03-13.真名(2)
「言ったらダメよ、それ絶対口にしたらダメだからね!」
絢人の顔色が変わったのを見て、慌てて紗矢が釘を刺す。今この場でそんなものを口に出されてしまったら、絢人の真名が紗矢はもちろん英霊たちに知られてしまう。それは絶対に避けなければならなかった。
幸い、絢人もその重大性に気付いたようで、動揺しながらも真名を漏らすことはなかった。
「い、言ったらダメ、なのか……。
いやダメだ、よな、これ」
「ダメよ。自分の身も心も全て誰かに支配されてもいいなら……いえやっぱりダメ!」
なんだか唆すような言い方になってしまっていると気付いて、慌てて紗矢が訂正する。
「い、いや大丈夫。言わない……ってか言えないわこれ」
「そう、言えないのよ真名は。その真名が使えないから、代わりに名乗るのが通名、いわゆる本名なの。だから私の『メディア』も、彼の『紹運』も、紗矢やザラの名前も、全部“通名”よ。そして全員がきちんと真名を持っているわ」
「左様。我ら英霊の真名は稀に契約主に明かすこともあるが、それは[真名契約]という特別な契約になる。おいそれとそんな契約は呑めんよ」
メディアも紹運も、真名の重要性を補足してくれる。
「……特別な、契約?」
「真名契約、別名をシェイド契約とも言うわね。私たち魔術師が特定の霊体と一心同体とも呼べるほど特別な絆を結んだ時にのみ、互いに真名を明かし合って一蓮托生の関係になるの。そういう関係を結んだ相手を『シェイド』と呼ぶわ。
自分の“影”とは死ぬまで絶対に離れないから、それになぞらえてそう呼ぶの」
「一心同体、特別な関係……」
「そうよ。本来は魔術師には誰しも必ずそういう関係性の存在がいると言われているの。でも実際にシェイドを得られている魔術師はむしろ少数派ね。もしシェイドを得ることが出来たらこの上なく心強い味方になるでしょうけれど、現実はそうそう上手くはいかない、ってこと」
「紗矢にはそういうの、いるのか?」
「いるわけないじゃない。シェイド持ってる方が少数派だって今言ったでしょ?聞いてなかったの?」
紗矢にはシェイドはいない。そう聞いて何故かホッとしてしまった絢人である。
だが何故そう思ったのか、自分でもよく分からない。ただ何となく、彼女にはそういった存在がいて欲しくないと、漠然と感じた。
「ロマンチックな言い方をすれば、“運命の赤い糸”ってところかしらね。シェイド契約を結んだ英霊は契約者に常に寄り添って他の魔術師には召喚されなくなるし、契約者以外の指示も命令も受け付けなくなるわ」
「左様。つまりこの場にいる我らも[真名契約]を結んだ相手がおらぬということになる」
紗矢の言葉を受けて、メディアと紹運がそれぞれ言う。そう言えばザラもシェイドらしき英霊を伴っている様子はなく、それはドゥンケルやリヒトも同様だった。
「そっか。じゃあ俺にも、どこかにそのシェイドってのがいるのかな……」
「そのはずよ、もう貴方は魔術師なんだから。
⸺シェイドを探すために一生を費やす、っていうのも魔術師の生き方のひとつではあるわね」
「だがシェイド契約など結べる方が稀だ。一生かかってもシェイドを見つけられない魔術師などごまんと存在するのだから、そんなことに時間を費やすくらいならもっと有意義な使い方がいくらでもあると思うがな」
「……まあ、ザラはそういう人よね……」
「なんだ紗矢。言いたいことがあるならハッキリ言ったらどうだ?」
「いいえ、何もありません」
思わず呟いた言葉をザラに聞き咎められて、平静を装いながらも内心慌てて言い繕う紗矢である。
「さあ、話はそれくらいにして昼食にしろ。できたての熱いうちの方が美味いからな」
話が一段落した頃合いを見計らってザラが各々の皿にシチューを取り分けていく。全員の分を注ぎ終えたところでようやく昼食がスタートした。それぞれ、思い思いに舌鼓を打つ。
「うむ。初めて食したが、えもいわれぬ美味であるな」
「ホントだ、美味ぇ」
「そうでしょ、ザラはメイドとしてもパーフェクトなのよ」
「ふ。そのような当然のことを今さら再確認されても困るな」
「ところで、ザラさんは食べないの?」
「どこの世界にメイドと主人が食卓を共にする家があるというのだ。私はお前たちが食べ終えた後に炊事場で残りを片付けるだけだ」
そう言えばザラさんってメイドなんだっけ、と今さらながら絢人は思い出す。普段の態度があまりにアレだし、紗矢もザラとは対等だと言っていたのだから、そんなに拘らなくてもいい気がするのだが。だが下手なことを言えばまた睨まれると思って口を噤む。
だがザラにとってはそれは重要なことなのだ。なにしろ本家の重要な戦力でありながら10年近くも出奔した“罪”が彼女にはある。戻ってきて賤民として本家の魔術メイドからやり直し、その後に黒森家に派遣されてもう5年になるが、自分の罪が帳消しになったなどとは彼女は微塵も考えてはいなかった。
実のところ総持も紗矢も、アルフレートでさえザラの罪を許そうとしたのだが、彼女はそれを拒絶した。自らの罪を許さなかったというのもあるが、黒森家にメイドとして出向するのが彼女の望みでもあったのだから。
「そう言えば、ドゥンケルさんたちは?」
「あいつらには他の雑用を言いつけてある。あれらも使用人だからな、しっかり働いてもらわねばならん」
ごく普通の一般家庭で育った絢人には、そのあたりの事情がいまいち飲み込めない。だが絢人以外のこの場の全員がかつて使用人を抱えていた、あるいは現在進行形で抱えている身分の人間ばかりである。武将であった紹運や王女であったメディアはもちろん、今は紗矢に仕えている側のザラでさえ若い頃はヴァイスヴァルトの“お嬢様”だったのだ。
食事が終わり、ザラがシチューの鍋や食器を手早く片付ける。絢人は手伝おうとしたが「客人に片付けなど手伝わせられるか」と追い払われた。
「気を使わなくていいのよ、絢人。ザラはあれで誇りを持ってやってるのだから、下手に同情したりするとぶん殴られるわよ」
紗矢が絢人の様子に気付いて釘を刺す。
「そんなもんなのか……」
「そういうものよ」
テキパキと片付けながら炊事場に消えていくザラを、絢人はただ眺めているだけしかできなかった。




