03-10.魔術系統(2)
「あれ、でもそれだと、死霊魔術は?
今の説明の中にはなかっ⸺」
理が口にした死霊魔術師という言葉。魔術師が各々自分のもっとも得意とする魔術系統を名乗るのなら、死霊魔術師は死霊魔術を得意とするはずだ。そう思い当たって質問した絢人の口を、それと言い終わらないうちにメディアが掴んで塞いだ。
片手なのに女性とも思えぬものすごい力で、長く伸びた爪が頬に食い込んで痛い。驚いて彼女の顔を見ると、今まで見せたこともない恐ろしい形相に変わっていて、絢人の心に怖気が走る。
「それを口にしては駄目よ、坊や」
それまで聞いたこともない、氷のように冷たい声だった。
まるで声だけで人を殺せるかのような冷え切った響きに、絢人の身も心も凍りつく。彼女に「坊や」と呼ばれるのは照れくさくむず痒い響きがあって、気恥ずかしいけれど嫌いではなかったが、この時ばかりは絶対にそう呼ばれたくないと、絢人は心の底から思った。
「それは禁忌なの。口にするだけでも関係を疑われるわ。
貴男、紗矢たちまで巻き込むつもり?」
ギリギリと締め上げられる指の力に、口を開くことも首を振ることもかなわない。痛さのあまり彼女の腕を両手で掴みながら、絢人は必死に目で訴える。もう充分解った、二度と口にしないからどうか赦して欲しい、と。
それが通じたのか、彼女はようやく力を抜いて絢人の顎を解放してくれた。彼女の顔からすっと鬼気が抜けて、見慣れた美しい顔に戻る。
「……ごめんなさいね、痛かったでしょう?」
「いえ、その。俺が悪いんだっていうのはよく解ったんで……」
じっとりと汗ばんだ首筋を撫で、ついでに痛む頬をさすると、指先に血の赤が移る。爪の当たった箇所から血が滲んでいるようだ。
「貴男も魔術師になったのだから、根本的には理解していると思うのだけど。いい?二度と人前ではそれを口にしないようにね?」
「はい……」
返事はしたものの、それ以上聞けないのは明白だった。だが死霊魔術がどういうものかは今の彼女の反応でよく分かる。つまり理は、手を出してはいけないものに手を出したということだ。
⸺悪いことは言わないから奴らとは手を切りなさい。貴方のためになるとは思えないわ。
あの時、紗矢が理に言った言葉が脳裏に蘇る。おそらく紗矢は、あの時点で理が禁忌を犯したと解っていたのだろう。
現代魔術の系統には知られざる8つめの系統がある。それが死霊魔術で、きちんと系統を確立した魔祖も存在していてある程度研究も分類も進んでいた。だが死霊魔術はその成立当初から禁忌に触れるとして忌避され、魔祖から数えて三代目が「死者の蘇生」を試みた事により外道と見做されて大規模な討伐に遭い、事実上滅んでしまったのだ。
以来、魔祖の名前もその業績も削除され、死霊魔術を使うことはもちろん研究する事さえ禁じられ、そのまま現代に至っている。
だが禁忌を厭わないどころかそれを積極的に使おうとする“暗黒の魔力”の持ち主たち、悪魔の眷属やいわゆる黒魔術師たちが後を絶たないという。それらに対抗するため〈協会〉では、特に許されたひとつの家系のみが研究を続けていた。
その研究成果は各系統の上層部だけで共有され、末端には死霊魔術師たちが使う基本的な術式とその対策のみが教えられる。紗矢やザラなどもそうした末端のひとりだった。もっとも紗矢は黒森の当主を継いだため、近いうちに召喚魔術系統上層部の一員として迎えられて死霊魔術を本格的に学ぶことになる。
だがそれはまだもう少し先の話で、少なくとも魔道戦争を勝ち抜かないことにはその未来もない。
「そうした禁忌に触れた者たちは“外道”と貶められ、〈協会〉に討伐されて、下手をすると一族もろともなかったことにされるわ。だから本当に、気をつけなさいな」
「マジか……気をつけます」
「まあ正直な話、私は現代のそうした分類がなされる前から魔術を使っているから、実を言うと使ったこともあるのだけれどね。そういう者たちのことを俗に“魔女”というの。
“魔女”が過去にどういう仕打ちに遭ったか、貴男もよく解っているでしょう?」
メディアが言っているのは、中世ヨーロッパに吹き荒れた魔女狩りの事だ。一般の社会と魔術師の社会を分断し、今再び世界に暗い影を落としている偏見と差別と迫害の颶風。彼女がどうやってそれを逃れたのかは絢人には知る術はないが、かすかに怯えの浮かんだその顔で、どれほどの苦しみと恐怖を味わってきたかは容易に想像がついた。
だがそうなると、絶対に確認しておかなければならないことがひとつある。
「あの、さっき言ってた参戦者の日本人って俺の友達なんですけど、そいつ、それだと名乗ってたんです。助けるにはどうしたらいいですかね?」
「それはもう、無理ね」
冷たく、短く、そしてきっぱりと、メディアは断言した。
「関係を疑われたくないのなら、殺すしかないわね。むしろ下手に手心を加えるようなら貴男も一味と見做される。だから見つけ次第必ず殺さなければならないわ」
「そんな……!」
「残念だけど、とは言わないわ。“禁忌”に手を出す方が悪いのだもの」
そう言ったメディアの顔が、先ほどの鬼気を再び孕んでいた。少なくとも理を助けるために、彼女たち魔術師の援助を期待するのは絶望的だと考える他はなかった。
紗矢はどう考えているのだろう。あいつは理とはそう仲良くはなかったから、やはり殺すしかないと思っているのだろうか。でも俺はやっぱり助けられるものなら助けたい。でも一体どうやればいいのか……。
いくら考えてみても絢人にはいい案が浮かんでこず、頭を抱えることしかできなかった。




