01-15.ザラの見たもの(2)
暗黒の魔力はたちまちのうちに紗矢のいる公園を包み込み、その上空まで覆って箱状の空間全体を満たしてゆく。死霊魔術師が[囲界]を仕込んでいたようで、空間自体が囲われてしまっている。
紗矢にとってはここからがピンチだと言えたが、それでもザラは助けに入るつもりはさらさらなかった。多少のピンチぐらい自分で切り抜けられなければ、どのみちこの先魔術師として独り立ちなど出来はしないのだ。彼女を死なせるつもりはなかったが、この雑魚を相手に無様を晒して帰ってきたのだから、その恥は自分で濯がせなければならなかった。
まあ、初陣相手としては丁度いいだろう。お誂え向きに一度負けているから勝てば自信もつくはずだ。
すると、晴れていた宵闇の空が突如として曇っていく。しかも奇妙なことに曇っていくのは公園の上空だけだ。
雲はたちまちのうちに分厚く重くなり、その中でチカチカと何か光ったと思えば、次の瞬間、耳をつんざくばかりの轟音と爆風とも言える衝撃波を伴って稲妻が公園に落ちた。
「なっ…………!?」
これにはさすがのザラも思わず声が出る。どう見ても自然現象とは思えず、雷雲から魔力の反応が感じ取れることを考えても紗矢が召喚したものに間違いないだろう。
その証拠というか、雷雲は稲妻を一発落としただけで雨も降らさずに霧散していく。
「は…………ハハッ。紗矢のやつめ、本当に底が知れんな……!」
ザラの見たところ、紗矢の天才的素質はまさしく黒森五百年の結晶とも言えるものだ。総持も大した能力の持ち主だったが紗矢はそれを明らかに上回る。だいたい、一体誰が稲妻を召喚しようなどと考えるというのか。しかも今のこれは思いつきで試したものではなく、事前に研究して実験と試行を繰り返して術式と詠唱を完成させていなければ到底不可能な精度なのだ。
まだ初陣も済ませていない身で、こんなものを奥の手として用意しているなどというのは、さすがにザラの想像をも超えていた。
「全く、敵わんな。私の周りにはバケモノが多すぎる……!」
ザラは自分の能力には絶対的な自信を持っている。だがそれでも、アルフレートという掛け値なしの“バケモノ”を目の当たりにしたこともあって、自分が最強だなどとは微塵も考えていない。むしろ弱い、取るに足らないつまらない存在だと卑下してさえいた。
しかも、アルフレートの下には紗矢というこれも“バケモノ”がいて、そのさらに下、まだ生まれてきてはいないが、今年の暮れから年明けには更なる“バケモノ”がヴァイスヴァルトの末端の家系に生まれてくることを知っている。
ザラの魔術特性は〈未来視〉と言い、これも魔眼の一種である。アルフレートの出現こそ視てはいないものの、紗矢の出現もヴァイスヴァルトに生まれる“バケモノ”もザラの魔眼には視えていて、それらの存在を視てしまったがために、彼女はヴァイスヴァルトの当主就任を蹴ってまでゼロから鍛え直すために出奔したのだ。
そして紗矢の母が亡くなって彼女に魔術を教える人間がいなくなる未来を視たために、ザラは本家に戻って魔術メイドとなり、そして志願して黒森家へとやってきたのだ。せめて未来へ繋がる天才たちに、自分の爪痕が僅かでも残せればと、一縷の望みを託すために。
紗矢の召喚した稲妻は、暗黒の魔力の立ち込めた空間ごと破壊していた。元より稲妻というのは自然界で最大級のエネルギーリソース、つまり魔力の塊である。同じ自然由来である暗黒の魔力に対抗するにはこれ以上はないという選択であった。
霧散していく暗黒の魔力の向こう側、飲み屋街の方の路地に紗矢が転がり出てくるのが見て取れた。自力で脱出できたのならもはや心配することもない。それに今の落雷は死霊魔術師にも相応のダメージを与えたはずだ。
と、紗矢が一緒に逃れ出てきたドゥンケルに向かって[投射]を放つ。ほう、ということはそれもヤツの変身か。敵も懲りないというか、通用しない手を繰り返すあたりは本当に雑魚というしかない。
ところが、そこからが雲行きが怪しくなった。
先ほどビルの上のザラたちを見上げていた少年が現れて、紗矢に話しかけたのだ。話しかけられた彼女は明らかに動揺していて、彼のすぐ後ろに死霊魔術師が姿を現したかと思えば、なんと彼を庇って我が身を危険に晒したではないか。
「な、何をやっているんだアイツは!?」
ふたりはもつれ合って倒れたまま何か話しているが、遠すぎて会話の内容までよく聞き取れない。立ち上がって周囲を警戒こそしているが、死霊魔術師が再び暗黒の魔力を増したことで彼女は再びピンチに陥りつつあった。彼を庇ったことで勝機を逃したことは明らかだった。
そこからは暗黒の魔力が濃くなってザラの位置からは何も見えなくなった。だが空中に浮いたままではこれ以上近付けない。もしも紗矢が再び稲妻を召喚でもしたら、まかり間違ってザラに直撃することも考えられる。いかなザラとて落雷の直撃を受ければ無事では済まない。
地上に降りて近付こうかと思案していると、突然、暗黒の魔力が嘘のように消え去る。と同時に聖なる光が公園を包む。
「不浄なるものよ、去れ」
声が響いて、公園の真ん中、落雷の跡も生々しいその場所にひとりの聖女が立っている。その名乗りを聞いて、ザラも心底驚くほかはなかった。
「バカな、ジャンヌ・ダルクだと!?」
魔道戦争の裁定者に英霊が指名されるなど前代未聞だ。英霊は高位の召喚魔術師が召喚して参戦した例はあるが、それさえもそう多くはなかった。
しかもあろうことか彼女は、紗矢が助けたあの少年のみならず暗黒の魔力を纏っている少年さえも見つけ出し、参戦者に数えたのだ。
「一体どういうつもりだ!?何を考えているのだあの裁定者は!?」
あまりのことに、ザラでさえ姿をくらました死霊魔術師の行方を追うことすら忘れていた。それほど異質の事態だった。
裁定者ジャンヌは紗矢の抗議をものともせずに、魔道戦争の開催を宣言する。そうして付近に潜んでいた魔術師の気配が3つほど離れていき、暗黒の魔力を纏った少年もその場を離れる。その後で紗矢はひとしきりジャンヌに文句を言ったあと、ようやく一緒にいた少年とその場を離れてビルの方へと歩いてくる。
少年は明らかに戸惑っており、その後ろからドゥンケルたちも困惑しながらついて来る。
さて、ではそろそろ合流するか。確認せねばならんことも多いからな。魔道戦争も布告されたことだし、戦略も練らねばならない。そう、私はこの子を勝たせねばならんのだからな。




