0-08.とある世界の“世界”の話(1)
本日は3話投稿します。
世界観の説明回で、3話合計で約1万字ほど。
10時、15時、20時を予定しています。
まずは本日の1話目。
「起立、礼、着席!」
「えー、それでは授業を始める」
日直の号令でクラスの生徒全員が一斉に立ち上がり、教壇に一礼して着席する。そして歴史担当教諭の甘木先生が授業開始を告げる。
「と言っても今日の授業はいつものやつだ。
もうみんなすっかり聞き飽きてるだろうが、居眠りしたりせずにしっかり聞くように」
毎年一学期の最初の歴史の授業は特別授業だ。小学校一年生から高校三年生まで、毎年必ず履修させるように学習指導要領で決められているらしい。
「えー、やっぱやるのかよ」
「ってか先生、もういい加減聞き飽きたんですけど~?」
「そうだよ。もう俺らも高校生なんだし、たまにはほかの話しようぜ~」
生徒たちから口々に不満が出る。
まあ聞き飽きたってのは事実だ。
「文句を言うな。先生だって話し飽きてる」
確かにそう言われればそうだろう。絢人たち生徒は毎年1回、合計12回聞けば済むのだが、先生は毎年、担当するクラスごとに話して回らなければならないはずなのだ。そしてそれは絢人たちが入学する前から、卒業してもずっと、教師として定年を迎えるまで延々と繰り返さなくてはならないのだ。
だからそう言われてしまえば、生徒たちも黙り込むしかなくなる。
「いいか、これから話すことはこの世界の根幹に関わる重大な事件の話だ。君たちもこの世界で生きていく限り、死ぬまで避けては通れない話題でもある。そしてもうみんなも解っているとは思うが、この話は様々な問題を孕んでいる。
だからしっかりよく聞いて理解して、決して誤った認識を持たないようにして欲しい。少なくとも聞き飽きたとか興味ないとか言っている限りは、まともに理解していないと判断せざるをえん。きちんと理解するまでは何度でも通常授業に挟み込んで聞かせてやるから、そのつもりでいるように」
「ゲッ…マジか」
真剣な顔で厳かに、甘木先生が宣言する。その雰囲気に気圧されて、生徒たちも少しだけ、背筋が伸びた。
「では始めるぞ。事の起こりは1996年、つまり平成8年、今からおよそ23年前のことだ…」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
その年、ひとつの彗星が新しく発見された。観測の結果、約三年後に太陽系の至近を通過するということが判明して、それで世界はこの天文ニュースに沸いた。
日本では早くも彗星観測が話題になり、彗星を見やすい場所はどこか、どちらの空に見えるのか、観測ツアーが組まれるのかなどと気の早い人たちは浮かれ始めていたし、新たな商機に目を光らせる大人たちも多くいたようだ。
だが翌年、彗星の予測軌道が修正されて地球に直撃するコースだと判明してからは一変した。そのことが報道に乗るやいなや世界は大騒ぎになり、どうすれば回避できるか、なにか取りうる対策はないかと、国連は言うに及ばず世界中の国家の政府首脳や科学者達が、連日連夜の対応策策定に追われることになったのだ。
アメリカはかつて存在した戦略防衛構想、いわゆるスター・ウォーズ計画を急遽再始動すると表明したし、ロシアも既存の軍事衛星に加えて新規打ち上げまで視野に入れて宇宙空間の防衛戦力を強化すると発表した。もちろんEU諸国も日本やその他の国連加盟国も、さらには未加盟の北朝鮮や台湾などまでもが大なり小なり何かしらの対策と協力を惜しまないと表明した。
だがそれらも、新彗星が月に匹敵するほどの巨大彗星だと判明してからは沈黙せざるを得なくなった。地球への推定衝突日時が1999年の7月だと算出され、それからは誰ともなく、この彗星のことを《恐怖の大王》と呼ぶようになった。
そう、ノストラダムスの例の予言である。
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois
Du ciel viendra un grand Roi deffraieur
Resusciter le grand Roi d'Angolmois.
Avant apres Mars regner par bon heur.
1999年、7か月、
空から恐怖の大王が来るだろう、
アンゴルモアの大王を蘇らせ、
マルスの前後に首尾よく支配するために。
(『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』百詩篇第10巻72番より)
人々はこの予言詩になぞらえて彗星のことを《恐怖の大王》と呼び、それが落ちてくる、落ちてくれば世界は終わると、そう囁き合った。
それが、〈恐怖の落下〉と呼ばれた事件の、始まりだった。
1999年に入り、彗星も太陽系に接近し、とうとう冥王星、当時はまだ惑星だと考えられていた準惑星の軌道の内側に到達する。
ここに来ていよいよ衝突は不可避となり、人々は秒読みとなった“世界の終わり”へ向けて絶望の日々を過ごした。この時の筆舌に尽くしがたい混乱と暴動については授業では詳しく取り上げないが、そこからの約半年間は世界中が狂乱の渦に陥った暗黒の時代だった、とだけ甘木先生は語った。
彗星が火星の軌道に達し、人々の最後の望みであったアメリカの新戦略防衛構想、平たく言えば核弾頭の宙間射出がいよいよ実行された。だが衛星軌道上に充分な発射拠点を構築するには余りにも時間が足らず、通常の衛星射出と同様に地上からロケットで打ち上げる他はないのが実状であった。
ロシア、中国など打ち上げ能力のある核保有国もそれに追随したものの、いかんせん打ち上げられる絶対数が足りなさすぎる。結局、それらは彗星の表面をわずかに破壊し衝突を少し遅らせた程度で、ここに地球の破滅と人類の滅亡は確定した。
いつもの事ながら、このあたりで教室はしんと静まり返る。今この教室で話を聞いているのは全員がその事件のあとに生まれた子供たちである。自分たちが生まれる前、父と母のまだ若い頃に世界が一度滅んだなどと言われても、ピンと来ないのも無理はない。
そう、世界は滅ばなかったのだ。
ただし滅ばなかった代わりに、世界は二度と戻れぬ変容を遂げてしまったのだ。
核弾頭発射による彗星軌道変更の失敗を受け入れず、私はまだ諦めないと必死に叫ぶアメリカ大統領の熱弁も虚しく、遂に彗星は地球の重力圏に入り大気圏にまで到達する。
それが1999年の7月29日のことであった。
突如として世界中から謎の人々の集団が立ち上がったのはその時である。
彼らは自らのことを魔術師だと名乗った。彼らは数十万人規模で一糸乱れぬ統率された動きを見せ、落下予測地点とされた南太平洋上の、いわゆるオセアニアの国々の上空、成層圏近くの高高度に浮遊して展開すると、大規模な儀式魔術を発動・展開し、それを幾重にも重ねることによって彗星を受け止めようとし始めたのだ。
一体何が起こっているか分からずに世界が注視する中、そうして十重二十重に展開され、地上からもはっきりと視認できるほど強固に広範囲に編まれた儀式魔術の結界は地球の引力さえも凌駕し、驚くべきことに彗星の巨大質量をも受け止めきることに成功したのだ。
そして儀式魔術に参加しなかった残りの約半数の魔術師たちが、休む間もなく今度は別の儀式魔術を編み上げる。それは核弾頭をも上回る超高質量高威力の攻撃魔術で、魔術師たちはそれを十本二十本と編み上げると彗星のある一点に向けて連続して撃ち込んだのだ。
その威力は凄まじく、とうとう地球の重力さえも打ち破り、彗星を大気圏外まで押し戻すことに成功する。そして最後に残った数百人が最後の攻撃魔術を撃ち込むと、それが推進力になりスイングバイ効果が働いて、とうとう彗星は進入軌道とは別の軌道を描いてあっという間に太陽系外へと消えていった。
彗星が完全に観測出来なくなったのが年が明けた翌2000年の1月末のことで、それをもって〈フィアーフォール〉は完全に終息した。
世界は、こうして救われたのだ。
人々は歓喜に沸いた。一度は完全に諦めるほかなかった明日が、人類の未来が再びやってくるのだから。
人々はまず、人類の救世主たる《魔術師》たちに接触を試みた。彗星に対応した魔術師たちを多くの報道機関が追いかけていて、その際に目撃されたとされる“美しすぎる魔術師”や“男装の女魔術師”などの正体を確かめようと躍起になった。魔術師たちの方でも修交にやぶさかでなく、代表者を立てて各国首脳と次々に会談し、国連の安保理事会に招致され演説さえ行った。
“代表者”は言った。魔術と魔術師は世界の裏でひっそりと命脈を繋いで今日まで至ったこと、中世の忌まわしい記憶から魔術師であることを伏せ、世間の目を避けて隠れて生きてきたこと、それが世界の危機に際して、正体を知られることを覚悟の上で人々と地球を守るために立ち上がったのだと。
さらに魔術は決して恐るべきものではないこと、古い血を継ぐ者たちが魔術師と呼ばれてその秘術を継承して現代に至っているに過ぎないこと、人は誰でも本来は魔術師の血を大なり小なり受け継いでいて、目覚めさえすれば誰もが魔術師として力を得られる可能性があることなど、多くのことを人々の前で語った。
魔術師たちの互助組織である〈協会〉がロンドンに本部を置いていると知り、まずイギリス首相が〈協会〉との連携と相互交流を表明し、彼らを「兄弟」と呼んだ。次いでフランス、ドイツ、スペイン、イタリアなど主なEU諸国とロシア、アフリカ諸国、オセアニア諸国など魔術と関わりの深い各国がそれに追随し、さらに日本をはじめとするアジア諸国、北米や南米の諸国までもが表明するに至って、とうとうアメリカも魔術師たちの受け入れを表明した。
驚くべき事に、当時の世界の表舞台で活躍していた政財界、あるいは芸能人、作家、スポーツ選手などの著名人、さらには科学者や識者などアカデミックな人々の中からも、魔術師だと名乗り出る人々が次々と現れた。それを見て人々は驚愕し、本当に魔術師は世間に知られぬ形で人類社会の中に紛れて生きてきたのだと、多くの人々が実感するに至った。
それならば、実際のところ魔術と魔術師の存在を知る前と何も変わらないのではないか。ただ世間に様々ある肩書きのひとつに“魔術師”が増えただけと言えるのではないか。
こうして人々は魔術と魔術師を受け入れ、世界は新たな一歩を踏み出した、かに思えた。
ところが、話はそれだけでは終わらなかったのだ。