03-02.出生
「いやでもほんと、どうするのこれ?」
「夜明けとともにすでに魔道戦争は開幕しているからな。今さらどうにもならん」
「いっそ裁定者を呼びつけて敗北宣言するってのもアリかしらね?」
「ダメよ!そしたら同盟組んでるあたしまで負けちゃうじゃない!」
「だからと言って、この出来損ないを戦線に出すのは自殺行為を通り越して破滅行為だぞ」
「……。」
「…………。」
「………………。」
リビングは重苦しい雰囲気に包まれていた。せめて昨夜のうちに強度判定だけでもしておくべきだった、とその場の全員が考えていたが、もはや後の祭りである。
「ていうか本当にあんた桜の息子なの!?
絶対おかしいわよこれ!」
たまりかねて紗矢が声を上げる。
それに対して絢人は黙ったまま俯いているだけだ。
「ちょっと!何とか言いなさいよ!」
絢人の様子が少しおかしいのに気付いて、ザラが紗矢をたしなめようとした時、絢人がポツリと口を開いた。
「俺、さ……。母さんの子じゃないかも知れないんだよな……」
「…………えっ?」
「母さんと柚月は、食の好みとか笑いのツボとか、よく似てるんだ。顔立ちも似てるし、多分本当の親子なんだと思う。
でもさ、俺は全然違うんだ。ふたりが笑ってる番組とか見ててもあんまり面白いと思えなくてさ。食べ物の味付けも好みも、全然違ってて……」
「え、ええっと……」
まさか本当に血が繋がってないなどと思いもしなかった紗矢が、いっぺんに気まずそうな顔になる。確かに絢人と柚月とで血が繋がっていないかも知れないと思ったことはあったが、まさか本人までそんな風に疑っていたとは思いもよらなかったのだ。
「その、ごめんなさい。少し言い過ぎたわ……」
「いいよ別に。黒森のせいじゃないし」
そう言って寂しそうに笑う絢人の顔を見て、紗矢は胸が締め付けられそうになる。彼のこんな顔など見たくなかったと、その時になって初めて彼女は気付いた。
「本当に、ごめんなさい……」
「いいって。これである意味ハッキリしたし、逆にスッキリしたよ」
何もかも諦めたような絢人の言葉に、紗矢はますます胸が苦しくなる。今や彼女の心は後悔でいっぱいだった。
その紗矢の顔を横目で見やりながら、ザラはまずいことになったと考えていた。確かに紗矢の失言が発端とはいえ、この空気も紗矢の落ち込みようも危険すぎる。こんな状態で敵に遭遇でもすれば、ロクに手も足も出ずにふたりとも敗北してしまう恐れすらあった。
「……本当のところは、桜が知っているのだろう。知りたければ確かめたらどうだ?」
「えっ?」
「絢人の着替えを取りに行かねばならんだろう?今日は日曜だ、桜も家にいるのではないか?」
そう言いながら、あまり良い手ではないとザラ自身が考えていた。だが現状取りうる打開策はこれしかない。もし桜が確かに自分の子だと明言してくれれば、少なくとも今の空気は払拭できるだろうが、それは2分の1の危険な賭けに違いなかった。
「…………そうだね、行こうか」
絢人が立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
リビングを出て行こうとする絢人を慌てて紗矢が追う。
「ねえ、本当にごめんなさい!私が悪かったわ!あんなこと、冗談でも言うんじゃなかった……」
「気にしてねえからさ。気にすんなよ」
絢人は涙を浮かべて詫びてくる紗矢を何とか元気づけてやりたいと思って、できる限りの笑顔を浮かべているのだが、それが全くの逆効果になっていることに気付きもしない。
そして、そんな顔をされるものだから紗矢はいよいよ心が苦しくなって、とうとう手で顔を覆ってしまった。
図らずもお互いがお互いを苦しめる恰好になって、ふたりはエントランスホールで立ち尽くしてしまう。
「⸺ええい!湿っぽいのはここまでだ!」
業を煮やしたかのようにザラが叫んで立ち上がる。
「そんなに知りたければ確認すればいいだろうと言っている!白黒つければ、それでハッキリするのだからな!」
「ザラ……?」
「ザラさん……」
「ただし!結果がどうであれこの話はこれで終わりだ!そんな事よりも、お前たちは魔道戦争を勝ち抜かねばならんのだからな!まさかそんな事も忘れたわけではなかろうな!?」
「あ……」
「そっか、そうだね」
「そうだ!出生や才能がどうあれ、お前たちは勝って生き残らなければならんのだ!だったら悲観する前にやることがあるだろうが!」
「……はは。ザラさんには敵わねえなあ」
「……ええ。ほんと、そうね」
怒りの形相、だがそれはふたりを心から心配するがゆえ。絢人も紗矢も、そのザラの心遣いが何よりもありがたかった。
ふたりは顔を見合わせて、どちらともなく笑い合う。それは先ほどまでの痛々しい作り笑いではなく、悲しみをこらえた笑顔でもなく、自然な笑顔になっていた。
「じゃあさ、ザラさんも一緒について来てよ」
「そうよ、言い出しっぺなんだからザラも来なさいよ」
「よし、良いだろう。だが本当に、結果がどうあれやることは変わらんからな?」
「ええ」
「もちろん」
「ふふ。では私が留守番しといてあげる」
興味なさそうにひとり身を引いて見ていたメディアが、ようやく口を開く。彼女は最初から絢人の出生になど興味はなく、ただ純粋に、能力の劣る絢人をどうやって戦えるようにするか、最初からそれだけしか考えていなかった。
「留守番ていうか、契約上貴女はこの邸を出られないものね?」
「ええそう。それもあるわね」
「……そうなの?なんで?」
「だってメディアは、そもそもあんたの教育係として契約したんだもの。この魔道戦争のために召喚したんじゃないわ」
「…………は?」
「なんだと?お前、それだけのために貴重な霊炉を1本消費したのか?」
「そうよ。だって当たり前でしょう?絢人はこの魔道戦争までただの人間で魔術師でさえなかったのに、真っ当なやり方で戦えるようになんてなるわけないもの」
さも当前と言わんばかりの紗矢の顔を見て、今度は絢人とザラが唖然としながら顔を見合わせる。
どちらからともなく口元が綻び、やがてふたりは声を上げて笑い出した。
「おま、お前というやつは、よくもまあ思い切ったことを……!」
「いやいや、絶対おかしいってそれ!絶対間違ってるって!」
「な、なによ。あたしだって色々考えたんだからね!?」
「全く、お前は時々おかしな方向に思い切りが良くなるな。本当に呆れたやつだ!」
「いやまあ俺はギリシャ神話も好きだから嬉しいけどさあ、そこは建前でも魔道戦争のためにしとこうよ!」
「そ、そんなに笑わなくたっていいじゃない!」
笑われるのが面白くなくて怒り出す紗矢を見て、ふたりはさらに笑う。さらに笑われてとうとう紗矢がそっぽを向いてしまったところで、ようやく絢人がなだめにかかる。
「まあでも、ありがとうな黒森。そこまで真剣に俺のこと考えててくれたなんて、ちょっと感動した。
俺さ、まともに戦えないかも知れないけど、一生懸命やるから。お前の想いにちゃんと応えたいって思ってるからさ」
「…………紗矢、って呼びなさいよ」
そっぽを向いたまま、紗矢がぼそりと呟く。
「……え?」
「紗矢って呼べって言ってるの!黒森じゃなくて!呼ぶんなら今笑ったこと許してあげる!」
「え、えと、分かったよ。さ…………、紗矢……」
顔を真っ赤にした紗矢の気迫に気圧されながら、そして照れながら、絢人がおずおずと紗矢の名を呼ぶ。
「…………ま、まあいいわ、それで。
じゃ、本当に行きましょうか。さっさと行って、すぐ帰ってくるの。帰ってからもやることたくさんあるんですからね!」
先に立って、振り向きもせずにさっさと歩き出す紗矢を見て、絢人とザラはまたしても顔を見合わせる。
(やれやれ。この子にも困ったものだ)
(あんなんで機嫌直るんなら、いくらでも呼ぶけどなあ)
そして苦笑しながら、玄関扉横の通用口から出て行こうとする彼女を、ふたりは追うのだった。




