【幕裏-絢人】04.天嶺の店(2)
店に出てくると、絢人はまず脚立を持ってきて照明の拭き掃除から始める。傘や蛍光灯、シーリングファンの埃を落として綺麗に拭き上げ、それが終わるとテーブルと椅子の上の埃を落として、それから椅子を全部テーブルに上げる。テーブルは壁際に4人掛けがふたつ、2人掛けがひとつ、壁から離れた4人掛けがひとつ、それにカウンターが3席。壁際の造り付けのソファを除いた、椅子の全てをテーブルに上げてから床掃除に取り掛かる。
自分の座っている椅子さえも取り上げられて天嶺が文句を言っているが、そんなのは知ったことじゃない。むしろ掃除中の店内で手伝いもせずに煙草をふかしている方が非常識というものだ。
床を掃き、モップで水拭きをして乾いたらワックス掛けだ。それから椅子を全部床に戻してテーブルを丁寧に拭き上げる。椅子の座面もだ。
床のワックス掛けが終わったところで厨房を見ると、ミライがすでに調理器具を点検し終え、食器を洗い始めていた。天嶺のほうはといえば、ようやく取り戻した椅子に座ってまた煙草をふかしている。いっそ終わるまで出てってもらおうかと思ったが、多分ぶん殴られるので絢人は黙って諦めた。
窓とカウンターまで拭いてから、絢人は厨房に入る。調理場はミライがやっているから業務用冷蔵庫を開ける。食材が何も入っていない冷蔵庫は電源も当然落ちていて、今のうちに綺麗にしておかないと新しい食材も入れられな………………
何も、入って、いない……?
「天嶺さーん!前の食材が干からびてるんスけどぉ!?」
「あー。食べていいよ~」
「いや食えるわけないっしょ!」
仕方ないので市指定のゴミ袋と厚手のビニール袋を数枚取り出してきて、軍手をはめて嫌々ながら食材だったものをつまみ出す。三重にしたビニール袋に入れ、空気を抜いて口をきつく縛ってさらにビニール袋に入れ、それからゴミ袋にポイする。
残っていた食材のあった辺りを中心に、全ての棚とドアポケットを念入りに拭き上げ消毒し、消臭剤を振り撒く。冷蔵庫の扉のパッキン周りを拭き上げ、扉を閉めてその外側も拭く。
ちなみに、今出てきた掃除用具は全て絢人が自費で購入したものだ。天嶺は食材と調理器具以外を買おうとしないし、ミライも言われないと何もしないから、この店は絢人が辞めてしまったら本当に営業出来なくなるのが目に見えていた。絢人が来るまでよく営業できていたものだ。
トイレを念入りに掃除し、それから外に出て最後にドアと外壁を拭き上げたら掃除は完了だ。その後は照明や看板、換気扇などの点灯確認や動作チェックをして、全部問題がないことを確認する。
外壁を拭いていると、少ない通行人の何人かが開いているのかと聞いてきた。今日は掃除だけで開けるのは食材の準備が整う数日後だと答えると、彼らは納得して帰って行った。絢人も見覚えのある常連客たちだった。
店内に戻って壁掛け時計を確認すると、もう夜7時前になっていた。約5時間足らずの作業時間にしては充分掃除できただろう。厨房を覗くとミライが調理場だけでなく、食器も調理器具もピカピカに磨き終えたところだった。
「天嶺さーん。終わりましたよ」
「おー、ご苦労さん。じゃあちょっとチェックしようかね」
天嶺はそう言うと、煙草を灰皿に押し付けておもむろに立ち上がる。狭い店内を見渡し、それから厨房に入り、ぐるりと眺めたり冷蔵庫を開けたり色々しているが、まあ多分良し悪しなんて分かってないだろう。
「うん、OK、助かったよ」
にこやかに笑って親指を突き立てているが、多分もっと手を抜いていても同じ反応だったはずだ。そのあたり、この人は本当にいい加減なので絢人は一切信用していない。全く、こんなんでよく食品衛生責任者の資格が取れたものだ。あの壁にかかってる資格証、本当に本物だよな?
「じゃあ、はいこれ今日の分」
天嶺が厨房の奥の小さな部屋に入ってゆき、封筒を持って出てきて絢人に手渡した。この店はその日の給料を即金で支払ってくれるので、それも絢人は助かっている。
ただし給与計算までもいい加減なので、就労時間が多少変わっても金額はだいたい6000円で固定だった。まあ通常の営業時間の4時間あまりで6000円なら、沖之島では割のいいバイトだろう。
「いや、1万入ってますけど……」
「ん、今日はいつもより大変だったろうと思って足しといた」
いやそりゃありがたいけど、どういう計算で1万円なのか全く分からないんですけど?
まあいいや。思ったより多くてラッキーだし。
「さて、じゃあ久々の開店を祝って前夜祭と洒落込もうか」
「いやいや、食材も何もないのにどうやって」
「うん、君買ってきて」
「いや、まあ、そう言うと思ってましたけどね……」
ていうか作るの俺とミライさんだし。天嶺さんお金出すだけで全部人任せなんだもんなあ。まあ、お金出してくれるだけまだマシだけどさ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
天嶺から買い出し予算の1万円を受け取り、私服に着替えてから絢人は店を出た。駅ビルの中に生鮮スーパーが入っているのでそこを目指す。
天嶺はもちろんついて来ないし、ミライも店から出ようとしないので、買い出しは絢人がひとりでやるしかないのだ。逆に言えば、何をどう買ってくるかは絢人に一任されているということにもなる。
スーパーに入って買い物カゴを取り、店内をぶらぶらと見渡しつつ、簡単に調理できて調理器具や厨房をあまり汚さないことを前提に、絢人は自分の好きな食材をカゴに入れていく。このスーパーはコーヒー豆も売っているが、それはカフェのミルを使う羽目になるので止めておこう。飲み物は普通のペットボトルで済ませればいい。
予算を少し余らせて会計を済ませ、レジ袋に詰めて店を出たときにはもう夜7時半になっていて、すっかり夕陽も落ちて街は宵闇に包まれていた。ただ繁華街なので店舗や街路、ビルの明かりが多くあるので足元や視界にはなんの不安もない。元々昼も夜も歩き慣れた場所なので、絢人は買い物袋を両手に提げてしっかりした足取りで店へと戻っていく。
何気なく、絢人は夜空を見上げる。周りの地上の光が多すぎるせいで、星の輝きはおろか、晴れているのか曇っているのかすら定かに分からなかった。
天嶺の店は小さいので分煙は特にされてません。飲み屋街の長屋みたいな通りでテラス席とかもないし、非喫煙者にはちょっと辛いかも。
ってか2019年当時、分煙されてないのって法律に引っかかったりするのでしょうか?調べずに書いたので、今さらながらちょっと不安になってきました( ̄∀ ̄;




