03-20.戦闘訓練(1)
刻々と夕闇の迫る中、林の中をメディアに先導されるまま絢人は歩いていく。
黒森邸の裏手にはよく整備された雑木林が広がっていて、それはそのまま潮見山の中腹に続いていた。邸の正門やガレージの辺りにはきちんとした立派な煉瓦塀が立てられていたのだが、どうも裏手にはそんなものは立てられていないようだった。
ということは、裏手のこの林は全て黒森邸の敷地ということになる。
「メディアさん、どこまで行くんですか?」
前を行く後ろ姿に向かって絢人は聞いてみた。邸を出てから少なくとも10分くらいは歩いている気がする。緩やかとはいえ平坦とは言えない登り坂が続いているので、おそらく潮見山の中腹近くまで登ってきているはず。
ただの訓練だけなら、こんなに邸から離れる必要はないはずだ。
「そうねえ、そろそろいいかしら」
後ろから声をかけられて、ようやく彼女が立ち止まる。周囲はいつの間にか整備された里山の雰囲気ではなくなり、鬱蒼と生い茂る原生林の趣になっている。
「ここなら、山の獣もいるでしょう」
「え?」
てことはまさか、生きた動物を狩れってこと?
と思う間もなくメディアが詠唱とともに魔術を発動する。絢人も何度か見て覚えている[遮界]だ。魔力の波が四方に広がり、あっという間に感覚で捉えきれない遠方まで広がってゆく。
「とりあえず、500メートル四方というところかしらね」
「……なんの話?」
「貴男の訓練の“場”の話よ」
言うが早いか、メディアの姿がかき消える。
『これから魔術で作った魔獣をこの[遮界]の中に二匹放つから、野の獣を傷つけないように魔獣だけを狩るの。いいこと?』
虚空からメディアの声だけが聞こえてきた。
なるほど、きちんと倒す相手を選べということか。
『とりあえず最初の一匹は目の前に出してあげる。よく見て覚えなさい』
「はい、分かりました」
返事をしつつも、絢人は魔獣なら見たら分かるだろうとしか考えていない。
潮見山は小さな島の低山にしては野生動物が豊富で、熊こそいないが猪、鹿、猿をはじめ野鳥や小動物、虫たちの姿も多い。本土ともさほど離れていないので、時折海を泳ぐ猪などが見つかってニュースになったりもするほどだ。
猪や猿などはたまに本町の住宅街に降りてきては騒ぎになる事があり、絢人も幼い頃からそうした野生動物は見慣れている方だった。だからさすがに野生動物と魔獣の見分けぐらいつくと思っていたし、見ればすぐ分かるだろうとしか考えていなかったのだ。
何か小さな欠片のようなものが虚空から落ちてきた。それが地上の草むらに消えたかと思うと、そこに大きな猪がむくりと起き上がる。
「えっ……?」
それは見た目には、潮見山に生息する野生の猪と見分けがつかなかった。姿形だけでなくサイズも鳴き声も、獣臭まで野生の猪と全く同じだ。
『ほら、ぼうっとしてないで。倒さないと怪我じゃ済まないわよ?』
言われて気付けば、猪は絢人の存在に気付いて警戒を強め、低く身を構えている。その仕草さえ野生の猪と全く同じだった。
「えっ……あ!」
言われて慌てて絢人は持ってきていた魔杖を身体の前に構える。相手に抗戦意志があると見抜いたのか、猪は絢人めがけて一直線に突進してきた。
「お、うわぁ!?」
それを見て、思わず絢人は身を躱して何とか逃れる。子供の頃から猪を見たら逃げろと教えられて育ってきたので、戦うよりも前にまず身体が逃げることを選択してしまったのだ。
『逃げてばかりじゃ訓練にならないわよ』
ため息とともにメディアの声だけが降ってくる。
『あと、霊器はそうやって使うものではないわ。剣じゃないのだから敵に見せては駄目。壊されたら終わりよ?』
普段通りののんびりした声が降りかかってくるが、絢人は猪から身を躱すので精一杯でアドバイスを聞く余裕もない。長年剣道をやってきて染み付いた習性として、手に得物を持っていたらそれを無意識に身体の前に構えてしまうのだ。
「じゃ、じゃあどうやって!?」
『お莫迦さんね。貴男自分でトリガーを設定したでしょう?』
そう。霊器はセットした魔術をトリガーによって解放し、魔術を放つための道具だ。だから自分の霊力の及ぶ範囲に置いておけば、あとはトリガーを起動するだけでいいのだ。
狙いを定めるために敵の方向に向ける必要がある場合もあるが、それとて本来ならば自分の意識を向ける方向に魔術を飛ばすのだから、不要と言えば不要なものだ。
「そ、そうか……!」
絢人は振り返り身構え、魔獣の行方を探す。突然背後から強烈な気配を感じて、慌てて横っ飛びに躱す。
たった今自分が立っていた場所を魔獣の黒い影が引き裂いていくのが見えた。あんなのをまともに食らったらひとたまりもなさそうである。
『目で見て追っては駄目よ。魔力を感知しなさい』
また声が降ってくる。だがそう言われても、どうやってそれを感知したものか絢人には分からない。
「ど、どうやるんですかそれ!?」
再び突進してくる魔獣を躱しながら、虚空に向かって絢人が叫ぶ。目の前のコイツは魔獣だと思ってはいるが、本当に魔獣なのか判断が付かない。野の獣を狩らずに魔獣だけを狩れと言われた以上、コイツが本当に魔獣なのか確かめられなければ逃げ回るしかないのだ。
『そんなの簡単じゃない。[解析]で魔力を感知すれば……』
虚空から降ってくる声が不意に止まる。
そのまま何も聞こえなくなった。
「…………いや、メディアさん?」
急に不安になって絢人が恐る恐る声を上げる。上げつつも魔獣の突進から身を躱すのは忘れない。忘れないが、そういつまでも躱せるものでもなさそうだ。スピードも体力も動態視力も間違いなく相手の方が上だった。
と、再び突っ込んでこようとした魔獣の動きが突然止まる。何かに気付いてブレーキをかけたという感じではなく、まるで時を止められたかのように駆ける姿勢のまま固まっている。
不意に目の前にメディアの姿が現れて、その意外な近さに絢人は驚く。
「御免なさいね、私としたことがすっかり忘れてたわ。貴男はまだ何の魔術も使えないのだから、[基礎魔術]も当然使えないのだったわね」
苦笑する彼女のその口振りからすると、どうも当たり前に魔術を使える前提での訓練のつもりらしかった。いやそのために特訓に来たんじゃないのかよ、と絢人は思ったが言わなかった。下手に機嫌を損ねてもいいことなどひとつもないだろう。
メディアは絢人の額に右手を添えて、軽く詠唱する。ほんのりと魔術の感覚があり、額が少しだけ熱を帯びる。
「ひとまず私が[基礎魔術]を一式、[付与]しておいてあげるわ。これで常時発動型の[感覚強化]や[翻言]、随意発動型の[解析]や[治癒]、[隠避]などの基礎魔術が一通り使えるようになるはずよ。
その証拠に、ほら、改めて魔獣を見て御覧なさい?」
そう言われて魔獣を見ると、その体躯がぼうっと不自然に光っている。説明されずとも、それが魔力を帯びた特有の光だと絢人にも判断できた。
「[基礎魔術]には術式自体に発動のための詠唱の文言がセットされているわ。詠唱そのものはかけた術者が行うものだから、この場合は私が肩代わりする事になるわね。貴男はただ、術を向ける方向だけ決めればそれで発動が叶うというわけ。
試しにあの魔獣以外も[解析]して御覧なさい?違いが分かるはずよ」
言われるままに、絢人は視線を泳がせてみる。
確かに他の草木や地面などからは魔獣のような光が感知できない。
「……マジか。全然違うっすね」
「解るでしょう?この地表の自然のものはもはやほとんど魔力を帯びていないの。だから魔力を帯びたものがそこに在れば一目瞭然なのよ」
これなら確かに魔獣かそうでないかは見間違いようがない。この状態が前提で訓練を始めたのなら、見分けがつかないと言った時のメディアの反応も納得だった。おそらく、この子は何を言っているのかと唖然としたはずだ。




