0-09.とある世界の“世界”の話(2)
本日は3話投稿。
その2話目です。
インターネットの掲示板にとある噂が書き込まれたのは、2000年の夏のことだった。
“魔術師はその力で世界を征服しようとしている”
“魔術師は裏で様々な陰謀に加担している”
“魔術師は一般の人間のことを下等種と見下しており、その命を奪ってもなんとも思わない”
このような噂が世界各地で同時多発的に書き込まれた。
引用も根拠提示もない、今にして思えば単なる与太話に過ぎなかったし、当時はまだインターネット黎明期で直接目にした者も多くはなかったが、マスコミがこれに気付いて取り上げたことでその噂は瞬く間に世界に広まった。
何しろ人々は、人類が叡智をかけて築き上げてきた科学の敗北と、それを覆してみせた魔術の威力を目の当たりにしたばかりである。魔術がもし本当に人類に敵対し牙を剥くような事になれば、果たして人類に対抗手段はあるのか。その不安を明確に否定できる材料など誰も持ち合わせなかった。
そう、魔術師たちが人類に敵対しない保証などどこにもない。そのことに人々は気付いたのだ。
〈協会〉は直ちに代表者を通じて、魔術師が魔術で人類に危害を加えることは決してないと表明した。各国首脳も連名で、あるいは個別に、新たなる友人である魔術師たちを貶める根拠なき噂を安易に信じることのないよう、国民たちに注意を呼び掛けた。
だがそれでも対抗手段の見いだせない未知の力は人類にとって恐るべきものであり、その不安を解消するには至らなかった。言うなれば丸腰でナイフを突きつけられているようなもので、いくら危害を加えないと言われたところでそんなものは“ナイフを持った人”の心持ちひとつでしかないのだ。
さらに、先進主要国がそれぞれ国軍あるいは警察機構内に対魔術用の秘密部隊の設置と法整備を進めている、とのスクープが流れたことが決定的になった。実はそれは〈協会〉側から話を持ちかけて、魔術を犯罪に用いられぬよう抑止として各国に技術供与を進めていただけだったのだが、その真実は人々に浸透しなかった。
もはや、人々は魔術師を信じられなくなっていた。しかも悪いことに、フィアーフォールの一件以来自ら魔術師だと名乗り出たのはごく一部の著名人だけで、在野の人々は一切名乗り出なかったものだから、人々は誰が魔術師で誰がそうでないのか、区別が付かずに疑心暗鬼に陥るしかなかったのだ。
そうして魔術師たちが、〈協会〉がもっとも恐れていた事態が起こる。
そう。中世の悪夢と彼らが呼ぶ、“魔女狩り”の再燃だ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
まず最初に、既に魔術師だと名乗り出ていた著名人たちが“魔女狩り”の犠牲となった。彼らは多くの猜疑と非難に晒され、迫害されて次々と表舞台から姿を消していった。擁護の声は多かったが、それ以上に畏怖し糾弾する声が勝ったのだ。
次に人々は、隣にいる誰かもまた魔術師ではないかと疑い始めた。決定的な証拠もないまま、魔術師であるという自白も得られぬままに、多くの人々が別の誰かを魔術師だと決め付け、そして次々と社会から葬り去った。
こうして犠牲になった人々は、一説によると十数万人にものぼったという。
そして2001年9月、魔術師たちの世界征服の陰謀を阻止するとして《世界同時多発テロ》事件が発生する。これを機に〈協会〉は人類社会との共存を諦め、再び自らの存在を秘匿して世界の裏に潜むことを決断したのだ。
ただし、〈協会〉は決定的な分断を良しとしなかった。もとより魔術と魔術師たちの存在は既に世間の知るところになっていて、今さら世界の全ての人々の記憶を消してしまうことも出来ない。そんな中で魔術師たちが身を隠せば、無関係の一般人たちが被害に遭うことは火を見るよりも明らかだった。
そのため、敢えて代表者ひとりだけを世界に残したのだ。世界の魔術師たちへの悪意を一身に受けさせるために、無関係の無辜の人々を悲劇から守るために。
「先生、その代表者ってのは今どこにいるんですか?」
生徒のひとりが挙手をして問い掛けを発する。
「代表者の所在は国連総会の決議によって明かしてはならないとされていて、国連加盟国の協力のもと、彼の生活と身の安全は手厚く保護されている。所在地は定期的に移動することになっているそうだが、そのタイミングもどう動くかも明かされることはない。
つまり要するにだ。『地球のどこか』だとしか言えん」
何度も受けてきた質問なのだろう、甘木先生は淀みなく答える。
「代表者の名前って教えてもらえるんですか?」
「代表者の名前はもちろん、それを含めた彼の個人情報は全て厳重に管理され秘匿されている。公開されているのは男性であることと、フィアーフォール以来代替わりしていないということだけだ」
「代表者ってイケメンなんですか?」
「それは動画サイトでも見てこい。彼の国連招致演説は全てネット上にアップされていて、いつでも誰でも見ることが可能だ」
「え~でもそれって20年前のやつでしょ?今どうなのか知りたいんですけど~?」
「彼が最後に公式に姿を見せたのは2011年の日本の大震災の時だ。この時彼が語ったのも差別と偏見への注意喚起と、魔術師絡みの各種陰謀論に対する反論だったな。
先生の私見だが、2000年の招致演説の時と比べても外見上の明確な変化はなかったように思う」
おそらく今までに聞かれたことのある質問ばかりだったのだろう。甘木先生の返答は淀みない。
絢人もひとつ質問が浮かんだので、すっと挙手をする。
「今現在って、世界に魔術師はその“代表者”ひとりだけなんですか?」
「公式に魔術師だと名乗っているのは今は彼ひとりだな。だが困ったことに、世間の著名人でも魔術師だと名乗り出た事例が多く確認されているから、残った魔術師が彼ひとりだと信じる人は残念ながらいないだろうな。
…まあそれは、太刀洗やみんなは身をもって知っていることだろうが…」
少し気まずそうに甘木先生が言葉を繋げ、教室がややいたたまれない雰囲気に包まれる。実際に去年、この学校でも生徒が魔術師だと名指しされて騒ぎになった事件があったのだ。その騒動には絢人も半ば巻き込まれ、危うく魔術師だと決めつけられそうになったのだった。
「さて、質問がもうないなら話を続けるぞ」
しいんと静まり返った教室の空気を振り払うかのように甘木先生は言葉を続け、生徒たちは誰ともなく板書を書き写すノートに向かって顔を伏せた。
もちろん、絢人も。