03-24.裁定者(1)
絢人が新しい霊器を得て、霊炉の起動と霊力コントロールの訓練を一通り終えた頃には、もうすっかり陽も暮れて深夜に近い時間帯になっていた。
さすがにこの時間から他の魔術師を探しに出るのも憚られる。魔道戦争中は、通常は一般人に目撃されるリスクを減らすために魔術師たちは深夜帯に活動するものだが、今日のところは絢人の霊炉の暴れや戦闘訓練もあったため、大事を取ってそのまま休息に入ることになった。
幸いというか、黒森の邸は魔術トラップで固められた要塞である。この敷地内にいる限りは凡百の魔術師には手も足も出せないだろう。
もっとも、それを当て込んで魔道戦争の終了まで籠城するのは下策も下策である。そんな事をしてしまえば「黒森の新当主は戦いから逃げた」と言われて、その名誉は地に墜ちるだろう。そうなれば、紗矢はもはや魔術師としては生きていけなくなるだろうし、本家たるシュヴァルツヴァルト一族の権威も大きく失墜してしまう。
それは即ち、召喚魔術系統全ての没落を意味していた。全世界の召喚魔術師全ての命運を左右しかねないほどのリスクを背負ってまで、生に執着する意味も意義もない。
「さ、あなた今日はもう寝た方がいいわ。今日だけでもかなり負荷がかかったでしょうし、明日以降に備える意味でもちゃんと休息して回復⸺」
言葉の途中で、紗矢があらぬ方向を見る。
ほぼ同時にザラとメディアも同じ方向に意識ごと目をやり、紹運は実体化して紗矢の前に立つ。
一拍遅れて、絢人も釣られるようにそちらを見た。
ひとたび意識してしまえば絢人にさえ判る、魔力の揺らぎ。地球上ではほとんど涸渇してしまっているはずの魔力が、そのリビングの隅にだけ急速に、濃密に集まりつつあった。
それは急激に凝集し、みるみる人の形を成していく。
「敵か!?」
「いや違う、これは⸺!」
集まった魔力の塊から、一瞬だけ眩いばかりに光が迸り、絢人は思わず顔をしかめ目を閉じた。
次の瞬間に目を開くと、そこには白銀に輝く鎧を身に纏った聖女の姿。魔道戦争の裁定者、ジャンヌ・ダルクが立っていたのだ。
「⸺あら。皆様お集まりのようですね」
やや俯きがちだった顔を上げつつ閉じていた目を開けて、その場で呆気に取られる面々を見渡して、ジャンヌはにっこりと笑う。
リビングに居たのは絢人、紗矢、ザラと、紗矢の英霊であるメディアと紹運。それにいつの間にかドゥンケルとリヒトもリビングにやって来ていた。おそらく濃密な魔力を感知して、警戒して主人の警護のために飛んできたのだろう。
「誰かと思えば。何なの?私喚んでないけれど?」
極限に引き上げた警戒をやや解きながら、それでも完全に気を抜くことなく紗矢が問う。
魔道戦争において参戦者が裁定者にコンタクトを取ることはあるが、その逆はほとんど聞いたことがない。裁定者が参戦者に個別に接触するのは、ほとんどの場合がルール違反のためのペナルティ執行、もしくはその前段階の警告のためだ。それさえも大半は参戦者の身体に刻印した隷印を通してなされるものであり、こうして裁定者自らが参戦者の元へ現れるのは一種異様なことと言えた。
つまり、彼女が現れたというのはそれだけ重大なペナルティを課すつもりか、もしくは魔道戦争の進行に支障をきたすほどの重大な事件があったということになる。
一瞬で紗矢は思考を巡らす。ルールに抵触した覚えはないが、もしかして気付かぬうちに重大なミスを犯していたのかも知れない。
そう言えば一度の魔道戦争で、ひとりの召喚魔術師が二柱の英霊を同時に召喚した事例はなかったはずよね。これってやっぱり戦力バランス的にまずかったのかしら?それとも、同盟を組んでいるとはいえ絢人に肩入れしすぎているのがダメだったのかしら?
だがジャンヌは、紗矢ではなく絢人の方を見ていた。
「まあ!わずか1日でしっかりと戦える態勢が整っていますね!素晴らしいことです!」
そう言って、彼女は嬉しそうに両手をパンと合わせて破顔したのだ。
「………………は?」
「紗矢、やはり貴女なら彼をしっかり助け導いて下さると信じて託して良かったです。いいえ、これは期待以上ですね!」
「…………はぁ?何を言ってるの貴女?」
ニコニコと嬉しそうなジャンヌ。
呆気に取られる紗矢と絢人。
ドゥンケルとリヒトは当面の危険はないと判断したものの、手出しの出来ない魔道戦争案件、しかも伝説級の英霊であるジャンヌを目の当たりにして、どうしていいか迷っている。紹運もまた警戒を一段緩めてはいたものの、ジャンヌの意図が判らずに動くに動けない。
ただメディアの顔には少しだけ、困ったような呆れたような感情が浮かんではいたが、それに気付ける者はこの場にいなかった。
「おい裁定者」
「はい、なんでしょう」
ザラが一歩進み出てジャンヌに問いかけ、ジャンヌは何食わぬ顔でにこやかに返事を返す。
「紗矢に何かペナルティでもあるのか?」
「いいえ、何も」
「では何故わざわざここに来た?」
「はい。それは彼の様子を確かめるためです」
そう言ってジャンヌが視線を送ったのは絢人である。確かにさっき彼女は絢人を見て褒め、絢人のサポートをした紗矢のことも褒めていたが。
「なんのつもりだ?裁定者は参戦者個人に肩入れしてはならんはずだが?」
そう。公正中立な裁定を行うため、裁定者が参戦者個人に私的に近付くことは禁止されているはずだ。それを裁定者であるジャンヌが知らぬはずはないし、知っていて紗矢と絢人に肩入れしようとしているのであれば、仮にふたりが勝ち抜いたとしても無効とされるだろう。それが実力で正当に得た勝利であっても、決して認められるものではないはずだ。
そして、そんなことはこの場の誰も望んではいない。この場どころか遠くドイツにいる本家当主アルフレートも、今や天に召されてしまった紗矢の父総持も望まないだろう。
「それなのですが、実は今回の魔道戦争はかなり特殊な状態でして」




