03-21.戦闘訓練(2)
「さて、では訓練を再開するけれど構わないかしら?」
「あ、はい。大丈夫です」
「そう。では頑張りなさいな」
そしてメディアは再び姿を消し、それとほぼ同時に魔獣が再び動き始める。魔獣が突進してくる途中だったことを思い出すのが一瞬だけ遅れて、躱すのがギリギリになってしまった。
「っと!あっぶねえ!」
魔獣は急停止から急反転して、息つく暇もなく再び襲ってくる。
再開直後に反応が遅れたせいで距離を詰められていて、これはもう長く躱せそうにない。だが霊器で魔術を放とうにも充分な距離が取れない。
『さっきも言ったけれど、目で見て動いては駄目。敵が動く前に[解析]で動きを予測しなさいな』
そう言われても、今の絢人にはもうそんな余裕はない。躱すのが精一杯で、しかも次第に追い詰められている。元より人の立ち入らないような山林の中で足元も悪く、それに身体能力と反射神経の全てを使って躱し続けてきて次第に息が上がり、疲労も溜まり始めていた。このままではまずい。
不意に、右脇腹のあたりにチクリと痛みが走る。考える間もなく身を躱すと、その右脇腹を魔獣の牙が掠めた。
今のは、もしや……。
右太腿に同じ反応があり、その瞬間に絢人は今度は思い切って左側に身体を投げ出す。そのまま転がってその勢いのまま立ち上がると、たった今自分の身体があった位置を魔獣が切り裂いて行くのが見えた。
『そう、今のは良い反応だったわ。コツを掴んできたのではなくて?』
なるほど、こういうことか。
だったら。
今度は腹部に反応を感じる。
だが絢人は、今度は逃げなかった。
「⸺放て」
努めて冷静に、絢人が呟く。反応を感じたその位置に構えた魔杖の先端に嵌められたルビーが赤く光り、体内を霊力が一気に駆け巡る。そして形成された魔術の矢が、絢人の腹部付近から魔獣に向かって飛んでゆく。
だが魔獣は瞬時に察知して素早くそれを躱す。躱された矢は魔獣がいた場所を通り過ぎたあと虚しく消えてしまうが、魔獣の方も突進を妨害されて絢人とは距離ができてしまう。
『先ほどと要領は同じよ。しっかり狙いなさいな』
メディアに言われるまでもなく、今の攻防で絢人も完全に理解していた。そう、初めて逃げるだけではなく攻撃に転じられたのだ。
(まあ、ここからが問題なのだけれどね)
メディアがそう考えていることを知ってか知らずか、絢人は距離を置いたまま魔獣と睨み合う。お互いが相手の出方を窺って、緊張の糸がピンと張り詰める。
絢人はすでに、闇雲に撃っても躱されるだけだということを理解していた。魔杖にセットされた[放射]は5回。すでに一発撃ってしまったから、残りは4回だ。魔獣は二匹だと言われたのだから、もう一発も無駄には出来ない。
要するに剣道と同じだ、と絢人は考えた。彼我の間合いと呼吸を読み、動き出しあるいは打ち込みの瞬間を狙う。相手が躱せない瞬間を狙えば確実に当てられるのだから、後はどうやってその瞬間を狙うかだ。
腰を落として身構えていた絢人の姿勢が、すう、と伸びる。
右足をすり出し半身の姿勢になる。
重心は鳩尾に、肩の力は抜いて、呼吸は浅く、長く。
(あら、肝が据わったわね。
武道をやっている、というのも全くの無駄ではなかったようね)
その絢人の様子にメディアが目を細めた瞬間、魔獣が動いた。
絢人を目掛けて一直線に突っ込んでくる。
だが絢人は動かない。腹部に感じる痛みが強くなっていくのを感じながらも、じっと耐えている。
(まだ、まだだ)
魔獣はあっという間に距離を詰めて、今にも牙が絢人の身体に届こうかという、その瞬間。
「放て!」
トリガーによって解き放たれた魔術の光が、したたかに魔獣の鼻先を撃ち据えた。
「ピギィ!」
悲鳴を上げ、魔獣が吹っ飛びもんどり打って転げ回る。
「やった!」
確かな手応えに笑みを浮かべかけた絢人の表情が、だが次の瞬間には凍り付く。
何事もなかったかのように魔獣が起き上がったのだ。
「えっ……?」
(ふふ。一発で仕留められるのなら苦労はしないのよ)
それを見てメディアが意地悪くほくそ笑んでいることなど、絢人は知る由もない。
魔獣は両目に怒りを湛え、自分に痛撃を食らわせた目の前の獲物を引き裂かずにはおれないようだ。またしても低く身構え、次は必殺の一撃を放とうと機を窺っている。対する絢人は予想外のことに狼狽を隠せない。唯一の攻撃魔術が効かないのなら、もう打つ手がないじゃないか!
いや、いや待て。この魔杖になんの魔術を込めてもらったんだったっけ……?ええと、放射と遮界と跳躍と、あと……。
魔獣が突進してきて、絢人は慌てて身を躱す。
これでは最初の状態に逆戻りだ。
考えろ、考えるんだ。何か必ず手はあるはずだ。魔獣は二匹、[放射]は5発。ならその5発で二匹とも仕留められるはずなんだ……!
魔獣が再び突進してきて、絢人は思わず「跳べ!」と叫ぶ。瞬時に絢人の姿は数十メートルも離れた大木の根元まで移動していた。絢人にとっては咄嗟の思いつきだったが上手くいったようだ。獲物の姿を見失った魔獣が戸惑ったように周囲を見渡しているのが、大木の向こう側に確認できる。
やれやれ、これで少しは考える時間が⸺
などと思う間もなく、絢人の霊力を感知したのか魔獣が一直線にこちらに駆けてくる。今度は胸の真ん中に痛みが走る。
こうなったら、一か八かだ。
魔獣はあっという間に距離を詰めて、絢人めがけて飛びかかって来た。その牙が今にも絢人の身に届きそうに思われた刹那。
「放て!」
覚悟を決めた声で絢人が叫ぶ。
放たれた[放射]の矢は狙い通りに魔獣の眉間を貫いた。
「爆ぜろ!」
そしてその瞬間、間髪入れずに再び絢人が叫ぶ。
そう、魔術の威力を増すための[強化]をセットしてもらっていたことを思い出したのだ。
至近距離で急所を撃ち抜かれた魔獣が、脳震盪を起こしたようにたたらを踏む。だがそれでも、倒れるまでには至らなかった。
「は、爆ぜろっ!」
慌てて絢人は再び[強化]を放つ。一度の強化でダメなのならば二度撃つまでだ。
ブシュ、と嫌な音がして、魔獣の眉間から血が噴き上がる。いや血にしか見えないがこれは魔力だ。頭蓋が割れて、体内の魔力が漏出しているのだ。
魔獣はそのままふらついたかと思うと、地響きを立てて倒れ込んだ。そのまま身体が崩壊し始めたかと思うと、魔力の煙となって虚空に霧散していった。
「や…………やった……」
荒い息を吐きながら、絢人はようやくそれだけ呟く。倒したのだ。あの魔獣を、借り物の魔力とは言え自力だけで倒したのだ。
「はは……やった……!」
そのまま絢人は腰が抜けたようにその場にへたり込む。その顔から知らず知らず笑みが漏れる。
「初めてにしては上出来よ、坊や」
頭上から声が降ってきて、見上げたら実体化したメディアがへたり込んだ自分を見下ろしていた。その顔が穏やかな笑みを浮かべている。
「そう、この訓練は魔術の組み合わせの練習だったの。合格よ、坊や」
誉められて、思わず顔がにやける。自分が考えた作戦を肯定されるというのは、やはり嬉しかった。
「でもその様子じゃ、続けての戦闘は無理そうだわね。ま、初めての訓練だし、今の頑張りに免じて今日のところは勘弁してあげましょうか」
「え、いいんですか?」
確認しつつも全身がホッとしている絢人である。模擬戦闘とは言え全身がひりつくような命のやりとりを続けたせいで、肉体的疲労がかなり深刻だった。
おまけにメディアの[基礎魔術]が発動してからというもの、全身を霊力が駆け巡る例の感覚がずっと続いていたし、自分で霊器の魔術を発動するたびにその感覚が強まり、ほとんど昼の霊力暴走に近いところにまで達しているのを感じていた。
そしてそれは[解析]を常時発動しているメディアも見抜いていた。だからこそ、彼女もこれ以上無理をさせるべきではないと思ったのだった。
「このままだとまた霊力が暴走しそうだものね、貴男。
無理をして倒れてしまっては意味がないもの」
そう言ってメディアは右手の指をパチンと鳴らす。すると周囲にうっすらと感じていた[遮界]の魔力が霧消していくのが絢人にも感じられた。
実はこれを感じること自体、絢人の霊力が暴走気味になって感覚が鋭敏になっている証であったが、絢人は気付いていなかった。
「あ……ありがとう、ございます……」
ようやくそれだけ言葉にして、絢人は耐えきれなくなったかのように草の上に寝転がる。そして側臥の態勢になって四肢を折り畳み、小さくうずくまってしまった。
(霊力のコントロールを覚えさせる方が先かしらね、これは)
絢人のその様子を見て、ひとりメディアはしばし黙考するのであった。




