02-02.覚醒
「さて。まずはこの小僧を魔術師にしてやらんとな」
リビングのソファに遠慮がちに座る絢人の前に仁王立ちになり、腕組みしながらザラが宣言する。
「え、えーっと、その前に事情を聞きたいんですけど……」
「魔術と魔術師の根本知識は魔術師として覚醒すればおのずと理解する。だから貴様が魔術師になるのが先だ」
「えっと、私、どうすればいいのか全然知らないんだけど……」
「その点は最初からお前に期待してはおらん。まあ任せておけ」
全く、知りもせんのによくもこんなお荷物を拾ってきたものだ。そう言いたげなザラである。
ザラは何やら詠唱して魔術を起動する。基礎魔術のひとつ[解析]だ。魔術や魔力の関わる様々なものを調べるのに便利な術式で、魔術師の必修とも言える。[解析]が発動すると絢人の顔に魔術陣が浮かび上がり、それが体表を目まぐるしく駆け回ったあと、額で止まった。
「ほう。貴様、珍しいな」
「え、うそ、太刀洗くんの霊核って額にあるの!?」
「え…………えっと、何か問題が……?」
やや意外そうな表情のザラ。
驚いて声を上げる紗矢。
例によって絢人はよく分かっていない。
「頭部は人体の急所のひとつだ。魔術に限らず戦闘の際には必ずいの一番に狙われる箇所と言っていいだろう。そして霊核とは霊体における心臓のようなものだ。
つまり貴様は、人としての急所に魔術師としての急所が重なっているということになる。しかもまあ、都合の悪いことによく目立つ。死ぬ気で守らなければ瞬殺だな」
「う……ま、まあ、私も人のことはあんまり言えないけど……」
「バカ者、そう簡単に人前で自分の情報を晒すんじゃない!」
紗矢の霊核は心臓にある。つまり彼女も絢人と同様、人としての急所と魔術師としての急所が重なっている珍しい魔術師と言える。だが基本的に無防備に晒されている額と違って心臓、つまり胸は服や防具などで隠し守ることができる分だけ、多少はマシと言えようか。もっとも魔術で狙われてしまえば身体のどこにあろうとも大した違いはないのだが。
今ここにいる中で、紗矢の霊核の位置を知っているのは本人のほかはザラだけだ。身内であってもよほどのことがない限り伝えないのが当たり前の情報なだけに、ザラが口止めに走るのも当然であった。
「まあいい。頭の中で自分の額に何があるか、意識を集中して探してみろ。ぼんやりとでも、何か見えてくるはずだ」
ザラに言われるまま、絢人は目をつぶって意識を集中させる。コツも分からず、正しいかも分からなかったが、とりあえず無心になってみた。
霊核なんてものは今初めて聞いた言葉で、それが何なのかの説明もほとんどないから絢人には想像することも難しい。心臓のようなものと言われたからにはよほど大事なものなのだろうが、そんなのが額の奥にあると言われても………………
⸺あれ?なにか、ある……?
うすぼんやりと、形もよく分からないが、何となく説明できない何かを絢人は感じた。もっとよく確かめようと無意識に意識を集中させ、次の瞬間。
記憶にない場所で、見知らぬ、だが懐かしい女の人とふたりきり。
彼女が右手で自分の額に触れてくる。
“ごめんね坊や。痛くないから、少し我慢して”
“ごめんね。こうしなきゃダメなんだ”
“ごめんね。さよなら”
たくさんの“ごめんね”のあとに、額の奥が熱くなる。
その女の人が、泣いているのが、見えた。
「わっ!」
「む、貴様、もう見つけただと!?」
さすがのザラも驚きを隠せない。霊核の自覚は魔術師の最初の一歩とはいえ、人間から魔術師への覚醒でもありもっともハードルが高いものだ。しっかりと感覚で捉えるまで丸1日程度はかかるのが普通で、人によっては数日から数週間かかることもあり、探せと言われて即座に探せるようなものではないはずなのだ。
「いや…………なんだ、今の……」
絢人は戸惑っていた。場所も女の人も全く記憶にないのに、何故か懐かしい。懐かしくて温かくて、少し苦しい。
自然と、目の奥から涙が溢れてくる。
「……ああ、なるほど。[貼付]された裏側の記憶を見たのか。貴様さては、すでに一度霊核を自覚したことがあるだろう?」
「あっ!そう言えばジャンヌも[貼付]で隠されていると言っていたわ!」
「やはりそうか。私の見立てでも[貼付]を施したのだろうと推測はしていたが」
「分かんないけど……多分子供の頃に、何かあったような……」
「別に思い出さずともよい。そこに何かあるのは判ったな?」
「えっと……はい、多分」
「では次は霊炉だ」
ザラが再び[解析]をかける。魔術陣が同じように絢人の体表を駆け巡り、今度は心臓の辺りで止まる。
「体内の霊力の流れを感知しろ。霊核さえ自覚できれば霊炉も稼働を始めるはずだ」
「えっと、いや……よく分かんないです」
「ならば仕方ない。おい紗矢、小僧と向かい合って手を繋げ」
「えっ、私!?」
「早くしろ。霊力を循環させて強制起動させるんだ」
ザラに言われるままに、渋々紗矢は立ち上がって絢人の両手を握る。
紗矢の右手と、絢人の左手。そして絢人の右手と、紗矢の左手。
ふたりの両腕が環をつくる。
「よし。では紗矢、霊炉をひとつ回せ」
言われるままに紗矢は霊炉を稼働させる。そして毎朝やっているように、体内に霊力を巡らせる。普段なら霊力は紗矢の全身を巡るだけだが、今はその霊力は繋いだままの絢人の左手に流れ込み、その全身を巡ってから紗矢の左手に還ってくる。
「うわぁ!?」
ビクリと身体を震わせて絢人が声を上げた。
「ふん。どうやら正常に稼働を始めたな。
紗矢、もういいぞ。手を離せ」
なぜか顔を赤らめている紗矢が言われるままに手を離す。絢人の方は自分の体内を駆け巡る霊力が信じられないのか、驚愕を顔に貼り付けて、自分の両掌とザラの顔を交互に眺めている。
「判ったか。これが魔術師というものだ」
絢人は驚くほかはない。体内には今まで感じたこともないような強烈な力が駆け巡っていて、まるで自分の身体ではなくなったかのようだ。今にも動き出しそうなその身体を理性で抑え込むので精一杯だった。
「これ……これ……!」
「慣れろ。貴様の覚醒した霊炉はまだ1本だけだ。その1本は霊核の維持に必要だから、心臓と同じように休むことなくずっと稼働し続ける。これから貴様は常にその身体で生活するのだ」
「えっ、これ、あんたも黒森もずっと感じながら生きてるのか!?」
「“様”を付けろ小僧!」
それまで黙って脇に控えていたドゥンケルが、「黒森」という呼び捨てに反応して吼えた。
「ドゥンケル、止めなさい」
「は、申し訳ありません」
そして紗矢の一言ですぐさま引き下がる。
「私たちは物心ついた時からずっとこれなの。だから別になんてことないわ。でも、貴方は慣れるまで大変かも知れないわね」
「私の知っている中途覚醒者の中にはなかなか慣れずに苦しんでいたヤツもいたな。だが貴様は魔道戦争の正式な参戦者だ。そんな事を言っていられる場合ではないぞ」
「うへぇ、マジかぁ……」
これと一生付き合わなければならないと知って絢人はげんなりする。魔術師になったら人間の社会には戻れない、と紗矢が言った言葉を思い出して、ようやくその意味を理解した絢人であった。
「ふん、諦めろ。この道を選んだのは貴様自身だろう?」
「そうよ。だから止めなさいって言ったのに」
「いやそんな事言われたって、あの時はまだ何も知らなかったし。ていうか事前に教えてくれよこういうのは!」
「言葉で教えて理解できたと思う?こういうのは感覚なの。身をもって学ばないと分からないことってたくさんあるのよ?」
「う…………まあ、それはそうだけど……」
紗矢とザラに口々に言われて、反論できない絢人は引き下がるしかない。
「ともあれ、これで貴様も形だけは魔術師だ。さて次は魔術の世界の基礎概念を教えてやる」
そう言ってザラは、腕組みして絢人の前に仁王立ちになって見下ろしてくる。この人が怖いのはもう分かったけど、なるべくなら手加減して欲しいなあ、と心中で泣きが入る絢人である。




