言い終わるとキースも同様に意識を手放し倒れ込む。
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人の居ない部屋に歌声が響く。部屋は海に囲まれ幻想的な風景を演出している。
部屋の中央で上半身裸で槍を携えた挑発の男が岩に腰掛けが海を見つめて呟く。
「セイレーン……。僕はもう一度だけ君と話がしたいよ……。」
歌声は悲しそうな嬉しそうな、そんな不思議な声色で部屋に響き続ける。
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