【幕裏-絢人】02.絢人の土曜日(2)
文句たらたらの絢人を尻目に寧々は調理ナイフで脚の部分を切り取り皿に盛り、スープとともに絢人の前に並べる。
「はい、召し上がれ♡」
「相変わらず有無を言わせねーな寧々姉は……」
呆れつつも、実際目の前に並べられると美味そうだ。昔から寧々は料理万能でどんな料理を作らせても不味かったことがないので、味については心配はなかった。
「まあいいや。いただきます」
箸を手に、きちんと両手を合わせて礼をするのは太刀洗家の伝統である。
絢人はアルミ箔でくるまれた脚先を摘んで、まずひと口かぶりつく。その様子を寧々が嬉しそうに絢人の向かいに座って肘をついて眺めている。
(いや寧々姉、胸!胸乗ってるってテーブルに!)
絢人も年頃なので女性の身体には人並みに興味がある。そして寧々のバストはちょっと他に見ないほど大きいので、よく目立つし絢人の目も捉えて離さない。しかも寧々が椅子に腰掛けてテーブルに肘をつくとちょうど胸が全部乗ることになって、ただでさえ巨大な胸が柔らかく広がってさらに大きく見える。健全な青少年には目の毒どころの騒ぎではないのだ。
この無防備さも絢人としてはどうにかして欲しいところであったが、寧々としては胸をテーブルに預けてしまった方が肩や背中が楽になるのでやめるつもりもない。
「って、美味っ!」
「ほんと?良かった~☆」
口の中に、溢れる肉汁とハーブの香りがいっぱいに広がって、その旨さに絢人は思わず声を出す。寧々の料理はどれも絶品だったが、これはランキングを更新しそうである。そのあまりの旨さに、たった今ガン見していた寧々の胸のことなどすっかり絢人の頭から消えてしまっている。
絢人はチキンを一旦皿に置き、一緒に出されたスープをスプーンでひと口飲む。
「こっちも美味っ!」
「まあ、嬉しい~♡」
そのまま怒濤の勢いでものも言わずに、無心でがっつく絢人の姿に寧々も満足そうである。
「ただいま~。ってなにこのいい匂い!」
と、柚月が帰ってきたようだ。
「あっ、ゆづきちゃんお帰りなさい♪ご飯できてるわよ☆」
「えっ寧々お姉ちゃん!?やった!」
「できたてだから美味しいわよ☆
さ、着替えて手を洗っていらっしゃい♪」
「はーい!」
返事もそこそこに、柚月は二階の自分の部屋に駆け上がって行く。
柚月がリビングへやってくる頃には、絢人は脚を一本食べ終えて寧々が切り分けた胴体の部分にかじりついている。鶏の胴体には香草や野菜の他に、なんとピラフが詰まっていた。そのどれもにしっかりと味が沁みていて、香草の香りが食欲をそそる。
「わ、やば!美味しそう!」
着替えて手を洗ってきた柚月がそれを見て目を丸くする。そのまま自分の席へつくと、すかさず寧々が脚を切り分けてスープと一緒にその前に置く。
「さあ、召し上がれ♪」
「わーい!いっただきまーす!」
そして太刀洗兄妹が無心で料理にかぶりつく様を見ながら、寧々は嬉しそうに自分の分を切り分けて食べ始めるのだった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ふぃ~。食ったぁ~」
「もーお腹いっぱい。今日夜ご飯いらないかも~」
腹をパンパンに膨らませた太刀洗兄妹が満足そうに声を漏らす。
絢人が食べきれないと思っていたハーブチキンは、すっかり跡形もなく消えていた。
「気に入ってもらえて良かったわ~☆」
「ていうか寧々姉、神社の方は放ったらかしでいいの?」
今さらのような気もするが、一応気付いたので絢人は寧々に聞いてみる。
「ええ、今日は神主さんがいるから大丈夫よ♪」
「いや、それ逆にまずいんじゃ……?」
「いいのよ。普段は会合とか出張とかばかりでめったに神社にいないんだから、たまには神社の仕事もしてもらわないとね☆」
会合はともかく神主の出張ってなんだろう、と絢人は思ったが、何となく聞いたらいけない気がして黙っておいた。神社のことはよく分かんないや。
でもそういえば、寧々姉も時々いないことがあるような?
まあ、深く考えても仕方ない。どうせ聞いても教えてくれないんだろうし。
「さてと。じゃあ俺ちょっと出かけてくるから」
食後の休憩のあと、腹も少し落ち着いたところで絢人が立ち上がる。
時刻は1時半になろうかというところだ。
「えっ、お兄ちゃんどこ行くの?」
「バイト先」
「あーあの怪しいバイト?もう辞めた方がよくない?」
「いや別に怪しくねえよ。バイト俺しかいないんだから、俺が辞めたら店長が困るだろ」
柚月が怪しいと言うのには訳がある。絢人のバイト先というのは中心街の飲み屋街の隅にある小さなカフェなのだが、めったに開いていないのだ。
たまに店を開ける時にはバイトの絢人に連絡が来て、絢人はその時だけバイトに行く。立地もよろしくないし不定期開店なのに、絢人の話によれば常連客がなぜか何人もいて、開店すると必ず賑わうのだとか。
それでいてこの店、求人も広告も一切出したことがないというのだ。
「えっ、求人?ん~俺駅前でスカウトされたからなあ」
絢人に問いただしてみれば、あっけらかんとこの調子である。
柚月に言わせればカフェの店員を駅前でスカウトするとか聞いたこともない。おまけに絢人以外にバイトもいないとあっては、何かカフェを隠れ蓑にした怪しい団体とかじゃないのかと勘繰ってしまっても無理はない。
だが絢人にしてみれば、店長は少し取っつきにくいけどいい人だし、バイト代の支払いもいいし、不定期だから部活にもさほど影響はないしで、なんの不満もないのだった。
「まあお母さんもOKしたくらいだからいいけどさあ。じゃあ今日はまた遅くなるの?」
「いや、今日は3ヶ月ぶりに店開くから大掃除だけして欲しいんだってさ。まあ夜までには帰ってこれると思う」
「そか。じゃあお母さん帰ってきたらそう言っとくね」
「うん、頼んだ」
「ケンちゃんも大変ねえ。あそこの店長さん、人使い荒いでしょう?」
「えっ寧々姉知ってんの?」
「私も一度だけ行ったことがあるもの。あの頃は女の子の店員さんひとりだけだったけど、忙しそうだったわね」
「あー、その人まだいるよ。バイトじゃなくて正社員だって」
「そうなの。⸺じゃあ行ってらっしゃい。気をつけてね」
「うん、ありがとう。行って来ます」
寧々の言う『気をつけて』の本当の意味を、絢人はこの時まだ解っていない。解っていなくとも、この時はまださほど問題はないのだが。




