01-12.開戦(1)
「そこまでです」
不意に、静かな声が公園に響いた。
清涼な、神々しささえ感じる、それは女の声だ。
その声が響いた瞬間、嘘のように暗黒の濃霧が跡形もなく消え去った。
「不浄なるものよ、去れ」
再び声が響いて、辺りが清浄な光に包まれる。それとともに死霊魔術師の気配も消えた。
『魔道戦争前から既に始めているとは恐れ入る』
静かな声とは別の方向から、くぐもった笑い声。
『全くだ。今回は面白い一戦になりそうだな』
また別の方向から、重く低い別の声。
『いや~、こんな美人とご一緒できるとはね。来てみるもんだ♪』
さらに別の声。こちらは場違いなほど軽薄だ。
それぞれの声はいずれも男の声だが、どこから響いてくるのか全く分からない。
「黒森、紗矢。⸺黒森家当主に間違いありませんね?」
最初の声が、紗矢の正面から響いてきた。
そこには、白銀に輝く中世騎士風の甲冑に身を固めた、亜麻色の髪を襟元で切り揃えたひとりの女性が立っていた。姿が見えたのは彼女だけで、他の声の主は姿が見えない。
「貴女は……?」
突然のことに紗矢は驚きを隠せない。だが目の前の彼女も、そして周りから聞こえた声の主たちも、いずれも魔術師に間違いなかった。
「此度の魔道戦争、その裁定者。
名をジャンヌ・ダルクという者です」
甲冑姿の女性が静かに宣言する。
「ジャンヌ・ダルクですって!?」
紗矢が驚くのも無理はなかった。ジャンヌ・ダルクと言えば今回の魔道戦争で争奪される霊遺物の本来の所有者だ。しかも英霊であり、英霊が魔道戦争の裁定者として姿を現すなど通常は考えられないことだった。
だが、目の前の彼女が嘘を言っているようにはとても思えない。見た目の容姿も清浄な雰囲気も、暗黒の濃霧を打ち払った聖なる力も、それが“本物”であると如実に示していた。
「この場に集いし魔術師たちよ。
今ここに、魔道戦争の開催を宣言いたしましょう」
ジャンヌ・ダルクと名乗った彼女が、厳かな口調で高らかに宣言した。
「ジャンヌ・ダルクだって!?」
すぐ後ろに絢人がいることをその声で思い出して、紗矢は慌てて振り返る。絢人は信じられないものを見たような驚いた顔で固まっている。
「ちょっ……!?あんたなんでまだ居るのよ!」
「なんで、って。お前を置いて逃げられねえって言ったじゃんか」
「いやそうだけど!」
「だいたい、お前俺のこと守ってくれたじゃんか。それなのにお礼も言わずにひとりで逃げたりできるかよ」
「~~~!」
前代未聞とはこのことだ。なにしろ魔道戦争の開催宣言に一般人が立ち会うなど聞いたこともない。この場合は一体どうなるのだろうか。やはり口封じに殺してしまうほかないのだろうか。
「この場に集ったのは、召喚魔術師、放射魔術師、結晶魔術師、韻律魔術師と、⸺そこの貴方」
ジャンヌが絢人を指し示す。
そして彼女が意外なことを言い出した。
「貴方にも魔術師の力が眠っていますね?心当たりはおありですか?」
「えっ、俺?」
「ウソでしょ!?」
紗矢と絢人は思わず顔を見合わせる。
どちらにもそんな心当たりは微塵もなかった。
「……ああ、なるほど。巧妙に[貼付]で隠されていますね。しかし、いいでしょう。貴方も魔術師として認めます」
「ま、待ちなさいジャンヌ!彼は関係ないわ!」
「いいえ、紗矢。彼にも争奪の資格ありと判断します」
「そんな……!」
抗議してはみるものの、魔道戦争において裁定者の裁定は絶対である。裁定者が参戦資格を認めた者は参戦しなければならないのだ。もしどうしても参戦が嫌ならその場で敗北を宣言するしかなく、それは本人が自分の意志で判断する事であって他の参戦者、つまり紗矢が強制できるものではなかった。
しかもこの場合、絢人には魔道戦争の知識も何もなく、彼が自分で判断する事など出来るはずもなかった。
「あの、俺、なんの話なのか全然分かってないんだけど…」
「ええそうでしょうね!」
もはや紗矢は半ばヤケクソである。
今夜はイレギュラーしか起こらないのか。
「それと……付与魔術師が来ているはずですが、この場には到着していないようですね。ですが……」
ジャンヌが少し小首を傾げて考え込む。だがすぐに背後を振り返ると、
「そこに、もうひとりいますね?」
そう言って指差した。
「なんだよ、バレてたのか」
そう言いながら公園の木陰から姿を現した人物の姿を見て、紗矢も絢人も驚きを通り越して唖然とする他はない。
そこにいたのは、制服姿の小石原理だったのだ。
「いや、理……何やってんだお前」
「そ、そうよ!なんであんたがここにいるのよ!」
「なんで、って。決まってるだろ、魔道戦争に参加するためさ」
事もなげに理が宣言する。
「ふむ。参戦したいのですね」
それを受けてジャンヌが思案する様子を見せるので紗矢はまた慌てる。絢人だけでも手に余るのに理までとなったら、もうどうしていいか分からなくなってしまう。
「しかし貴方は、死霊魔術に触れていますね?」
「だったらどうだって言うんだ?まさか死霊魔術師には資格がないとでも言うのか?だが言っておくが、霊遺物を持ち込んだのは死霊魔術師だぜ?」
「……いいでしょう。貴方にも資格を認めます」
ジャンヌはそう言うと、あっさりと理にも参戦を認めてしまった。確かに霊遺物の提供陣営も魔道戦争への参戦資格があるとはいえ、死霊魔術師の参戦となるともっと慎重に検討すべきであるはずなのに。
「い、いいわけないじゃない!このふたりはどっちもただの人間よ!?私たちのような魔術師ではないわ!」
「いいえ、紗矢。彼らは魔術師です。貴女にも分かるでしょう、彼らの中に霊核があることが」
紗矢の必死の抗議を、ジャンヌは涼しい顔で切り返す。確かに言われてみれば、理には霊核らしき反応が見える。
だが絢人の方には、いつも通り何の反応も見えない。本当に[貼付]で隠されているのだとすれば、大した術者の技に違いなかった。
「どうするか、この場でお決めなさい。態度を決めていないのは貴方だけですよ?」
ジャンヌが絢人に決断を迫る。
絢人は困ったように紗矢の顔をチラリと見やる。とはいえ紗矢にはもうなす術はない。たとえ魔道戦争に参戦せずとも、絢人はすでに死霊魔術師に狙われている。ヤツをこの場で倒せなかった以上は、むしろ参戦者として紗矢の側に置いておく方が得策かも知れなかった。
「……貴方が決めることよ。私が決めることじゃないわ」
「黒森は、参加するんだよな?」
「そうね。この土地は代々我が黒森家が魔術的に守護してきた土地。私が参戦しない選択肢は有り得ないわ」
「だったら俺も参加するよ。力になれるか分かんないけど、仲間は多い方がいいだろ?」
「あんたね、そんなに気安く言って!どういう事になるか本当に分かってるの!?貴方も魔術師になるって事なのよ!?魔術師になったら二度と人間の社会には戻れないのよ!?」
「んなこと言っても黒森も魔術師なんだし、お前は普通に今まで俺らと同じ生活してたじゃんか。俺は別に魔術師に偏見はないし、きっと何も変わらねえよ」
「……っ!」
この時ばかりは、絢人の楽観的な性格が紗矢は恨めしい。彼は本当に何も分かっていないし、彼が参戦して苦労するのはこっちだと気付いてもいないのだ。
だが一から説明するには余りにも時間が足りなかった。




