未来が見える悪役令嬢
公爵令嬢リアーヌ・ベネシュが処刑台にかけられた時、まるで彼女は大昔からこうなることがわかっていたかのように落ち着き払っていた。
反乱予備、国家財政の横領、学園での虐めに数々の人々を陥れて来た容疑を持っている悪女は、最後に婚約者であったロイク王子に微笑みかけたが、王子は複雑な表情をしたまま、彼女を見つめ返すだけだった。
王子の側に控えていたティリス男爵令嬢が残酷な光景から目を背けるように王子にしがみついた。
処刑人がギロチンの刃を支えるロープを切る。
リアーヌは静かに目を閉じて、自分の運命を受け入れた。
※※※※※
リアーヌ・ベネシュが10歳の誕生日を迎えた日の夜、彼女はある夢をみた。自分のお付きのメイドであるエマが階段から落ちて顔に怪我をし、屋敷を去るという夢だった。
リアーヌは不吉な夢を見たと忘れようと努めたが、そう意識すればするほど鮮明にその光景が思い浮かぶようになっていった。
エマが両手に持っていた荷物、窓際に置かれていた花瓶の花、日差しの差し込む角度などあらゆる細部の情報が頭にこびりつき、常に思考の片隅に居座るようになった。
そして夢を見てから数カ月たったある日、リアーヌはエマが夢と全く同じ荷物を両手に持って廊下を歩いているところを目撃した。
嫌な予感のしたリアーヌはエマに声をかけ、荷物の一部を代わりに持つと申し出た。
エマは恐縮しきって断ろうとしていたが、強引に奪いとり、夢で見た階段を下った。エマはなぜリアーヌが行き先を知っていたのか不思議そうにしながら階段を降りた。
リアーヌは不安そうにエマを見つめていたが、片方の手が空いていたエマは階段から落ちることはなく、無事に階段を降りきった。
それ以来、あれほど頭にこびりついていたその夢が、意識しなければ思い出せないほどに薄れていった。
リアーヌはそこで自分が見た夢が未来に起きる出来事であることを悟った。そしてリアーヌはそれまでの数カ月で既にたくさんの同じような夢を見ていた。
それからのリアーヌは夢で見た悲劇を阻止するために動き始めた。
それは酷い両親に虐待されている子供であったり、見たこともない地面が揺れる現象で家が倒壊するような現象であったりした。
そのうちのいくつかは阻止出来たが、防げない未来もあった。その防げなかった未来は過ぎ去った後も、時折頭の中に蘇り、責めるようにリアーヌを苛んだ。
リアーヌはそれ以来、少しでも防げない未来を避けるために力を求め続けた。それは未来の光景の片隅に映っていた技術やデザインにより得た金であったり、悲劇の未来を見逃すことで得た他人の弱みであったりした。
影で力をつけていく内に、リアーヌは15になり婚約が決まった。相手はこの国の王子であるロイクだった。
そしてその日の夜、リアーヌは王子が隣に別の女を侍らせて自分を処刑する夢を見た。
※※※※※
リアーヌが未来を見るようになって初めてその事実を伝えた相手は幼馴染のロイク王子だった。
リアーヌはなんとなく他の大人たちにこの能力があることを伝えるのは、霊感があると自称して他人の関心をひこうとするような恥ずかしい行いであるような気がしていたのだ。
ある日、ロイク王子と話していたとき、ふと部屋の暖炉に夢で見覚えがあることに気づいた。火の不始末で火事になる夢で、使用人が一人火傷を負う程度の小さな事件の夢だった。
普段なら他人の家のこと、それも他人の悪意や事故などではなく不注意という何時でも起こりうるようなものに対処することは無かったが、気まぐれにすぐ近くにいたロイク王子にそのことを伝えた。
リアーヌにとっては必ず起こる未来であっても他の人には理解されないということは既に分かっていたので、本気にはされないだろうと思っていた。
だがその悲劇は未然に防がれたのか、リアーヌの脳裏に再び浮かび上がることはなかった。おそらくはロイクが数カ月ものあいだ頻繁に暖炉の点検をし続けて火の不始末を防いだのだろう。
リアーヌ以外の人間にとってはただ、何も起きなかったというだけの話だが、リアーヌにとってはふとした瞬間にグロテスクな火傷の光景を思い出さなくて済むという大きな救いになった。
それに何より自分の些細な嘘と思われても仕方ない話を信じてくれたことが嬉しかった。
それからリアーヌはことあるごとにロイクに見た未来の夢を伝えた。ロイクはそのどれもを下らない冗談とは受け取らず真剣に対応した。
そのいくつかは大人たちにも褒められるような大きな事件でもあり、二人はこの地を守るヒーローのような気分になっていた。
だがそれもそう長くは続かなかった。二人は片や一国の王子であり、片や公爵の娘なのである。
危険に関わる度に二人の警備は強化され、自然に二人の関係は薄れていった。
※※※※※
リアーヌは夢でみた処刑を回避する方法を考えようとした。王子の隣にいた女性はティリス・フィザールという男爵令嬢であり、学園で王子と関係を築き、リアーヌが処刑される頃には王子の新しい婚約者と目される立場にあった。
リアーヌの処刑理由は数あったが、殆どは疑いに過ぎず、一番の理由は王子に見限られたことにあるのだろうと推測できた。罪状の中にわざわざ虐め行為があったあたりにその理由が伺い知れた。
リアーヌはバカバカしいと思いながらも、今まで見た未来が間違うことはなかったことを思い出し、震え上がった。
リアーヌはとにかく婚約者である王子の心を自分から離さないようにしようと考えたが、どうすれば良いのか全く分からなかった。
リアーヌは王子と会うたびに彼の気を自分に留めておこうと様々なことを試した。
しかしどうしても上手く行かなかった。
ふとした瞬間に、彼は婚約者である自分を裏切って別の女に乗り換える男であるということが頭をよぎるのだ。
無論、それは未来の話であり、今の王子はまだなにもしていない。
だが、幼少期から未来に起こる悲劇の予知視に取り組み続けていたリアーヌにとって、夢で見た出来事は"可能性"ではなく、自分が動かさなければ必ず起こる"事実"なのだ。
本来なら浮気することが確定している相手をどう愛すればいいのか、リアーヌには分からなかった。
これが政略結婚であると割り切ることが出来ればまだ救いがあるが、この件は回避しなければ自分の命がかかっている。
そしてそれは自分が未来に起きうる悲劇から守らなければならない大勢の人々の命でもあるのだ。
リアーヌは時折すべてを投げ出したくなったが、その度に過去に救えなかった人々の姿が脳裏に浮かんで動けなくなった。
そんな不安定な心情が表に出ていたのか、王子はリアーヌを不審に思うようになった。
そして王子はリアーヌが過去に行った所業について調べ上げ、とある夜に部屋に呼びつけて彼女に突きつけた。
「どういうことなんだ。なぜこんな横暴を働いたんだ」
王子の問いかけに、半ば自棄になっていたリアーヌは正直に答えた。
「その役人は後々酒に溺れて金に困り、銀行を襲って6人を殺害します。だから炭鉱に送りました」
「なぜそんなことが分かる?」
「未来が見えるので」
ロイク王子は笑った。
「そうか。なら俺は未来から来たんだ。あいにくそんな事実は無かった」
リアーヌは馬鹿にされていることを分かった上で答えた。
「そうでしょうね。私が阻止しましたので」
ロイクはため息をついた。
「リアーヌ。君は一体どうしてしまったんだ。未来が見えるなんて子供じみた遊びはもう卒業したはずだろう」
「あのときのことを覚えているなら、私が間違っていないことは分かるはずです」
「君の言ったことの殆どは実現しなかったし、そういう可能性の種を見つけることはそう難しいことではない」
「実現しなかったのは私達がいたからでしょう?」
ロイクは話にならないという顔をした。
「いいか? もし未来でそのようなことが起こる可能性があるとして、君が炭鉱に送った彼には今のところ何の罪もない」
「なら彼が銀行を襲うまで待てば良いのですか? それだけのことをするのに一体どれほどの費用と時間が必要だと思っているのですか? 私がそれを待つ間に他にもたくさんの殺人鬼や虐待する親がいるのです。先に対処していかないと間に合いません」
「……彼は炭鉱に入って数カ月で感染症に罹って死んだ。君の意味不明な横暴のせいで適性もないのにそんな場所に送られたからだ。それは悲劇の内に入らないのか?」
リアーヌは決心したように大きく息を吐いた。
「あなたは未来が見えないから自分の意思で行動していると思っているのですね。でも私はそうでないと知っています。私はあなたに関する未来を一つ知っています。そうなるかどうかで賭けをしましょう」
「……なんだ?」
「あなたは私とは別の女性と恋に落ちて邪魔になった私を処刑します」
王子はため息をついた。
「そんな子供じみた予言で気をひこうとしなくても俺は今でも君を愛しているし、この先変わることもない。ただ大人になってほしいだけだ」
リアーヌは俯いたまま、目の端からポロポロと涙を零した。子供の頃の冒険がすべて下らない冗談のように扱われたのが悔しくて仕方なかった。
「そうだといいですね。もし婚約を解消したくなったらいつでも言ってください。最悪の未来になる前に」
※※※※※
学園に通うようになったロイクはリアーヌから目を離さないようにして、同時に部下たちを使って彼女の過去を調べさせた。彼女がなぜ自分が浮気するなどと言い出したのかの真偽を確かめるためだ。
だが調査の結果、表に出てきたのは他の男の影などではなく、神の如き投資の才覚や全く接点のない貴族の弱みを握って脅しているという、彼女が未来を見ていることを想像させるような情報ばかりだった。
ロイクは予知視など全く信じていなかったが、数百年起こっておらず、空想上の出来事であると考えられていた"地震"という現象を想定していたと考えられる動きを見せていたという情報で、彼女は本当に予知視が出来るのではないかと揺らいでいた。
あんな異常現象を言い当てられてどうして婚約者の裏切りを言い当てられないことがあろうか。
しかし、その事実がロイクに火をつけた。とある貴族が敵対する貴族令嬢と恋に落ちた童話のように、逆境が彼を燃え上がらせた。
彼はことあるごとにリアーヌのもとに向かい、共に時間を過ごした。
だがリアーヌは寂しそうに微笑むだけで嬉しそうには見えなかった。そんな表情を見るたびに、ロイクはまだ犯してもいない罪で責められているような気分になった。
そして彼女は自分と共に過ごしている時でも、ふと顔色を変えて駆け出していき、無理な要求や脅しで人を振り回していた。
傍からみていると癇癪を起こしているようにしか見れず、いたたまれなくなったが、そのように思われてでも他人を救おうとしている姿に胸が痛くなった。
彼女はどんどん学園での権力を増していき、取り巻きの数とは反比例的に孤立を深めていった。
ロイクは彼女と共に過ごすのが苦痛であることを認めざるを得なくなっていた。
ロイクはリアーヌから逃げるように勉学に打ち込むようになり、図書室にこもるようになった。
そこで同じようにリアーヌの勢力から逃げてきた男爵令嬢のティリスと出会った。彼女が受けているという仕打ちはまさしくリアーヌがやりそうな悲劇の回避のとばっちりを受けているようなものだった。
何度かあって話しているうちに、彼女が自分に好意を持っていることは気づいていた。彼女に二人きりで相談がしたいと呼び出された時、そこで何が起こるかなんて予知視の能力がなくても分かりきっていた。
ティリスは上着を脱いで、リアーヌから受けたという虐めの傷を見せた。リアーヌがそのような直接的な攻撃を行うかという点には疑問符がついたが、あえて確かめようとしなかった。
そしてその最悪のタイミングでリアーヌの調査を続けていた兵士が扉を開けて報告した。
「殿下! リアーヌ・ベネシュ公爵令嬢に国家に対する反逆の疑いがあり、急ぎ逮捕しました!今すぐ──」
ロイクは今では彼女の予知視の能力の実在を疑っていなかった。
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リアーヌが処刑されて一週間もたたないうちに、彼女が兵士と武器を集めていた理由が明らかになった。"魔物"と呼ばれる異形の怪物たちが突如として現れ、市民を襲い始めたのだ。
リアーヌが集めていた兵士はまるでその存在を知っていたかのように冷静に対処し、被害を最小限に抑えた。
一方でロイクとティリスの関係も一月も持たずに破局した。ティリスの語ったような虐待の事実はなく、リアーヌに狙われていたのは既にそれだけの後ろ暗いことをしていたからだった。
もとよりティリスに対して同情以上の感情を持っていなかったロイクはすぐさまティリスを切り捨てた。
結果として、リアーヌに残ったのは些細な疑惑のみで、普通であれば処刑されるはずもないものだった。だが、まるでそうなることが当然であるかのようにリアーヌは処刑されてしまった。
ロイクは学園にいた頃にリアーヌが言っていた、世界には大きな流れがあって、それに反する方向に未来を変えるのは簡単には変えられず、その出来事に関わる人間が死ぬといったような大きな変化が必要だという言葉を思い出した。
その言葉に従えば、リアーヌの処刑において必須の構成要素はロイクだ。
婚約者を裏切っておいて、その婚約者を見殺しにするようなクズ野郎は、普段のリアーヌならば排除して当然の存在だっただろう。
だが彼女はそうはせず、ロイクがそうしないことを信じて相手に委ねたのだった。
結果、彼女は自らの命をもって自分の正しさを証明した。
そして彼のもとには膨大な数の未来の悲劇を書いた手紙が遺されていた。彼女が何をさせたいかロイクは手に取るように分かった。
しかし、彼女には一つだけ間違っていたことがある。
未来に起きる出来事を知る方法は一つでは無いということだ。
ロイクは手紙の前にたち、自分の首元にナイフを突き立てた。
その瞬間、ぐにゃりと視界が歪み、あの日の部屋に変わる。
目の前には憔悴しきったリアーヌがいてこう言った。
「その役人は後々酒に溺れて金に困り、銀行を襲って6人を殺害します。だから炭鉱に送りました」
ロイクはそのやり取りを正確に覚えていた。
「なぜそんなことが分かる?」
「未来が見えるので」
ロイクは軽く笑ってこういった。
「そうか。なら俺は未来から来たんだ」
リアーヌは馬鹿にされているように感じたのか、顔を僅かに歪ませた。その表情すらロイクにとっては愛らしかった。
「リアーヌ。君は本当に子供の頃の俺が何ヶ月間も毎日毎日暖炉の火の不始末を確かめ続けたと思っていたのか? それ以外の数々の事件を本当に子供の知恵だけで解決していたと思っていたのか?」
リアーヌは目を見開いた。
「……まさか」
「君が処刑されるという未来を見たと言うのなら、そうでなくなるまでやり直し続けるだけだ」