0-07.音塚寧々(2)
本日の2話目。
第7話です。
音塚神社の境内は昔から近所の子供たちの遊び場になっていて、絢人も柚月も小さい頃は陽が暮れるまでよく遊んだものだ。絢人たちだけでなくその幼なじみたち、美郷も緑も他の子たちもみんな子供の頃はこの境内で遊び回ったもので、近所の子でここで遊んでいないのは理くらいのものだった。その理でさえ、夕方には緑を迎えによく来ていた場所である。
コンピューターゲームやスマートフォンアプリ全盛のこのご時世に、わざわざ神社の境内に集まって身体を使った遊びをする。世間一般の子供たちとは少し違うかもしれないが、全国にひとつくらいはこういう昔ながらの生活があってもいいだろう。沖之島の子たちはコンピューターゲームも好きでよく遊んでいたが、一方で音塚神社の境内で駆け回ったり虫を捕まえたり、鎮守の杜に入り込んでイタズラするのも大好きだった。
そして寧々は中学に上がる頃から早くも巫女として活動していたようで、そうした子供たちのお姉さん代わりとして多くの子たちの面倒を見てきたのだった。
だから寧々にとっては絢人も柚月も美郷も緑もみんな、弟や妹みたいなものだ。中でも絢人は寧々のお気に入りのひとりで、小さな頃から絢人はよく面倒を見てもらっていた。絢人にとってはそれが時に煩わしくもあったほどだ。
絢人にとって何が困るかって、寧々は構い過ぎるのだ。事あるごとに心身を気遣い世話を焼き心配し、一緒に風呂に入ろうとしたり、時にはトイレにまでついてこようとする。今や絢人も思春期に入って異性の心身に健全な興味を抱き始めているのに、そんなことお構いなしにいまだに抱きついてきたり添い寝しようとするので、絢人としてはいろんな意味で気が気でないのだった。
人によっては、特に稲築あたりは涙を流して羨ましがりそうな関係だったが、彼ほど振り切れていない絢人には嬉しいやら恥ずかしいやらである。年頃の男子として無反応でいられるはずもないし、だからって反応できるわけもない。
そのあたりもう少し気にしてもらえないものか。普段から細々とした事に気付いて世話してくれるのに、なぜそこだけ気付いてもらえないのか。
まさか…わざとやってる?
いやいや、さすがにそんなことないだろ。
でも、もしわざとだったら…?
などと、つい自分に都合のいいように考えてしまいそうになるのを絢人は必死で振り払う。絢人にとって寧々は初恋の相手と言って良かったが、でも絢人と寧々では七つも歳が離れている。絢人の方からはそうだとしても、寧々が自分をそう見ているとは絢人にはとても思えなかった。
ピンポーン。
太刀洗家のインターホンが鳴る。寧々が来たのだろう。
絢人はインターホンを取ることもせずに玄関に向かい、そのままドアを開ける。案の定、そこにはラフなTシャツとジーンズに着替えた寧々が立っている。
ふわりといい匂いが漂ってくるのは軽くシャワーでも浴びてきたからだろう。それだけでもう絢人はドギマギしてしまうが、悟られないように必死に平静を装いつつ、寧々を迎え入れた。
「母さーん、寧々姉来たよ」
「お邪魔します。おばさまはもうお台所かしら?」
「うん、今下拵えやってる。柚月は今風呂入ってるから」
「ねねちゃんいらっしゃい。早速だけどお願いできるかしら?」
台所の方から桜の声が聞こえてきて、はーいと返事をして寧々は絢人の前を通り過ぎて台所の方へ向かう。さっきから変なことを考えていたせいで、それだけでもう絢人には身を固めて耐えるので精一杯だった。
寧々が来てから1時間とかからずに全ての料理が出来上がり、その少し前にタイミングを見計らって柚月が緑を電話で呼び出す。やってきて上がり込んだ緑は豪勢なご馳走の数々に目を丸くし、「やっぱ寧々さんいるとすごいことになるよね~」などと言いながら、寧々にタッパーに取り分けてもらって持ってきた袋に詰め込み、何度もお礼を言いながら帰って行った。
「さて、じゃあ早速ごはんにしましょ!」
桜がそう言って、それぞれ食卓に着く。絢人が普段は空けている父の席に座り、桜と柚月は自分の席へ、寧々は空いた絢人の席に座る。
「ゆづきちゃんの高校入学を祝って、カンパーイ!」
「カンパーイ!」
「お母さんもお兄ちゃんも寧々お姉ちゃんも、みんなありがとう♪」
桜の音頭で全員でグラスを手に取って、思い思いのジュースの注がれたグラスをぶつけて鳴らす。後は生まれてこの方の母の育児の思い出を聞きながら舌鼓を打つだけだ。
大半は一度以上聞いたことのある話だったが、柚月が恥ずかしさで撃沈するまで10分とかからなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
食後の片付けは絢人が買って出て、桜は風呂へと向かう。後片付けと言っても使った食器を食洗機にセットしてボタンを押すだけだが、どうやら一度で終わりそうになく二度目のために待たなければいけないようだ。
なお今夜の主役は後片付けを免除されて、リビングでTVを見ながらスマートフォンをいじっている。多分ご馳走の写真でもアップしているのだろう。
「ケンちゃんも、もう高校二年生かあ。時の経つのって早いわね。
最初に出会ってから、もう10年になるのよね」
作りすぎて余ったご馳走をタッパーに詰めながら、寧々が感慨深そうにため息をつく。絢人が音塚神社の境内で遊ぶようになったのは小学校に上がってからで、その時に初めて寧々と出会ってからちょうど10年を超えて11年目に入った計算になる。
思えばあの頃って寧々姉も巫女さんの手伝いを始めたばかりだったということになるのか。と、年数を言われて絢人も改めて気付く。
「もう、そろそろかしらね…?」
何気なく呟いたらしき寧々のその一言が、何故か絢人にはやけにひっかかった。
「ん?そろそろって、なにが?」
「…あら。つい口に出ちゃってたかしら。
それよりお料理、どうだったかしら?」
ふふ、と笑って寧々ははぐらかした。
そう、明確にはぐらかしたのだ。今までそんな事は一度もなかったのに。
「なんだよ、気になるじゃん。
何の話か教えてくれたっていいだろ」
だから絢人は、少し食い下がってみる。
「…心配しなくても、もうすぐケンちゃんにも分かると思うわよ」
「分かんねえから聞いてんの」
意味深な言い回しをしてなかなか教えてくれないのはいつものことだが、今夜ばかりは何故か少しイラッとくる。それが少し言葉に出てしまってるかも知れないと思いながらも絢人は抑えきれない。
自分のその感情に少し驚きもするが、それ以上に驚いたのは寧々の陶酔したような恍惚とした表情だ。
今までそんな顔、見せたことなどなかったのに。
唐突に、何の前触れもなく、寧々が全く知らない人になってしまったみたいに絢人は感じた。
だが次の瞬間、寧々がふわっと柔和に笑う。
その一瞬で、たった今感じていた不安や疑念、怖れといったものが嘘のように全部いっぺんに霧散する。
「ごめんなさい、別に怖がらせるつもりはなかったのだけど。
でも本当に心配ないわ。貴男はきっと大丈夫」
「いや…大丈夫って言われても。
てか寧々姉こそ大丈夫か?なんかちょっと今おかしかったぞ?」
「やだぁケンちゃんったら、お姉ちゃんのこと心配してくれるの?嬉しいわ~ありがとう☆」
「わっちょっ、抱きつくなよ!はな、離れろって!」
気が付けばいつものやり取り。雰囲気もいつの間にかすっかり元通りで、絢人は押し付けられる双丘から逃れるのに必死になってそれどころではなくなる。
完全にはぐらかされてしまったのだが、絢人がそれに気付くのは風呂に入ってベッドに潜り込んでからのことである。当然、その頃には寧々もすでに帰ってしまった後だった。
明日は3話投稿します。
よろしくお願いします。