02-05.黒森邸
「今いた部屋がリビングで、その隣がダイニングとキッチン。その向こうにバストイレがあるわ。ただし一階のは使用人用だから。
ここの二階に客間があって、客用のバストイレも二階にあるから、貴方はそっちを使いなさい」
リビングを出て、エントランスホールの階段の前で紗矢が絢人に説明する。ホールとダイニングの間を奥に向かって廊下が延びていて、それが紗矢の説明するその向こうだ。
リビングはエントランスホールに、ダイニングは廊下の部分にそれぞれ面している。使用人用のバストイレというのはその奥の突き当たりになる。
「え、別々なの?」
意外そうな顔で絢人が聞いた。
「何言ってるの当たり前じゃない。主人と客人と使用人と、生活空間はそれぞれ別よ?貴方は一応お客様扱いだから、この階段を上がった二階の客間をひとつ使ってもらうわ。どこでも好きな部屋を使っていいわよ」
後ろをついて来る絢人に説明しつつ、紗矢は目の前の階段を上がる。
二階に上がると少し広いスペースになっていて、後方には折り返しの廊下があり、振り返れば右手が煉瓦の壁で左手は木の壁だ。その木の壁に等間隔に木製の扉が4つ並んでいた。一番左側の扉が、ちょうど階段を上がりきった場所のすぐ横にある。
煉瓦の壁のほうには大きな窓が並んでいて、覗くと灯りに照らされた中庭が見える。地面には芝生が張られていて、ベンチやテーブルが置いてあった。
「その中庭はたまにバーベキューとかやることもあるわね。今の時季だとアフタヌーンティーも楽しめるわ。
⸺で、ここが客間。好きな部屋を選んで頂戴」
「……えっと、じゃあ、ここ」
絢人はすぐ目の前にある扉を指差した。正直な話、何を基準に選んでいいのか全く分からないので、単純に階段に近い部屋を選んだだけである。
「その部屋の鍵はこれだ。預けておく」
さらに後ろからついて来ていたザラが絢人に鍵を渡す。
「え、鍵かかるんですか?」
「当たり前じゃない、プライベートルームなんだから。貴方、着替え中とか留守中に勝手にドア開けられたいの?」
「いや、それは困るけど」
「だったらきちんと鍵を掛けておくことね」
絢人は自宅でも自室に鍵をかける習慣がなかったので、少々戸惑い気味である。
戸惑うと言えば、邸の広さにも戸惑っていた。外から眺めて想像していたよりずっと広いのだ。
「で、貴方の部屋の向こうが客用のバストイレ。ここね」
紗矢が扉を開けると、タイル貼りの広い空間に、四つ足の楕円形のバスタブと、シャワーとシャワーカーテン、それに少し離れて便器と洗面台が並んでいた。クラシックスタイルというかなんというか、まあ有り体に言えば今時珍しくなった古い西洋式の作りで、見た感じは少し……いやだいぶ寒々しい。
「…………あ、あら?バストイレって改修しなかったかしら?」
何故か紗矢が怪訝そうに声を上げる。自分の邸なのに状態を把握していなかったのだろうか。
「客用は触っておらんぞ」
「なんでよ?5年前にあちこちリフォームしたじゃない!」
「黒森本邸への泊りがけの来客なぞ基本的におらんからな。だから客用の水回りは最初から改修計画に上がっておらん」
「えぇ…………」
紗矢が何とも言えない顔になっているが、5年前といえば紗矢はまだ11歳、リフォームは全て総持とザラが決めたことだし、紗矢自身も用のない客用スペースに立ち入るはずもない年頃なので知らなくても無理はなかった。
なお紗矢の暮らす主人用スペースとザラの寝起きする使用人用スペースの水回りは、きっちり最新式に造り替えられている。浴室床暖房や自動追い焚きなど快適機能満載で、もちろんバスとトイレはそれぞれ独立である。
バストイレの扉の前からは、向かって左手に廊下が延びていて、その向こうは灯りがついておらず不気味に静まり返っている。
「あ、その廊下の向こうは私の部屋よ。だからその廊下は使用禁止ね」
「いや行かねえし」
「……念のために魔術トラップを仕掛けておこうかしら……」
「信用ゼロかよ!」
(だって、男の子泊めるの初めてなんだもん……)
やや顔を赤らめながら心の中で呟いて、そのまま紗矢はそっぽを向いてしまう。男の子をというか、友達を泊めるの自体が初めてだから紗矢も少し緊張していた。でも恥ずかしいので黙っているのだ。
「お前の部屋が向こうにあるってことは、あっちが主人用のスペースってことか」
「そ、そうね。二階は元々私の部屋とお母様のお部屋になってて、お父様のお部屋は一階にあるわ。一階は他に書斎と応接室と、あと談話室」
「談話室?」
「そ。お父様がお客様と商談したり会議したり色々やってたわ」
「えっと、じゃあ、あっちの階段は?」
あまり詳しく聞くと父の死を思い出させると思って絢人は話題を変える。父親だけでなく、以前に亡くなったと聞いている母親の部屋まで残っているとなると、これ以上聞いてはいけないと思った。
絢人が咄嗟に指さしたのは二階からさらに上に向かう階段だ。二階建てという話だったのに、上り階段があるのはどういう事だろうか。
「……ああ。あれは屋根裏部屋に上がる階段。屋根裏は今は倉庫と、洗濯物干しに使っているわ」
「あー、屋根裏か」
こういう邸の屋根裏部屋というと、なんだか年代物の骨董品とかがゴロゴロ置いてそうで、それを想像するだけで絢人は探検したくなる。太平洋戦争後に再建されたというから、この建物自体がもう70年以上経っている計算で、つまりそこには70年分の歴史が詰まっているはずなのだ。だからつい、開かずの倉庫や金庫を開ける人気番組みたいなことができそうだな、と絢人は思った。
だが人の家なのであんまり厚かましいことは言えない。それくらいの分別は絢人にもある。
「まあ、部屋の説明はこんなところかしら」
「そう言えば、ザラさんの部屋は?」
「ザラの部屋は⸺」
「ほう。私の部屋の場所を探ってどうするつもりだ?」
振り返ると、ザラが般若みたいな顔になっていた。
「あ、いやいや、別に他意はないです。今説明された中になかったな~と思って、それで」
「だから主人と客人と使用人は別々だって言ったじゃない。ザラは形の上ではうちのメイドなんだから、部屋はこの向こうの尖塔の中よ」
そう言って紗矢が指さしたのは、入り口も窓も何もないただの通路の壁。使用禁止を言い渡された渡り廊下の、中庭とは反対側に面する壁だった。
「この向こう……?」
「さっきは暗くてもう見えなかったでしょうけど、邸の一番奥に尖塔が建ってるの。そこだけ三階建てで、一階は洗濯場と炊事場、二階がザラの部屋よ。二階はふた部屋、三階もふた部屋あって、そっちにも屋根裏があるわね。尖塔の入り口は一階だけだから、一階からしか上がれないわ」
「あいつらには三階を使わせるとしよう。それでいいな紗矢」
「ええ、そうね。そうしましょう」
あいつら、とはリヒトとドゥンケルのことだ。




