声が聞きたい
最後に直接会って話したのはいつだっただろうか。私は生まれ育った町を出て一人暮らし。大輔は今までと同じようにあの町で暮らしている。
バイトを終えた深夜と言える時間帯である今。何だか無性に彼の声が聴きたい。……でもこんな時間に連絡するのは流石に迷惑だよね。
実はついこの間、こんな時間に悪いとは思いながらイタズラ電話をしてしまった。夜中に一人で寂しくて酔っ払って、歯止めが効かなくなった私。素面になったらすぐ後悔した。
今思えば寂しくてかけた相手が大輔だったのは無意識だったと思う。同時に私は何だかんだ優しい大輔でも流石に怒るはずだと思っていた。
ちゃんとダメな時はダメだと叱ってくれる人だから。なのにかけちゃった私の目的。……何だかその時は彼を怒らせてもいいから誰か自分のよく知っている人に構って貰いたくてしょうがなかったんだろうなぁ。
寝ていたのだろう。電話に彼が出てくるまで結構時間がかかった。今話したいだけで留守電に何か残す気は毛頭なかった私は、留守電になったら切るつもりでいた。そろそろ留守電になるかならないかの時に、なにやら寝ぼけているような声が聴こえてきた。
『……うぁい……はぁい、町野ですが……ん、かおるか? どうしたんだ……なんかあったのか?』
怒らなかった。その後、何かあった訳でもなくただ電話しただけだと私が言っても怒らない。それどころか、これまででもトップクラスに入るくらいに優しかった。
よほど眠かったのか、ほぼ大輔は私のくだらない話に相槌をうんうん打つだけ。でも怒りもしないでずーっと相槌を打ってくれたのだ。
――この、予想外の対応が心底嬉しかった。こんなに優しい人へ迷惑かけて怒らせてもいいから構って貰おうとしていた自分が恥ずかしい。
反省に加えてもうひとつ強く感じたのはいつもと違う彼の声が何だか優しく穏やかで可愛く聞こえてしまったことだ。電話を切った後、ひとしきり部屋で悶えた。
そこで身に染みて理解した。好きだから、夜中に声が聞きたくなった。彼の声が聞けたからこんなに嬉しくて胸がドキドキしている。そっか、私は大輔の事が好きなんだと……。
気づいた後は逆に電話なんて出来なかった。電話じゃなくても連絡手段は他にもあったがそれも避けてしまうほど。向こうや他のメンバーから見たら急にどうした? ってところだろう。いつもなら何かしら連絡をとっていたから大輔もおかしく思っているはずだ。
なのに、向こうも返信がなかったらなかったでスルー気味。現在元はといえば自分が悪いのにかなり凹んでいる。
……今この時間に電話したら、またあの声が聞けるかな。
今大輔に彼女がいないと確信出来ない程度の仲の私から急に電話があっても出てくれる。話を聞いてくれる。
でもそんな彼を避けてしまっている。嫌われているかもしれない、これからもっと嫌われるかもしれない。それなら何もしない方が……。
ぐるぐると頭を巡るのは結論が出ないからだ。恋心に気づいただけなのに随分と臆病者になってしまった。悪循環に陥ってる気がする。今晩もこのまま疲れて寝てしまうんじゃないか。そう思いベッドに寝転がり始めた矢先、大輔から電話がかかってきた。
画面を見ながら数秒迷った。動揺が収まらない。嬉しいはずなのに出たくないとも思う。プレッシャーで手に汗が噴き出る。
出ないのは駄目だ。それははっきりしている。でも心の準備が……。ってそれを待っていたら電話切れるぞ。
そういえば彼から電話がかかってくるなんて小さい頃以来かもしれない。いつも何だかんだ私から電話していた。その彼がわざわざ電話をしてくるのだ。よっぽど怒っているのか、それとも不快にさせてしまったのか。あーどうしよう。
私は意を決して出る事にする。
「……はい。もしもし、大輔?」
自分の口から出たのに、何だか我ながらよそ行きな声だと思った。いくら電話でも普段の私じゃないのはバレバレだろう。
「かおる、まだ起きてたか。良かった」
しかし彼は私の声どうのこうのではなかったらしい。ため息混じりのほっとした声が耳に届く。
大輔の声だ。今一番聞きたかった彼の声。いざ聞いてしまうと、聞けなかった時よりも更に胸が苦しくなった。彼の声が耳から体の端までじわじわ伝わってこんなに胸が苦しいのに、なんだか幸せにも感じる。不思議。
「うん、起きてたけど……どうかした?」
「あー、そうだな、久しぶりにお前の声が聞きたくなったんだ」
「声?」
「……うん」
照れくさそうに少し笑いながら「うん」だって。……どうしよう、めちゃくちゃ可愛い。
「うん、だって……うん……そう……」
「おい、そんなからかうなよ。おう、とかそうだ、とか言えば良かったか?」
「ううん、違う。その、我慢出来ないくらい可愛かったから」
「……はぁ?」
我慢出来ないってなんだよ私。うっかり本音で答えてる場合か! やばい、ドン引きだよ。可愛いだけでもアレなのに我慢出来ないくらいとか……。
いや、いつもの私だったらこれくらい冗談だと思われて本気には思われないかも。それか今日も酔っぱらってるふりをするとか。それはそれで複雑。
うわーん、こんな事になるならもっと前から大輔にふざけて冗談でからかったり、酔っぱらって電話しなきゃ良かった。後悔先に立たず。
「……またかよそれ」
「え? またって事は前にも私言ってたの!?」
やっばりふざけて言った事があったのか。過去の私め……。本音なのに信じてもらえないのはお前のせいだ。過去の自分からしてみればとんでもないやつあたりをしていると大輔の声のトーンが少し低くなった。
「ごめん、本当は少し寝ぼけてたからうろ覚え。下手したら夢かもしれない」
「へ?」
という事はこの間の話? でも私はそんな事言った覚えはない。酔っ払ってたけど意識はあったはず……。いや、酔っぱらってたから記憶はまだらかも……。ないものを探して自問自答しようとするも当時寝ぼけていただけで素面な大輔の話が続く。
「かおるも酔っ払ってたみたいだから覚えてないだろうな。でもその後話した事ははっきり覚えてる。寝ぼけてない。……お前は、俺に告白したんだ。私は好きだけど、大輔は私の事好き? って感じで」
「好、き? ……って嘘!? 本当に?」
「本当。夢じゃないからな! それでちょっと寝ぼけてたのが吹き飛んだんだぞ!」
「マジで私、そんなこと言ってたの?」
「そうだよ。そしてその後、返事を待たずに一方的に電話を切った」
「嘘、嘘……。だって電話切った後ベッドでしばらくゴロゴロしてキャーキャーしてたのに。あ、でもその前の記憶はぼんやりしてる……」
もしかして大輔が可愛くて我慢出来ずに、今みたいに本音を言っちゃったのだろうか。だめ、全然覚えてない。酔っ払ってたから本音が出やすかったの? 可愛かった、だけではなくて私の事好きかどうかまで聞いちゃってたの? ……あー酔っ払いの私よ、何してくれてんの!
そもそも電話かけるかどうかで悩んでいた自分は何だったのだろう。もっとすごい問題があったというのに。まさか既に自分から告白してたとは想像もしていなかった。
どうしよう、謝るべき? いや、本当の気持ちなんだから謝るのも何だか。
かと言って自分から告白しといて急に電話切ったのは事実だよね。その後色んな連絡をスルーしてたとか端から見たら思わせぶりにもほどがある。
「うわぁー、どうしよう!? 恥ずかしい!」
「どうしよう、って……まずはとりあえず俺の返事を聞け」
「えっ、えっ? 返事を今!?」
「今日はその為に電話したんだ。また電話がかかってきたら言おうと思って待っていたんだが、まーいつまで経ってもかかってこない。他で連絡取ろうとしてもスルーされるしでこっちこそどうしようかと。しっかし、酔ってたから忘れてるかもしれないとは思っていたが、本当に覚えてないとはな……」
酔っぱらいの告白にわざわざ返事を……しかもわざわざ電話で自分から……相変わらず真面目だ。よく知ってるけどさ。
……そっか、私がスルーしていたのも返事待ちくらいに思っていたのか。告白自体を本当に忘れていたのは確かだけど。単純に恋心に気づいただけで悩んでたなんて考えてないか。
ほんと優しいな。私が忘れてるだけかもしれないと思って、電話してきた理由を最初は声を聞きたくなった、なんて言ってくれたんだよね。そんな人他にいないよ。そんな真面目で優しい彼の返事を聞かせてもらう前に礼儀としてこちらから言う事がある。
「実は、その前に私からお伝えしたい事がございます」
「え、急に変な口調でどうした? まさか本当は覚えていたのか」
「いや、告白は全然覚えてません。その大事なところは覚えてないのに大輔の声の事はずっと覚えてて、その事ばかり考えていて、あー私はこの人の事が好きなんだとこの間の電話でやっと気づきました」
「……冗談じゃなく?」
「本気です。素面です。今の私は酔っ払ってない。さっき声が聞きたくて、って言ってたけど私の方が声聞きたかったんです。ずっと」
「声? 俺の? 可愛いって言ってたのもあれ、本気なのか?」
「そうです。この間の大輔の声は可愛かったし今日も可愛いと思いました。貴方の声は聞いているとベッドでじたばたしたくなるくらいです」
「……かおる、お前やっぱりおかしいぞ。口調も言ってる事も。酔っ払いは酔っぱらっていても酔っぱらってないっていうもんだ」
疑われている。当たり前だろう。でも続ける。変なのは事実だが、酔っぱらっていないのも事実だからだ。
「私は正気です。親しき仲にも礼儀あり。というか酔っ払ってたとはいえ、本当に好きな相手に適当な告白をしてしまったことを反省してるんです。しかも返事まで先に言われては申し訳ないじゃないですか。そして再び告白するなら尚更尊敬を持って話さないと。だからこの口調なのです。おかしいかもしれませんが、私は本当に、貴方のことが好きなのです!」
「お、おう……そうなの、か?」
電話の向こうでは本気でドン引きしているような気配がする。しばし沈黙が続いた。一瞬冷静になる。何、自分でもドン引きだよ。この告白は大丈夫なの?
そしてなんなのだろう、酔っ払ってないのに酔っ払ってるようなこの謎の高揚感は。返事を聞く前に本当に彼が好きな事を伝えたかっただけなのに、なんだかよりフラレる要素を増やしただけなのでは……。
しかし再び謎の高揚感に飲まれた。私には次々と出てくる熱い言葉を止める事が出来なかった。しばらく私がずっと話していた、大輔の好きなところを本人に向かって。
「――ごめん。落ち着いてきた」
「やっと、元に戻ったか」
しばらく経つと熱はすっかり冷めてしまい、同時に後悔のビッグウェーブが襲いかかってきた。もうダメ過ぎる。ネガティブ通り越して無になりそう。
「うん……。後は煮るなり焼くなり、縁を切るなり、どうぞ、お好きに……」
「煮ないし焼かない。縁切らない。つーか俺は嫌な奴からの電話ならそもそも出ないし、俺から電話した時点でもう……。コホン、かおる。ではこちらも伝えたい事がございます――」
大輔が急に変な敬語へ変わる。その声は先程よりも少し優しく穏やかで、すんごく可愛くて、なんだか嬉しそうだった。