02-10.覚悟(2)
「紗矢。話がある」
リビングを出たあと、紗矢がシャワーを浴びようと一旦部屋に戻って着替えを持って出てくると、ザラが部屋の前で待っていた。
「ザラ。どうしたの、まだ部屋に戻ってなかったの?」
立ち話もなんだからと部屋に招き入れようとする紗矢の勧めを断って、彼女は厳しい目を向けてくる。その目がなぜか自分を責めているような、難詰されているような気になって、紗矢は何となく目を伏せた。
「何故あいつを助けたんだ?」
「えっ?」
「答えろ。お前は何故あいつを助けたんだ?」
ザラが言っているのは絢人のことだ。
確かに彼女に言われるまでもなく、これから魔道戦争を戦い抜くにあたって絢人の存在はお荷物にしかならない。荷物どころか邪魔だと言い切ってしまっても過言ではないのだ。
「そ、それはその……成り行きというか行きがかり上というか……」
「答えになっておらんぞ。
いつも言っているだろう、ハッキリしろと」
こういう時のザラは本当に誤魔化しが利かない。真っ直ぐに、紗矢の心の奥底まで視線を突き刺してきて、何もかも全部見抜かれるような気になってしまう。そしてそれは時に、紗矢が自覚していないことまでさらけ出してしまうのだ。
だからこの時も紗矢は、進退窮まってしまった。
「その、彼が死ぬのが嫌だったの……」
「何故だ?」
「だ、だってその、彼には去年の恩もあるし、それに、と……友達、だし……。
あ、あそこで彼を見捨てて見殺しにするのは恩を仇で返すようなものだもの。私にはそんなこと出来ないわ!」
「本当にそれだけか?」
「え、えっと…………」
「総持も常々言っていただろう、一般の友人たちとはいつか別れねばならんと。だから深入りするなと、長く付き合うなと言われていたはずだ。それなのに何故お前は執着する?」
「……。」
真っ直ぐに見すくめられて紗矢は身動きが取れなくなる。
まるで、蛇に睨まれた蛙のように。
「人は誰しも運命を持っている。それは神理に定められたことで、どれほど理不尽な運命であっても受け入れねばならん。だからあの場であいつが死んでいたとしてもそれはお前のせいではないし、お前が気に病むことでもない。助ける必要はなかったのだぞ」
「わ、分かってる、けど……」
「解っておらんから言っている。
今一度問うぞ。何故あいつを助けたんだ?」
その問いに、紗矢は答えられなかった。
自分の思いが何を望んでいるか、どこを向いているか、何を目指しているのか。心が乱れて頭が混乱して、うまくまとまらない。言葉に出来なかった。
「…………解らないわ。自分でも、何故あの時とっさに身体が動いてしまったのか、解らない……」
無限とも思える逡巡のあと、ようやくそれだけ、紗矢は絞り出した。
一番言ってはいけない返答だと思いつつ、それでもなお、今はそれしか言葉が出なかった。
「あの時あいつを助けなければ、お前はあの死霊魔術師にトドメを刺せていた。それは解っているか?」
怒られると思って覚悟していると、ザラは紗矢が予期していなかった方向から切り込んできた。
「…………えっ?」
「お前があいつを庇って諸共に倒れ込んだ時の話だ。ヤツがあいつを攻撃した隙を逃さず魔術を叩き込んでいれば、それでヤツは倒せていただろう。それを解っているのかと聞いている」
言われてみれば確かにその通りだった。紗矢と戦っている最中に、あろうことか奴は標的を変えたのだ。戦闘においてそれは決定的なチャンスだったはずなのに、紗矢はそれを今指摘されるまで気付いてもいなかった。
「あ…………」
「やはり解ってはいなかったか」
ザラは予見していたように軽くため息をつく。
それを見て、もしやこのまま見放されるのではないかという恐怖が紗矢の心に沸き起こる。歴戦の魔術師であるザラにとって、腑抜けた戦闘ばかり繰り返す不出来な弟子など自らの名を貶めるだけのはずで、それこそ紗矢自身が彼女のお荷物になってしまう。もしそうであれば、ザラがいつも言っているように、そして今も紗矢に言っているように、見放して切り捨てるのが正解に違いなかった。
たとえ同族であろうと、戦闘で足を引っ張ったり邪魔になったりすれば容赦なく見殺しにするのが魔術師の世界である。非情と言われようと、下手な情けをかければ自分の死にも繋がりかねないのだから、なりふり構ってはいられないのだ。
特に今回は、魔道戦争だけでなく血鬼との戦いまで控えているかも知れないのだ。倒せる敵は倒せるタイミングで確実に減らしておかなければならなかったのに、紗矢はその千載一遇の機会を逃してまで情を取り、絢人を助けてしまったのだ。
そんな甘ったれた魔術師を抱えていてはザラ自身がいつか命を落としてしまいかねない。それを避けるために、今ここで彼女が紗矢を見放したとしてもなんの文句も言えなかった。
「そ、その……ごめんなさい……」
「口だけの反省は要らん。それにやってしまったことを今さらなかった事にもできん」
一言で斬り捨てられて、紗矢は返す言葉もない。
「いいか、忘れるな。お前は自ら困難な道を選んだのだということを。それをしっかりと自覚した上で、この後どうするかよく考えろ。お前には、これからの戦いで敗北も死も許されんのだからな」
それだけ言うと、ザラは踵を返して階段を降りていった。悄然と立ち尽くす、未熟な弟子をそこに残したままで。
独り取り残された紗矢は、重い足取りで無言のままバスルームへと入って機械的にシャワーを浴びた。身体を拭き、パジャマを着て部屋に戻り、そのままベッドへと潜り込む。
自分はあの時なぜ彼を助けてしまったのだろう。
あの時どうするのが本当の正解だったのだろう。
一体これから、どうすればいいのだろう。
どれだけ考えても分からなかった。『何故あいつを助けたんだ』『しっかりと自覚した上で、これからどうするかよく考えろ』というザラの言葉がいつまでも耳に残って、紗矢はなかなか寝付けなかった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
たった今降りてきた階段を見上げて、ザラはため息をひとつつく。
(全く、不肖の弟子を持つと苦労する)
そう思いつつ、だがザラは悪い気分ではない。彼女はザラの唯一の弟子で、師匠の娘で、一族の期待の星で、そしてザラの希望なのだ。加えて言えば彼女はまだ16歳の少女で、人間としても女性としても魔術師としてもまだまだ未完成で、今は迷いながら未来へ向かって歩んでいる最中なのだ。
手の掛かる子ほど可愛いとはよく言ったもので、なるほどそれは真理に違いなかった。
(羨んでいるのだろうな、私は)
ザラは自身の心境を正確に自覚している。かつては自分にだって彼女と同じ悩みを抱えて、迷いながら手探りで、未来へと必死に歩みを進めていた時期があったはずなのだ。
なのに、いつの間にかそんな事も忘れてしまっていた。それに気付かされて人知れず、苦笑とため息が漏れる。
彼女はおそらく彼のことを好いているのだろう。だが彼女は魔術師で、彼は一般の人間だった。ただでさえ自由な恋愛の許されない彼女は、そのことに縛られすぎて自分の恋心にまともに向き合うこともできなくなっているのだろう。
(まあ少なくとも、私はお前の味方だ)
もう一度彼女の部屋の方を見上げ、心の中でザラはエールを送る。
実はザラにも一般人男性と恋に落ちた経験があった。あの時は様々な事情の末に諦めざるを得なかったが、できる事なら彼女にはそんな想いはさせたくなかった。
だが彼も今や魔術師で、この先どうなるのかは誰にも分からない。彼女が彼に恋していたとして、少なくとも白石から一般人に嫁いだあの桜ほどには困難な道ではないだろう。
だが、それもこれも戦いに勝利して、全て片付けてからの話だ。まず勝って生き残らなければ、その先には何もないのだ。
そして勝つためには、ひとつの準備も怠ってはならない。彼女の心に迷いがあれば、それは一瞬の隙につながり、そして致命的なミスにもなりかねない。それだけは決して許されないことだった。
つまり彼女は、自分の心を今のうちにしっかりと見定めて、精神的な不安を排除しておかねばならないのだ。だというのに、それに本人が気づいていないのは明白だった。
彼女が恋路を貫こうとすれば、彼女の勝利が遠のく。その理不尽さを思いやってザラはもう一度、ため息をつく。
「ままならんものだな」
一言だけ呟いて、それからザラはようやく自分の部屋へと歩き出す。
彼女が勝たなければならないのなら、自分が勝たせればいい。参戦者だけで戦うというルールゆえに助太刀はできないが、戦闘以外のサポートは可能だ。それに彼も参戦者なのだから、ふたり手を取り合って立ち向かって行けばいい。そして彼が戦えないのなら、自分が戦えるようにしてやるまでだ。
困難な道には違いないが、完全に閉ざされてしまうまでは、閉ざされてしまうと判るまではその道を歩かせてやろうと、ザラは決意を固めた。元よりザラは彼女を助けるために彼女の傍にいるのだ。その意味では、今までと何も変わらないはずだった。
ひとまず彼女にはいくつか問いかけを投げておいたから、彼女は自分である程度答えを見出すだろう。それがはっきりするまでは彼女も自分も苦労するだろうが、それが必要な事ならばその苦労はせねばならないのだ。
ただ、問題は彼の方だ。彼が何を思っているのか、これからどうするつもりなのか、魔術師としてどう生きていくのか、そして何よりも、彼女のことをどう思っているのか。
これからやらねばならないこと、確かめねばならないことの多さを考えて、ザラは尖塔二階の自分の部屋の前まで来てもう一度ため息をつく。
明日からの1週間は忙しくなりそうだ。やれやれ。
年内の更新はひとまずここで終わりにします。
年明けの更新開始は……どうしよっかな(おい)。
物語は一応、1日目終わるまでは書き終えています。
ここまでお付き合い下さりありがとうございました。
皆様、よいお年をお迎え下さい。




